津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          椿と花水木 万次郎の生涯(下)

■結婚したキャサリンの死

<本文から>
 「私の留守中にマンが結婚したキャサリンのことだが」
 万次郎ははにかむ。
 「わえはハナロロでキャプテンにそのことを手紙でお知らせしゆうと思うちょったが、はずかしゅうて書きそびれたんですらあ」
 ホイットフィールドはうなずき、しばらく黙っていた。
 「キャサリンに何ぞあったがか。今日来ちょらんのは、病気ですろうか」
 ネィットフィールドはうつむき、頭を振った。
 「いや、そうじゃない。彼女はこの世からいなくなったんだ。つい先月のことだ。鱒の漁に出て、船のうえからいなくなってしまったんだよ」
 万次郎は全身を殴りつけられたような衝撃に、顔をゆがめた。
 「え−つ。そりや何ちゅうことですろうか。キャサリンはおらんがか。どこへいきようたんかのう」
 ホイットフィールドは無言でうなずく。
 「そりや何じゃねや。分らんがや」
 ホイットフィールドの腕をつかんで叫ぶ万次郎の声に、会計事務所にいる人々の視線が集まった。小声でささやく者がいた。
 「かわいそうに。マンはいなくなったキヤサリンの亭主さ」
 ホイットフィールドは万次郎を見すえていう。
 「おちつくんだ、ジョン・マン。人はどのような運命にも耐えていかねばならない。つらいときは神におすがりするんだよ」
 万次郎は燃える眼差しをむけ、押えた声音で聞いた。
 「わかったですらあ、キャプテン。何事か起ったか、教せとうぜ」
 「うん、先月二週めの土曜日の朝は曇っていたが南風が吹き、海は静かだった。キャサリンと父親のジムは早朝からウエスト・アイランドの沖へ鱒漁にいっていた。豊漁で、鱒はいくらでも網にかかったそうだ。ジムが船倉へ獲物をはこび、船上へ戻るとキャサリンがいなかった。呼んでみたがどこにもいない。必死で探したあげく海へ飛びこんだが深くて底にはとても潜れない。ながく潜ると冷たくて心臓麻痺をおこす」
 万次郎はホイットフィールドの上衣のボタンを見つめ、聞いていた。
 思いがけないことが起ったのだと考えても、嘘のように思える。全身のカがぬけ、みぞおちの辺りがだるいが、彼は平静をとりもどし、ホイットフィールドの言葉をひとごとのように開く。
 「結局、キャサリンはいままで行方不明だ。マンには気の毒だがあの辺りの海に落ちた人は浮きあがらないことが多いんだ。海草がたくさん流れているので、からまってしまうんだよ。キャサリンは何かのショックを受けた状態で海へ落ち、声もあげず沈んだのかも知れない」
 万次郎は突然、身内を針で刺されたような苦痛に飛びあがる。
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■琉球に帰国する

