津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          月とよしきり

■朋友の岡野が名も無き若造に殺され千葉道場を破門される

<本文から>
 男が体ごと岡野に突きあたり、岡野が短く坤いた。造酒の右手が無意識に動いた。男の右頸へ気合をこめた手刀が打ちこまれ、気を失った男があおむけに倒れる。
 造酒は男の右足首を、鉄扇で一撃した。覚醒した男は悲鳴をあげ、逃げようとしたが、足が折れているので動けない。
 造酒はもがく男をふりむきもせず、岡野を抱きおこそうとして顔色を変えた。岡野は両手で脇腹をおさえている。指のあいだに汚れた木片のようなものが見えた。
 岡野の着物のあわせめから滝のように血が溢れ出た。木片のようなものは、ヒ首の柄であった。
 「こんな若造にやられたのか」
 岡野の傷口におしあてた手拭いは、血で、見る間に水に漬けたようになってくる。
 「しっかりしろ、岡野。眠ってはならぬぞ」
 血の気のひいた岡野の顔を手のひらで叩くが、ふかくヒ首でえぐられた一撃で岡野はこときれていた。
 不意の出来事におどろいた旅人が七、八人集まってきて叫んだ。
 「医者だ、医者だ」
 「お宮から誰か呼んでこい」
 「お侍さま、村役人を連れて参りましょうか」
 造酒は茫然として、動かない岡野を見下ろしていたが、足を折られた若い男が這いながら逃げようとするのを見ると、気合と止塙に、左足首も鉄扇で打ち折った。 
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■竹刀とは異なり、稽古によって実践の感覚を身につく

<本文から>
 生死の境にあって、手足が思うように動いてくれるのは、稽古をかさねたうえで身についた糞度胸のおかげだ。だから、どんなことがあっても稽古をかさねる根性がいる。
 竹刀をとっての打ちあいは、敵よりも早く、手数を多く打つのが第一の上達法であると造酒は教えた。
 実戦で敵の先手をとることが、どれほど有利であるかを、彼は弟子たちに教えこむ。後手にまわって攻めたてられ、反撃しようとしても、間合をはずされ、どうしても打つことができない窮地に追いつめられるのは、稽古不足のためであった。
 真剣をとっての斬りあいになれば、いかなる剣術達者でも殺されないという保証はない。一人を相手にするとき、気晩、技前がいずれも敵をうわまわっていて、なお斬られることがある。命を懸けた必死の争闘では、わずかなもつれあいの加減で、思いがけない不利な体勢をとらされることがあるためだ。
 敵が数人であれば、もはや道場で学んだ一人の相手に対する姿勢、太刀遣いはまったく通用しなくなる。しかし、たとえそうなって敵に斬られるにせよ、わが身につけた剣技を十二分に発揮して死にたいと、造酒は考えていた。
 そのためには、稽古につぐ稽古をかさね、敵の動きをとっさに感じとり対応できる感覚を、身につけねばならない。
 造酒は千葉道場から放逐されたのち、数人の無頼の徒を斬る経験を得たが、そのおかげで道場稽古と実戦がどれほどかけはなれた内容であるかを知った。
 実戦では、敵がうしろからいきなり斬りかかってくる。槍で突かれることもある。石を投げられ、鉄砲で撃たれる場合も覚悟しなければならない。
 造酒は玄武館にいたとき、間中の敵を見分ける鍛練をした。闇夜明眼の術は、とりわけ工夫はいらない。薄暗いところで物のかたちを見定める稽古をかさね、しだいに暗さを増した場所でそれをおこなうと、やがて一寸先も見えない闇黒のなかでも、人の動きがわかるようになる。自分に危害を加えようとする敵と、味方をする者を識別するほどの視力が得られるのである。
 岡野が、名もない三ン下に刺し殺されてから、造酒は他出しているときはもちろん、家内にいるときも周囲の動静に気を配るようになった。ことに背後に人の気配がするときは野獣のように感覚をとぎすませ、殺気の有無を察知しようとした。
 不審なときはうしろからくる者を先へゆかせ、塀や崖を背にして様子をうかがう。そのとき頭上から何者かが襲ってきたときのための身構えもする。春先から冬までの短い月日のあいだに、造酒は眼つきが錐先のようにするどくなっていた。
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■最愛の藤が殺された

