津本陽著書
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          柳生兵庫助 (6)

■千世を妻にむかえた

<本文から>
 彼はまえの年の三月、吉日をえらび千世を妻にむかえた。
 「私がようなものとつれそわれては、兵庫助さまのお名前にきずがつきまするゆえ、そればかりはお許し下されませ。私はいましばらくのあいだ、若さまのお傍に置いていただけるなら、そのうえの望みはござりませぬものを。もったいなき仰せは、御心のみを頂戴して終生忘れませぬ。どうぞおつれあいはしかるべき姫御を召されて下されませ」
 千世は懸命に辞退した。
 伊賀の下忍の妹が、柳生の嫡男に嫁ぐのは誰がみてもつりあいのとれない縁組みであると、彼女は思っていた。
 だが兵介は笑ってとりあわなかった。
「なにをいうのや。儂はお千世を終生の伴侶ときめておったに、いまさらつれなきことをいうでないぞ。父上、母上もご承知なされてござるのや。肝心のお前が尻ごみするなど、もってのほかではないか」
 千世は兵介の妻となれるよろこびに、言葉もなく感動の涙にむせぶばかりであった。
 夢のようにしあわせな彼女の暮らしは、重い糖蜜に沈みこんでいるような静寂のうちに、過ぎてきた。
 いま、彼女はみごもっていた。出産は年の末になろう。
 (こんな眩しい日向に坐ってるような、はれがましゅう嬉しい日が、いつまでつづくのやろう。思うてみれば空おそろしゅうなってくる)
 千世は形のいい鼻梁をあおのかせ、裏山のあたりで忙しく囁く、囁の声に耳をかたむける。
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■数ヶ月を経るごとに、あたらしい境地を開くことに弟子は驚嘆する

<本文から>
 兵介は、武蔵を打てたが打たなかった。藤林長門に斬りつけたときも、心を制御するものがあった。
 いつからか、兵介の心中には慈悲の念が宿るようになっていた。斬らねばならない邪悪は敢然と抹殺するが、たとえ敵であっても尊敬すべき能力の持主は、世にながらえてほしいと願う、のである。
 兵介は、柳生館に戻ってのち、祖父石舟斎の遺した「没正味口伝書」に匹敵する、兵法工夫の口伝書の著述にとりかかっていた。
 彼は千世を妻とし、病いがちな父母をいたわっての明け暮れに、無上のやすらぎをおぼえていた。
 鉄のような筋肉に鎧われていた兵介の体が、いくらか肥ってきたのは、楽しい日暮らしに自然にあらわれる、心のゆとりのもたらす変化であった。
 彼は松右衛門、佐野九郎兵衛、加島道円、音羽小三郎、吉次、又三郎、福千代らの内弟子を相手に、毎日の鍛練を怠らなかった。
 「これからのちは、合戦での逆風の太刀などをふるう機は、すくのうなるばかりであろうが、武士が事にのぞんで刀をつかわねばならぬときは、多かろう。敵にむざと斬られず、己れが意地をたてるには、剣術のみが頼りとなるゆえ、お前どもも旧に倍して出精いたせ」
 兵介は弟子たちよりも多く、わが身の鍛錬をこころがける。
 新陰流の秘玄をきわめている彼が、なお数ヶ月を経るごとに、あたらしい境地をきりひらき、無限の成長をとげてゆくことに、弟子たちは一驚嘆した。
 兵介の剣は、若年血気の頃にくらべると、しだいにつよさを減じてゆくように見えた。
 打ちこみにさほど力をいれないが、しないで打たれた相手は、その衝撃で立っていることができず、転倒する。
 「お師匠さまの打ちは、軽きものでござりますのに、なにゆえ眼もくらむばかりにきつく当るのでござりましょう」
 弟子に聞かれると、兵介は笑って答える。
「それは儂がお前たちの打ちこんでくる機を読んでおるゆえじゃ。打ちこんできて技が尽き、身の力を出せぬようになっておるところを打つゆえ、軽う打っても総身にこたえるのじゃ。ほれ、どこなりとも打ってきてみるがよい」
 兵介にいわれ、弟子が袈裟がけに打ちこんでゆく。
 兵介ははずして、弟子の動作がとまったのち、体が不安定になっている機をとらえ、かるく肩を打つ。
 「あっ」
 門人は踏みこたえられず、うつぶせに転倒した。
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■尾張徳川家に召し抱えられる

<本文から>
 大御所家康に、自らの希望を明確に述べるのは、なみの者にできることではなかった。
 だが、兵介は兵法の世界にのみ生きる人間であり、権門をおそれなかった。
 家康は笑みをふくんで、兵介の口上を聞いていたが、不興の色もあらわさず応じた。
「よかろう、そのほうの望みにまかせてつかわそう。但馬入道が志のほどを、たてつらぬくからには、そのほうも兵法専一に心がけねばなるまい。すべては隼人正に計らわするゆえ、随身の儀は承知いたすがよい」
 兵介はあとじさり、平伏した。
「私が無礼をもお答めなく、お聞きとどけいただき、おそれいり奉りまする」
 家康との謁見を終え、兵介は成瀬隼人正より、義直の博役格で尾張徳川家に召し抱えられることを告げられた。食禄は五百石である。
「大御所さまのご意向にては、貴殿に千石を進ぜよとのことであったが、尾州は新藩にて、傅役に五百石よりうえの格式はつけられぬ綻があるでのう。ついては、いずれ先にて貴殿が嫡男も生れよう。されば父子の禄をあわせ千石となるよう、取りはからうゆえ、いまはこれにて堪忍いたして下されよ」
 兵介はこころよく、うけいれた。 
 「それがしが身勝手なるお頼みをお受け下され、かたじけのうござりまする。知行の儀はそれにて過分と存しますれば、ありがたく頂戴つかまつりまする」
 尾州藩への仕官をきめた兵介は、三人の供を引きつれ、成瀬隼人正とともに名古屋城へむかった。
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