津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          柳生兵庫助(2)

■廻国修業は死の恐怖がつきまとう

<本文から>
 街道がながい登り坂にさしかかった。樹林が左右の斜面にしりぞき、頭上に陽が照りつける。薄の銀の穂波が夙に吹きわけられるのを眺めつつ、兵介は黙って歩く。
 かたわらに寄りそう千世の、つねに彼の顔色をうかがう気配が、心をうるおしていた。
 千世がいなければ、儂はひとりで死の幻影におびやかされつづけておらねばならぬと、兵介は彼女のたおやかな頬のあたりに、眼をむける。
 「若さま、汗をおかきでございます。お拭きなさいませ」
 千世は香のにおいのただよう手拭を狭からとりだし兵介に手渡す。
 余人の眠がなければ、兵介は千世を抱きしめてやりたい。千世もそれを求めている。わずかに視線をもつれあわすだけで、たがいの気持ちは通じあっていた。
 兵介が満心で絶えず死の恐怖とたたかつていることも、千世は察しているようであった。その証拠に彼女の表情は、兵介の眼に憂いのかげがさすと、陽に雲がかかるようにかがやきを失う。
 天下無双の兵法者の名を得ている兵介が、廻国修業をするからには、行手には他流試合をのぞむ挑戦者が、数知れず待ちかまえている。
 彼らはすべて、一命を賭けて立ちむかってくる。手にする得物が真剣、木太刀のいずれであれ、容赦なく打ちあえば、敗者には死ぬか身をそこなう悲運が待っている。
 試合に勝てば、のちに怨恨がつきまとう。根岸矢柄のように、十年を経たのちにも執念ぶかく遺恨をはらそうとする者もいる。
 兵介は廻国修業のあいだ、かたときも気を許せないわけであった。
 隙があれば、いつ死の魔手が身辺に忍び寄ってくるか知れないのである。戦場での度胸をやしなうために、ふだん臥しどに横たわるとき、わが顔の真上に細糸一本で、天井から抜き身の大刀を吊す侍がいるというが、兵介にはその気持が理解できた。
 いつ死んでもよいという諦念を心中にうえつけねば、自刃をふるっての争闘の場で、自由に手足をうごかすことができない。
 恐怖にこわばった動作では、一瞬に敵の餌食になる。兵介には、まだ死への心構えができあがってはいない。
 彼は危険に馴れ、死に親しもうとつとめていた。死はあらたな生への門出であるようにも思え、それならばさまで怖れることはないと気を安んじようとする。 
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■不動の自信

<本文から>
  いま兵介は大聖寺関所の御亭にいて、桜吹雪を眺めつつ、田沢と内藤の槍をしりぞけたときの不動の自信が、身内の錘のようにしずみこんでいるのを、感じていた。
 難敵をまえに怯えないでいられる自信が、不意に彼をおとずれ、根をすえた。
(儂はいつのまにか変った。まえの儂なら、敵とむきあえばさまざま思い惑ったものやが、いまはその惑いが消えてしもうた。叔父上に位を見てもろうてから、変ったのであろうか。しかとは分らぬ)
 京都で叔父又右衛門宗矩と間切り稽古をこころみ、彼を圧倒した兵介は、そのあと、主学円の太刀、九箇の太刀、猿飛六箇の太刀と、流儀のおもな太刀技の形稽古をした。
 又右衛門は、打太刀、便太刀のいずれにおいてや兵介におくれをとった。自分がおさない頃から仰ぎみる存在であった、達人の又右衛門を凌ぐ腕前になっているのをたしかめたとき、兵介はただうれしかった。
 兵法者に欠くべからざるものである勇気は、あのとき儂にのりうつったのではないかと、彼は考えるが、さだかには分らなかった。
 兵法の技法の開眼は、ながい失意と懐疑の月日ののちに、突然めぐまれるものであった。なにかの出来事をきっかけとして、眠から鱗がおち、手足が心の欲するままに自在にうごくようになる。
(富田越後一門には、名人上手が数多いと聞くが、儂も技ののぼり坂のときに来ることができて、運がよかった。いまなら勝とうと負けようと、納得できる立ちあいができよう)
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