<本文から>
 三人は懸命に櫓を押し、磯へ近づいてゆく。珊瑚礁のうちに入ると水深は浅くなり、海面は鏡のように静まった。
 南の海で眼にするような極彩色の小魚の群れ泳ぐ海面を漕ぎ進み、磯に着くと伝蔵が船べりから飛び下り腰までの水を掛って釣り人に走り寄り、声をかけた。
 「お前んら、この辺りのお人かえ。ちと物をば聞きたいんやがのう」
 三人のうち日本語をもっともたしかに操れる伝蔵であったが、釣糸を垂れていた男たちは驚いて竿を投げだし逃げ去ってゆく。
 「待ってくれ。わえは大和びとじゃき。異国の者でないろう。土州の者じゃき」
 伝蔵はあとを追いつつ呼びかける。
 釣り人たちはメリケのワワエロ(ズボン)、ジャケット、パルレをつけ船員帽をかぶった伝蔵を見ておどろいたのである。
 「待て、待ってくれ」
 伝蔵が走りながら幾度も呼びかけるうち、釣り人の一人が立ちどまり戻ってきて話しかけてくる。
「おおきによ、よう戻ってくれたのう。わえらはいまメリケからきようたぜよ」
 相手はしきりに何事か問いかけるようであるが、一語も通じない。
 伝蔵はやむなく男と別れ、ボートへ戻った。
 伝蔵は絶望に声をふるわせ、万次郎にいう。
「もうあかんぜよ。ここは言葉の通じる土地でないけえ、琉球でないがか」
 伝蔵が釣り人に語りかけた言葉は、土州弁と英語、オアホ語のまじったもので、通じないのが当然であったが本人は気がつかない。万次郎はホイットモアから貰った琉球の地図をひろげてみた。
「ここは琉球の南のほうに違いないが。まちごうてはおらんきに」
 伝蔵も気をとりなおした。
「人がいよるけえ、家もあろうが。行ってからにわけをいうたら分ろうかえ」
 万次郎は拳銃を腰につけ、伝蔵とともに浜から樹林を抜けて人家を求めて歩いた。
 行手から四、五人の男が歩いてきたので、伝蔵は小走りに近寄り聞いた。
「ここは何ちゅう土地かの−し」
 気をおちつけたしかな口調でたずねてみると、ひとりの若者がたしかな日本の言葉で答えた。
「ここは琉球の国、マフニマジリオドハマという所にござりまする」
 伝蔵と万次郎は歓喜に胸を高鳴らせた。言葉が通じた。
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■語学に天与の才をそなえる万次郎は琉球弁と侍言葉を習得

<本文から>
 彼は琉球の異国船への対策を迫られていた折柄、アメリカから帰国した土佐の漁民三人が翁長村に保護されていると開き、興味を示した。
 「その者どもを早速に鹿児島へ連れて参るがよい。メリケンの様子など、あたらしきことどもを存じおるやも知れぬ」
 万次郎は翁長村の住民たち、警固の役人ともうちとけてつきあえるようになっていた。
 語学に天与の才をそなえる万次郎は、数カ月のうちに琉球弁と侍言葉をあやつれるようになった。そのうえ日本文の読み書きにも昼夜の別なくはげんでいる。
 那覇に在番していた奉行島津久包は、三人の漂流者のうち万次郎が頭脳明晰でアメリカの事情を手にとるように話すと役人から開き、番所へ彼を呼び寄せ、詳しく海外の形勢、地理、人情を聞いた。
 万次郎は不自由な侍言葉を駆使して、的確に返答する。久包は談話の内容に感嘆するばかりであった。
 「万次郎の申すことは、何でんかんでん瞼ばひきあけらるっ思いじゃ。ほんなごつ益すっこと大なるものよ。早うお殿様へ申しあぐつがよか」
 久包は質問筆記した帳面を便船に托し鹿児島へ送る。
 万次郎が連日奉行所へ招かれ、島津久包と歓談するようになると、役人たちの態度がかわった。
 はじめは「汝」と呼んでいたのが「お前んさあ」と敬語を用いるようになる。
 「万次郎は偉か学者じゃっど。そんうちにゃ鹿児島へ呼ばれてお殿様にもお目通いしんしゃると」
 役人たちは雲上の存在である斉彬にも面談するであろう万次郎に、丁重な応対をする。
 万次郎は六月頃から翁長村の村民たちがおこなう綱引きの稽古に参加していた。流球では八月十五日の夜、どの村でも東西に別れ綱引きをする風習があった。
 万次郎は徳門家が村の東側にあるので東組に加わり、捕鯨で鍛えた腕力を発揮して綱を引いた。
 島津斉彬は鹿児島へ帰ってのちまもなく万次郎たちに帰国の指図をしていたが、七月になって彼らを迎える藩船大聖丸が那覇に入港した。
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■母との再会

