津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          柳生兵庫助 (8)

■狂人をも倒す気合

<本文から>
 だが狂人はまったく恐怖を感じないので、頭から返り血を浴びた悪鬼の姿で斬りまくり、傍へ寄れる者もいなかった。
 狂人が斬りかかってくると、藩士たちはなだれをうって後退する。無理に立ちむかおうとする者は、たちまち斬り伏せられる。
 三の丸の屋敷にいた兵庫助は、急を聞いて現場に駆けつけた。
 彼は左手を刀の鍔もとにかけたまま、広縁で狂人と向いあった。
 狂人は兵庫助を見ると、刀を双手下段にとり、摺り足で迫ってきた。兵庫助は右足を一歩踏みだし、右偏え身で、狂人の眼をみつめている。
 狂人は裂吊の甲声をはりあげ、刀を上段にふりあげて躍りかかろうとしたが、急に動きがとまった。
 兵庫助は狂人を晩みすえている。二人は四、五回呼吸するほどのあいだ、動かずにいた。やがて兵庫助がふだんとかわらない足どりで歩み寄ってゆく。
 狂人が顔をゆがめ歯を剥きだし、斬りかかる動きを見せたとき、兵庫助が気合をはなった。
 さほどに高声ではないが、飯茶碗をまっぷたつにする力を秘めているといわれる、するどい気合である。
 狂人は電撃に打たれたように身をこわばらせ、刀をとりおとした。兵庫助は近づいて利き腕を捻じあげ、逆をとる。
 見守っていた家士たちのあいだに、感嘆のどよめきがおこった。兵庫助の気塊が、狂人をも圧倒したのである。
 兵庫助はのちに義直に聞かれた。
「そのほうは物狂いをば、気合にておとなしゅういたせしというが、まことか」
 兵庫助はおちついて返答をした。
「狂人は、正気のときの十層倍の力をだすといわれまするが、その通りにござりまする。それは、怖れを知らぬゆえに、自由にふるまい、自然に法にかなう動きをなしうるためと存じまする。私は狂気にてはござりませぬが、心の病を断つ修業をかさねて参りせしゆえ、わが力を存分につかう法を存じておりまする。それゆえ、狂人をおさうることも難事にてはござりませぬ」
 相手が動けば即座に斬りすてる、兵庫助のわずかな隙もない身の位が、狂人をも圧倒したわけであった。
▲UP

■宮本武蔵の剣に体の震えが止まらない十兵衛

<本文から>
 兵庫助が声をかけた。
「おのしがいかに勝とうといたしたとて、官本殿には歯が立たぬ。こののちは無益な殺生をやめ、儂と名古屋へ参り、修業をいたすがよい。そうせねば、おのしの剣術もこれまでのものよ」
 十兵衛は縁側に坐り、手をついてうなだれた。
「われらと立ちおうて、互角の勝負をいたすようになるまでには、日数がかかろう。儂も官本殿も、鍛練をつづけるゆえに、追いつくのは難事じゃ。しかし、おのしも江戸柳生の嫡男なれば、それをいたさねばならぬのじゃ。太刀遣いの荒れを矯め直してやるほどに、儂と同道いたせ」
 十兵衛は、体の震えをとめることができない。
 彼はいまの自分が武蔵に到底太刀打ちできない未熟者であるのを、身に沁みて知った。
 このうえは兵庫助に教えを乞い、新陰流の神髄をきわめねばならない。そうしなければ、誇りを失って生きてはいられないと、十兵衛は覚った。
▲UP

