津本陽著書
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          柳生兵庫助 (7)

■活人剣を、上泉伊勢守、祖父石舟斎のいずれよりもさらに繊細巧撤なものに工夫

<本文から>
 和尚は名古屋にくるたびに、三の丸の柳生屋敷、広井郷の下屋敷をおとずれる。兵庫助に迎えられると、喫茶一服ののち、仏間に通り読経をするのが常であった。
 会向が終ると、兵庫助は斎(昼食)を和尚に供し、よもやまの話を交すのが常であった。
 壁間には、「白雲未在」と禅語を記した扁額が掲げられている。剣の極致は、会得したと思えて、会得できないものであった。
 これこそ極意と思いきわめても、山上さらに山がたたなわっているのである。手のとどかない白雲を追いもとめているのが、兵庫助の心境であった。彼は、三十七歳となったいまも、剣の工夫をこらし、日々にあらたな発見をかさねていた。
 修行をかさねるうちに、相手を動かせるばかりで、自分はほとんど動かずにいて、一太刀で死命を制することができるようになっていた。
 敵に技を出させて勝つ、活人剣のつかいようを、上泉伊勢守、祖父石舟斎のいずれよりもさらに繊細巧撤なものに工夫したのである。
 無形の位から、常形も定勢もなく、敵の動きにつれ従い、転化、変動のはたらきをする。
 懸かるが懸かるでなく、待つが待つでない。自らの心も太刀も身も、盤上の円い珠となり、敵のはたらきにしたがい円転自在の応対をする、「転」の極意である。
 流祖上泉伊勢守は、「転」の境地を「牡丹花下の睡猫児」と禅の公案の一句によって表現した。
 すなわち新陰流の本義は、活人剣であった。柳生石舟斎の工夫公案書(没茲味口伝書)に、記している。
「当流に構え太刀を皆、殺人刀という。構えの無きところを、いずれのをも皆、活人剣という。また、構え太刀を残らず裁断して除け、無きところを用ゆるについて、その生ずるにより(新たに生れるとの意)活人剣という」
 構えのない無形の位から、敵をはたらかせて勝つ活人剣には、万一の敗北はなく、常に敵を制圧するのみであった。
 兵庫助は、道統を継いだ頃をふりかえってみれば、いつのまにかはるかな高みにまで、手練が向上してきたと思う。
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■尾張藩主徳川義直が新陰流正統第四世を継承

<本文から>
 尾張藩主徳川義直は、元和六年(一六二〇)九月昔日をえらび、兵庫助から新陰流正統第四世を継承した。
 允可相伝の秘伝書、柳生の大太刀、正統の表、石舟斎より伝えた三巻の兵法盲目録のほかに、兵庫助がみずから工夫をこらした公案の大著、「始終不捨書」一巻をも加え、義直に手渡される。
 允可の証は、石舟斎の公案書「没韮味口伝書」の奥に、兵庫助が書き記した。
 義直の新陰流四世継承を祝う訪客、使者が、あいついで名古屋城に来着し、連日二の丸御殿は酒宴ににぎわう。
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■千世の死去