<本文から>
 万次郎はさまざまの思いのせめぎあい波立つ胸をおさえ、空を踏むような足取りで峠を下りてゆく。
 浜辺から谷前の集落へ入ろうとすると、道端で行きあった男が声をあげた。
「おっ、万次郎はんがきたろう」
 彼が叫ぶと家並みのあいだから人影が走り出てくる。地下役人が告げた。
「家へ去ぬのはあとにしておくれ。庄屋の家へ挨拶に寄らにゃいけんきに」
 庄屋の前庭へ入ると、昔は声もかけてくれなかった主人が笑みをうかべ迎えた。
「ようお帰り。万次郎どんは立派な押し出しのきく男になりよったのう。まああがっておくれ」
 座敷へ通され、床を背に坐らされたが万次郎はおちつかない。
「うちの者は、まだきよらんかの−し」
「いま呼びにいきよったけん、もうじききよらあ」
地下役人たちと車座に坐ると、祝いの膳がはこばれてきた。
 縁先に浦人たちがきて声をかけるが、万次郎には見覚えのない男女が多い。
 やがて村年寄が声高に告げた。
「万次郎どん、お母はんじゃ。お志おはんがきたぜよ」
 万次郎は立ちあがった。
 志おが萎えくたびれた袷に前掛けをつけ、座敷に入ってきて放心したように万次郎を見た。
彼女の、うしろに時蔵、セキ、シン、ウメがいる。
 志おは頭髪に白いものがまじり老けていたが、万次郎が長い年月のあいだくりかえし、宙に思いえがいていたままの面ざしであった。
 志おは一言も口をきかず、視線をせわしくうごかし、万次郎の顔を眺めまわした。
 万次郎は怯えたような志おを見てほほえみつつ声をかける。
 「ただいま帰ってござります。まずはお母はんにもご機嫌でおめでとうさんじゃの−し」
 志おは夢からさめたように両眼に激情の炎を燃やし、飛びかかってきて万次郎を抱きかかえた。
 「やっぱりお前んは万次郎か。海へ流された悲哀な子おか。万次郎、万次郎。よう帰ったのう」
 志おは泣きむせぶ。
 万次郎も傍目を忘れた。
 「お母はん、わえはお前んに逢いとうて帰ってきたんぜや」
 彼は涙が溢れおちるのをとめられなかった。母子が抱きあい泣きむせぶ様子を見た村人たちは貰い泣きをした。
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■カメラ、ミシンを初めて日本へ持ち帰った

<本文から>
  こりや珍物じゃ。江戸へ持ち帰って使いよったら、びっくりしよらあ−
 万次郎は写真機屋にたずねた。
 「これを一台買いたいんじゃが、使いやすい品はどれじゃ」
 店主は万次郎の流暢な会話におどろきつつ、ダゲレオタイプという箱型写真機をとりだした。
 写真機を用いるには物理化学の知識が必要である。万次郎は写真機屋の主人に聞く。
 「これを買いもとめたら、写真をとる手順は教えてくれるかや」
 主人はうなずく。
 「私の知りあいに写真撮影の技師がいますから、彼のところへ通って教わればいいでしょう」
 「それなら買うことにすらあ」
 万次郎は江戸で誰も用いたことのない写真機を買いもとめ、技師のもとをたずね撮影法を教わった。
 撮影の直前にガラス板にフィルムをこしらえ、自分で調合した現像液を使って写真をできあがらせる技術は、英語を流暢にあやつれる万次郎のほかには理解できないことであった。
 彼は日本で最初のミシンも買いいれた。中浜博氏は当時の事情をつぎのように述べておられる。
 「ミシンといっても、現在私たちが考えているものとはすこし違っている。ミシンはその機械本体ばかりではなく、それにウォー〜ナットの箱をつけたり、花模様の装飾をほどこしたり、机の形にしたりして当時は機能のほかに高級家具のひとつとして扱われていた。
 ミシンがあることがその家のステータスシンボルとなったわけである。
 そのためミシンの値段は機械以外の付属品や装飾の程度により大幅なひらきがあり、シンガーミシンの場合古ドルから二百ドルくらいであったという」
 当時、アメリカの一般家庭の平均収入が五百ドル前後であったので、そうとう高価なもの であったわけである。
 木村郡部胡がメーア島の宿舎に滞在しているとき、近所の造船所士官の自宅に招かれたが、そのとき十歳の末娘がミシンを踏んでみせ、日本人たちは機械が緩急自在に運転きれ、迅速に縫いものができることに驚いたという。士官は自らのステータスシンボルを訪客に誇示したのであろうと中浜氏はいわれる。
 万次郎が買いもとめたのはシンガー社製品より簾価なウィ〜ソン社製であったというが、 中浜家にそのミシンは現存しないそうである。
 万次郎は書物をも多く購入した。
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■軍艦操練所教授方を罷免され写真機で生活する