<本文から>
 造酒は腕のうちで両眼を見ひらいたまま、すでにこときれている藤を抱きしめ、おいとをふりかえり、叫んだ。
 「お藤が鉄砲玉をくらった。店のうちへ入れてやってくれ」
 「お医者を呼びにいかなきや」
 「もう息をしておらぬ。医者はいらぬぞ」
 造酒は茫然とやっとそれだけつぶやくと、急においととお清に藤の体を預け、堤を駆け下り、道のむかいの林に駆けいる。亀之助はすでに鉄砲を撃ちかけた曲者を追いかけていた。
 造酒が林を抜け、田圃の畦道に出たところで、足袋を泥でよごした亀之助が戻ってきた。左手に使いふるしたような火縄筒を提げている。
 「お藤殿は無事か」
 「死んでしまった。曲者はどこだ」
 「なに、そんなばかなことがあるものか」
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■子を妊った"おいと"も亡くなる

<本文から>
「おいとさんがいなくなったのが、よっぽどおつらいのだろうぜ」
「そうさ、先生は優しいお人柄だからなあ」
 稽古を終えた神崎道場の門人たちが、防具袋を竹刀で担ぎ、肌つめたい風が砂埃を舞いあげるなか、大きな声で話しあいながら帰ってゆく。
 造酒は誰もいない座敷のなかで、掻巻を腹にかけ、畳に寝転がったまま、遠ざかってゆく門人たちの話し声を開いていた。
 彼は起きあがって、膝もとに一升徳利をひきよせ、ぐい呑みに酒を注いでひといきに飲み干す。市左衛門の家の女衆が持ってきてくれた、干鰈を醤油につけてあぶったつまみものを噛みしめつつ、庭面の風音に耳をかたむける。
 −この土地にいてはだめだ。俺は死神に憑かれてしまう−
 造酒は熊野屋治兵衛の便船に乗り、しばらく紀州へ帰ろうと思っていた。だがおいとがいなくなったいま、なにをするのもめんどうくさくなってしまった。
 紀州へ帰ったところで、撃剣指南をして生計をたてるしかない。知りあいの連中は、千葉道場から放逐され、食いつめて紀州へ帰ってきたなどと、陰口をきくだろう。
 造酒は逆境に陥ると、実力勝負で生き抜いてやろうと、ふるいたつ性格であった。
 だが、おいとがいなくなってのち、彼の反撥心は消えてしまった。おいとは造酒の追いかけてゆけない冥途にいる。
 おいとが妊ったのは、天保十一年暮れであった。俺の子ができるのかと、造酒は身内が震えるほどの感動を覚えた。
 おいとは体調がよく、悪阻で食べたものを吐いては、空腹だといってまたすぐに食膳にむかった。造酒はおいとがいとおしくてならなかった。
 生れてくる子と三人になれば、いままでとはまったくちがう、張りあいのある世帯を持てるようになる。
 造酒はわが子の生れてくる日を待ちわびた。だが翌年に、おいとは難産であっけなく死んでしまった。胎児は娘であったが、臍の緒が首に巻きついていて、死産であった。
 おいとが苦しむのを、枕もとで脂汗をかきながら見守っていた造酒は、彼女が息をひきとったとき、産婆が驚いて腰を抜かしたほどの大音声で叫んだ。
 「神仏はどこにいるのだ。なにゆえ、俺を一人でこの世に残したのか」
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■剣豪ながら不運の死を迎えた

<本文から>
「畜生め、このままいっちめえやがるのか。こうなりや、当っても当らねえでもぶっ放してやるか」
 繁蔵は虫の好かない造酒を、せめて驚かしてやりたいと、短銃を再びとりだし、子分にいった。
「俺の前にあぐらをかけ。手前の肩を借りて撃ってやる」
 繁蔵は、十間(約一八・二メートル)は離れている川船の造酒をめがけ、短銃をつづけさまに放った。
 撃ったあとは、一目散に逃げるばかりである。
 だが、繁蔵は眼を疑った。
 造酒が前のめりに倒れ、筆算の下の姿が消えた。船頭が水樟を船上に放りだして何事か叫んでいる。
 「当ったんだ。造酒をやっちまったぞ。さあ、逃げろ」
 繁蔵たちは土手下の葦原を、息を切らせ駆け去っていった。
 造酒は、繁蔵の放った最初の一発で、耳の下を撃ち抜かれ、声をあげる間もなく、瞬 間にこときれた。
 かつて朋友岡野直豪が、名もない三ン下にヒ首で脇腹をえぐられ、不慮の死を遂げたように、造酒もまた、落雷に遭ったような、思いがけない死にめぐりあってしまった。
造酒と岡野は、いずれも剣の天才を持っていながら、不運の生涯を終えた。
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