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<本文から>
左門のなにげなくいう述懐が、新右衛門には、凝りかたまった己れの心を解きほぐさんとする思いやりであることは、すぐ解った。
彼の頭蓋を日夜締めつけていた焦燥が、左門の一言によってすみやかにうすらぎ、やがて消えた。
勝とうと思いつめ、習いおぼえた技を出そうと思いつめ、打ちかかろうと思いつめるのは、すべて試合にのぞむ者の、罹ってはならない心の病いであった。
打つ気をなくして、待とうとばかりするのも病いであれば、心の固まりを解きほぐし、平常心に戻ろうと思いつめるのも痛いである。
新右衛門は、知らぬ間に内心に病いを生じていたことを、はずかしく思った。剣術者の心は、虚空を吹き来り去る大風のように、一所にとどまることなく、つねにさわやかであるのだ。
その夜、新右衛門は熟睡した。翌日になれば、若い体躯には力がみなぎっている。
「心は待つ、身は掛かり」
彼は胸にくりかえしつつ、左門を相手に稽古をする。大内家の弟子たちは、その様をみて、感嘆する。
「なんと身の軽きことよのう。まるで猿としか思えぬではないか」
「いや、あのような眼覚しい動きを、いままで隠しておられたのか」
六月八日には、足利義軍が京都に到着し、行列は都大路を埋める町衆の注視のなか、室町柳営に入った。 |
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