■長男が死でから、我が子それぞれの器に合うた仕事をすればよいと考えを変える

<本文から>
 兵庫助は朝夕仏壇にむかい、普門品を誦するとき、清厳と千世の霊に話しかけた。
 (どうか母子でやすらかに暮らしていてくれ。儂もいずれは彼岸へ参るゆえ、待っておるがよい)
 贅髪に霜を加えた兵庫助は、茂左衛門を江戸へやったのち、七郎兵衛、四郎兵衛と内弟子たちを、以前のように厳しく叱らなくなった。
 彼は珠に感慨をうちあける。
 「儂は新左を死なせてからは、技のつたなき者をば責める気にはならぬようになったわい。兵法には向かずとも、他の道で才をあらわすこともあろう。それぞれに、自らの器に合うた仕事をいたせばよいのじゃ」
 兵庫助は、わが子のうちでもっとも剣の才に恵まれているのが、七郎兵衛であると見極めをつけていた。
 茂左衛門も、兵庫助の名をはずかしめない手練を身につけているが、七郎兵衛とはちがう。七郎兵衛はやがて兵庫助の境地に達しうる天びんを身につけている。
 兵庫助は、七郎兵衛が工夫に工夫をかさね、倦むことがないのを知っている。剣の道の奥底の知れない深さがわかるのである。
 深さが理解できない者は、ある程度まで上達すると、努力をやめてしまう。七郎兵衛は剣の道を探ってゆく鍛練修業を、辛いとは思っていない。
 ひとつの方角から工夫をつきつめてゆき、ゆきづまれば、別の方角からすすめていく。幾度障害にゆきあたっても挫けることなく、突破口を発見しようとする好奇心が、七郎兵衛にはある。
 精進をかさねてゆくうち、どうしても超えることのできない壁にかならずつきあたる。それでも、壁の外に出ようと努力をつづけるうち、ある日突然に抜けて出ることができる。壁の外は、いわば異次元の世界である。いままで人間の能力ではできないと思っていた神技が、自由にわがものとなるのである。
 兵庫助は、七郎兵衛がかならず自分とおなじ境地にまで、到達しうると見ていた。
 (七郎には、儂の始終不捨書よりはなれ、おのれの工夫をあたらしく編みだすことのできる力が、そなわっている。こののち、放っておいても、ひとり歩きをしてゆける)
 彼は、七郎兵衛を鍛えるあまり痛めつけすぎ、清厳のように死をえらぶような羽目に、立ち至らせてはいけないと考える。
▲UP

■流儀の神髄をきわめ、形式から離れる剣理を体現した

<本文から>
 兵法には、流儀を守り、それを破り、それから離れるという、守破離の過程がある。
 兵庫助は、流儀の神髄をきわめれば、流儀の形式から離れることになるという剣理を、体現するようになっていた。
 剣術の奥儀に達すると、兵法勝負をあらそうのが、しだいにばからしくなってくる。
 江戸中期の剣客針谷夕雲は、新陰流の流れを汲む者であったが、つぎのようにいっている。
「世間の兵法一切は、鷹が小雀を得たり、猫が鼠を獲るのとおなじようなことをする。上を打つとみせて下を払い、横を斬るふりをして頭頂から竪割りにする。隙をみせるふりをして、相手に隙を出させ、飛び違えて打ちこんでくる太刀をはずし、さまざまの才覚をもって相手をだまそうとする。まことに天道人性に惇ることはなはだしい畜生道である」
 針谷夕雲の弟子に片桐空鈍という達人がいて、空鈍流という一派をひらいた。
「撃剣叢談」によれば、空鈍流とはふしぎな剣法であったようである。
「その芸を習わすさまは、紫草の細きしないを胸のあたりに、差しじないに構え、するすると敵によりて、しないを頭上にあげて丁と打つなり。このほかに技を用いず。この流伝書を大切とす。この技に熟すれば、敵にかかわらず右の態ひとつにて、万方に応じて勝利を得るという」
 空鈍の教えは、斬りあいにおいては勝とうと思ってはいけない。負けまいと思うのもいけない。勝負を忘れ、敵の太刀へ無我無心に身を挺することが大切であるというのである。
 兵庫助のいう「病を去る」境地が、門流の末に至るまで受けつがれていたことが分る。
▲UP