<本文から>
 兵庫助は夜のあけるまで、千世の額を冷やしつづけた。
 早朝に医師がきて、千世の様子をしらべた。
「熱が下がり、脈もゆるやかになってきておりまするゆえ、本復なされるやも知れませぬ。ただ、気がおつきなされたとて、もとのお体にはお戻りにはなれませぬ。立ち居がご不自由となられましょう」
 兵庫助は喜びのいろをおさえられない。
「それはまことでござろうか。存命できるなら、寝たきりでおろうともかまいませぬ。このままゆかれるよりは、どれほどありがたきことか」
 千世はいびきをひそめ、静かな寝息をたてていた。
「伊預守さま、いまのうちにちとおやすみなされませ。私がお傍におりまするほどに」
 医師にすすめられ、兵庫助は座を立った。
 彼は閏に入ると、夜着をかぶり深い睡りにおちた。
 まもなく彼は足もとの襖を誰かが青もなく開けるのに気づいた。座敷に歩みいってきたのは、千世であった。彼女は白地の惟子を着ている。
「お千世、病いは癒ったのか」
 千世はほほえみつつ、兵庫助の傍に坐った一。
「そうか、歩けるのかや。体に不自由はないのか。よかったのう、なによりではないか」
 兵庫助は身をおこそうとして、覚醒した。
 眼のまえに千世はいなかった。
(夢であったか。お千世に変りはなかろうか)
 兵庫助が立ちあがったとき、廊下を走ってくる足音がした。
 「旦那さま、お早うお越し下されませ」
 「なに、お千世に変りがあったか」
 兵庫助は床を踏みとどろかせ、千世の部屋に駆けいる。
 「お千世、いかがじゃ」
 息をきらせ、枕もとに座ったとき、すでに彼女は胸の起伏をとめていた。
 千世の葬儀を終え、四十九日の法要をすませたのちも、兵庫助は彼女の死が現実のものとは思えなかった。
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■内弟子の浄与には商いで身をたてるように語る

<本文から>
「おのしも儂の内弟子になって傍におれば、致しあげとまではゆかずとも、間積りができるまでには、教えられたかも知れぬがのう。いまとなっては、ちとむずかしい。生兵法といわざるをえぬゆえに、かまえて余人には兵法自慢などいたすでないぞ。うかうかと試合などして、手足を打ち折られてのち、後悔しても遅かろう。おのしには商才があるのじゃ。亀谷栄任どのには、いまも眼をかけられておるのかや」
「さようにござります。昔とかわらぬお引きたてを頂いておりまするが」
「それでよい。おのしは商いで身をたつるよう、生れついておる。ひとにはそれぞれ進む道があるのじゃ。兵法稽古は、年老いても身のこわばらぬようつづけるがよい。長寿いたすにはこのうえなき薬じゃ」
「おそれいってござりまする」
 兵庫助は茶を喫しつつ、ひとりごとのようにいう。
「儂は他人から名人上手といわれる。たしかに、天下に兵法者多しといえども、儂でなければできぬという技もある。しかし、儂は浄与のごとく商家の門戸をかまえ、商いの道に精進しても、大成いたさぬにちがいない。人はそれぞれ、わが身に合うたる殻をひろうて生きる、やどかりのようなものじゃ。業に上下貴賎の別があろうはずもない。儂のごときは、お千世がみまかりしのちは、このさきを生きるのさえもむなしゅう思えてならぬ。剣によって悟ったる道とは何でありしかと、わが胸に問えども何の返答もない。おのしが間積りができぬを恥ずることはない。儂がながき稽古を経て、勇の何たるかをも覚りしはずなるに、無常の思いをば如何ともしがたきを見よ。山中修行により、神仏の秘玄をかいま見しこともあるに、煩悩はまことに去りがたいものじゃ」
 兵庫助は胸のうちをいつわらず述懐する。
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■日夜工夫をかさね、新しい発見をするが、弟子たちに伝えるすべがなかった

<本文から>
 兵法の奥にはゆきどまりがない。兵庫助は日夜工夫をかさねるうちに、あらたな発見を身内にかさねてゆくが、その技を弟子たちに伝えるすべがなかった。
 彼はいつのまにか、孤独の高処に身を置き、ともに兵法を語れる友人がいなくなった。
 自分の工夫したところは、すべて義直に伝え、新陰流大成の礎をかためねばならないと思うが、そのようなことをするあいだに、なお工夫をかさね、兵法の道をわけいりたいという願いが、つよく頭をもたげてくる。
 兵庫助には、晩年に及び山中に身をひそめ、消息を断ち神仙と化したといわれる、兵法の先達たちの気持が分るようになっていた。
 山中に隠遁し、現世との交りを断ちたいという彼の身内につきあげる衝動を理解し、はやる気持をなだめてくれたのは、亡き千世であった。
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