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<本文から> 柳生館の稽古所は、天井、柱、壁板がすべて紅殻塗りなので、晴れた日もほのぐらく、板間から見る日向の景色は、まぶしくあざやかであった。
前庭にはつつじ、くちなしの花がいまを盛りと咲き、蝶がはなびらにもつれるように飛んでいる。
四月十八日の朝も、兵介はふだんとかわらず稽古所へ出た。石舟斎の 容態をきづかう見舞客たちも幾人か、稽古のさまを見にきていた。
兵介のまっすぐのびた背筋、たくましい頸、隙のない腰から足先へかけての動作は、見る者に勇者を讃仰する思いを、湧きたたせる。
兵介は兵法稽古で練りあげた、響きのこもる静かな声音で、弟子たちにいう。
「これより、当流を習う者にとり、つつしむべき十禁を口伝いたす。まず、身と手の分るることじゃ。打ちこむとき、頭、両肩、胸をうしろに引き、太刀をとる両腕のみまえにいずることをいうのや。さような打ちかたをいたせば、切り留まりになり太刀は伸びず、手前斬りにすたれるわけじゃ」
兵介はしないをとり、悪しき打ちこみのかたちをみせる。
「つぎには、打ち三つのことを申す。三つとは、鈍る、とまる、はなるるじゃ。さきの二つは悪しく、はなるるは吉じゃ」
弟子たちは、兵介のしないをとる手もとに見入る。
「鈍るとは打ちこみの、物を捨てたるようにゆるくして、冴えたるところなく、鈍りたることをいう。これは、かならず手のうち上筋なる者の打ち、または遠間より無理に仕懸けた打ちのことじゃ」
手のうち上筋とは、しないの柄を握る右手を、茶巾絞りに内側へ締めず、指さきがうわむきになるゆるい手つきのことである。
「とまるとは、物を押えたるように堅くはずみなき打ちを申す。これは手のうち下筋にすぎる者、または近すぎる打ちじゃ。このふたつの悪しき打ちにくらべ、よく澄んで利く打ちをはなるると申す。手のうちもよく、はずんで冴えをあらわすものじゃ。打ちの狙いが芯にあたっておるゆえに、はなるるのや」
兵介は、みずから身命を賭しての真剣勝負で会得した太刀遣いの要領を、惜しみなく教える。
弟子たちは兵介の示す悪しき癖を、わが身の技にひきくらべ、うなずきあう。 |
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