■兵庫助は相手を打とうとせず、相手が打たれにくるように仕向ける境地に達する

<本文から>
兵庫助は、毎朝暗いうちに起き、昼頃まで隠居所の奥庭で太刀遣いの工夫をおこなう。
 工夫をこらす場へは余人を近づけず、一心不乱に新たな技を生みだすことに没頭する。
「儂は近頃では、いかなる相手と立ちおうても勝てると思えるようになってきた。別に気負うて申しておるのではない。儂の兵法はまだ真奥をきわめたとはいえぬが、七郎兵衛やおのしらの打ちだす太刀は、苦労いたさず凌げよう。十兵衛、儂は立ちおうたとき、相手が一歩を踏みだすまえから、勝っておるのじゃ。相手は儂に負けるために動くようなものじゃ。儂は相手が力を出せず、身動きかなわぬよう、しむけることができるのじゃ。眼に見えぬひとすじの道を相手に歩ませるように仕向けてやるだけでよいのじゃ」
 十兵衛には、兵庫助の達したおそろしい至芸の境地が、理解できる。
 兵庫助は相手を打とうとせず、相手が打たれにくるように仕向けるのである。向いあう敵が動きはじめると、敵が力を出せず身動きもかなわない死角に、常にわが身を置けばそれができる。
 そのような技の呼吸は、兵庫助だけが会得したもので、十兵衛や七郎兵衛がいかに教えられたところで、たやすくうけつがれるものではなかった。精神の集中力が、まったく違うのである。
 兵庫助は、自分の会得した境地が、神秘なものではなく、誰でも工夫をかさねたなら達しうるという。
 「十兵衛よ。儂はいまでも足腰を鍛えるために、さまざまのひとり稽古をいたしておる。それゆえに、工夫がなされるのじゃ。何と申しても体が自在に動かせねば兵法はできぬ。自在と申すのは、飛びはねるのではなく、いかなる敵の動きの裏をもかける、身と心のはたらきのことよ」
 「あい分ってござりまする」
 兵庫助の体力は、青年をもはるかに超えていた。
一貢匁の棒を片手で二千回振っても、さほど息が乱れない。腕相撲をすると、藩中の侍たちが誰も敵わなかった。
 兵庫助が剣の神と噂されるのは、そのような人間とも思えない力量を発拝するからであった。彼はいう。
「腕相撲も、剣術もおなじことじゃ。力で剣をふるい、相手を捻じ倒そうとするうちはまだ浅い。打ちこんでくる太刀、押してくる力をはたらけぬようにしてやるだけで、相手はなにもできぬようになるのじゃ。兵法と申すものはふしぎなものでのう。剣術の道をきわめれば、腕相撲であろうと、相撲であろうと、すべての道にも達するものよ」
 兵庫助の言葉に誇張はなかった。
 十兵衛はこれまで兵庫助と相撲をとって、一度も勝てたことがなかった。兵庫助は十分に双差しを許しておきながら、十兵衛を一瞬に投げとばす。
 力ずくで投げているのではないのは、投げられてみるとよく分った。わが体が重みを失ったかのように、自然に飛ぶのである。
▲UP

■七郎兵衛に相伝する

<本文から>
 兵庫助は半眼の視線を紙上にむけ、黙然と動かない。やがて硯箱に筆を置くと、口をひらいた。
「茂左、おのしが代筆をいたせ」
「かしこまってござりまする」
 茂左衛門は父の書いた文言のあとに、口述の通り筆記してゆく。
「当流兵法祖父但馬守殿より、御相伝の通、毛頭不残、相伝せしむ。ならびにわれら一代の工夫鍛練の条々、これまた残さず相伝せしめおわんぬ。向後いよいよ工夫鍛練肝要たるべきものなり。
 まずもってそのほう、今日までの上手一門に越し、奇特千万、感悦きわまりなく候。なおもって油断あるべからず候。かくのごとき儀は、そのほう一人にかぎるものなり。よってくだんのごとし。
       柳生兵庫助入道
            七十二歳
 慶安弐妃年    如書斎
   三月十九日 平利厳 花押
       柳生七郎兵衛殿」
 署名、年齢、花押の記入と捺印は、兵庫助がおこなった。
 七郎兵衛と茂左衛門は父の座前にひれ伏し、ながく面をあげなかった。
 「七郎、ひさびさに位を見てやろうぞ」
 七郎兵衛は声に応じて立ち、定寸しないをとって打ちこもうとした。
 彼は体力衰えた父が、無刀で立ちあうのに、はじめは手加減したが、しないをはねとばされ、体当りで二間ほどもはじかれ庭石でしたたか背を打ち、二本めは本気で立ちむかった。
 だが、瞬間にしないを奪いとられる。
「それでも允可相伝を受けし腕前か。白人ではないのかや」
 兵庫助に叱咤されつつ、三本め、四本めをとられ、五本めにようやく肩口に打ちこむことができた。
「まず、かようなることか。精進いたさばいずれ儂がようになれるゆえ、僻怠いたすでないぞ。兄弟仲良ういたし、一門の繁栄をはかるのじゃ」
 兵庫助は、呼吸も乱さず笑っていた。
▲UP

メニューへ


トップページへ