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<本文から> 挨拶をする動作に、ひとところだけでもほころびがあろうかと、見守る兵介は、完壁な武芸者の姿を見出し、感動に動惇をはやめた。
武蔵も兵介が座敷へ入りこんできたとき、全身から見えない針のような剣気を放射しているのを、感じとっていた。
(うむ、これはただものではない。柳生伊豫と申さば、あてがわれし役目が気にくわなんだと、肥後加藤家侍大将、三千石の禄を棒に振ったる、豪の者と聞き及んでおるが、やはり噂だけのことはある)
彼は、兵介の動作に見入った。
(かような男と試合をいたしたいものだが。やればまず、五体満足では済むまい。なかなかに隙のない、鉄壁のようなる身の置きかたというべきか)
彼は、こんどの試合の相手としてあらわれた、石川門太夫にも、一目で好感を持った。
(これもよき侍じゃ。この澄んだ眼は、もはや生命を捨てて掛かっておる眼じゃ。男が思い決めた面魂は、すがすがしいものだ。試合えば偶の敵ではあるまいが、やむをえぬ。相手は主持ち。儂は兵法のほかに頼るもののなき牢人よ。この男に情をかけるほどのゆとりはない)
武蔵は門太夫の身ごなし、口をきく気勢にむらがあるのを感じとっていた。
兵介のように、地を這いひろがってくる水のような、ひた押しに押してくる剣気がないのは、修業が至らないためである。
門太夫は強敵武蔵をまえに、静かに控えていた。顔色はいくらか蒼ざめているが、全身の気塊をこめ、武蔵の眼を睨みつけている。
彼は武蔵に問いかけた。
「さて、試合でござるが、日取り、刻限、場所のお望みを承とうござる」
武蔵は即座に返答する。
「それはご貴殿のお申付け下さる通りで、ようござる。いずれへなりと参じまする」
「ならば明朝辰の下刻(午前九時から十時)、御城下扇之芝御馬場にてお立ちあい願いたい」
「承知つかまつった」
「試合に使う得物の御所望は、ござろうか」
武蔵は猛禽のように険しい顔の、表情を変えることなくいってのけた。
「とりわけ所望はいたしませぬ。太刀のほかの外の物にても、苦しゅうござらぬ」
武蔵の琥珀の眠が、門太夫の視野いっぱいにひろがっていた。 |
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