<本文から>
 万次郎は万延元年(一八六〇)八月二十五日付で、軍艦操練所教授方を罷免された。
 その理由は成臨丸で帰国後、万次郎が横浜沖に碇泊しているアメリカ汽船に招かれて出向いたことにある。勝手にアメリカ人と交際したのが、幕臣にあるまじき行為であるとされたのであった。
 −まあええが、何とでもいうちょき
 万次郎はひまができたのをさいわいとアメリカから持ち帰った箱型写真機で妻子の撮影を試みた。
 「まあ、これで私の写し絵ができるのでござりますか」
 鉄はふしぎそうに写真機を見る。
 「待っちょれよ。お鈴も東一郎も写しちゃるき」
 万次郎はアメリカから持ち帰った荷物のなかからガラス板、現像液をとりだし、戸を締めきって入口に黒幕を垂らした暗室を設けた。鉄はよろこんで髪をゆい直し、よそゆきの着物を着た。
「このダゲレオタイプで写すのは、お鉄がはじめてじゃ。按配よう写すぜよ。しばらく動かんちょき」
「これでようござりますか」
 鉄は扇子を右手に握りしめ、こわばった顔つきになった。
「そげな顔せんと、いつもとかわらん額すりやええんじゃ。笑うたらなおええが、写す間が長いけん笑いつづけておられんけえ仕方なかろ」
 鉄は坐りなおし、いくらか表情をやわらげる。
「写す薬はいくらでもあるけん、写し直しはできるぜよ。気楽にしちょき」
 撮影には一分間ほどかかるので、鉄は息をひそめ、緊張のあまり憂鬱そうな表情になる。
「さあ写ったぞ。これで仕上げじゃ」
 万次郎は写真機を持って暗室へはいった。
「どんな絵ができることやら」
 鉄は二人の子供とともに暗室からただよい出てくる現像液のにおいをかぐ。
 まもなく万次郎が出てきた。
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■乞食との平等につきあった

<本文から>
 万次郎は笑いながらいう。
 「この前は遣れなんだが、今日はお前らの順番だ。いいものを残しておいたから食ってくれ」
 万次郎はマンテル服を着て革靴をはいたいでたちであるが、かまわず乞食たちと立ち話をしていた。
 仲居は店に帰って女将に見てきた通りを告げた。
 「なんとまあ、見あげた旦那だねえ」
 女将は感嘆するばかりであった。
 当時の社会では開成学校教授が乞食に物をやり口をきくなどは、ありえないことであった。
 万次郎は出向く先々で乞食に食物を与えていたので、盆暮れには乞食の親分が深川の中浜邸へ挨拶にきた。
 しげは乞食がたずねてくるのを嫌った。
 「あなたはどうして乞食の面倒をみてやるのでしょう。乞食になるような人は怠けもので、 人なみにはたらかないからおちぶれて、勝手にあのような暮らしをしているのだから、相手にしないほうがいいと思います」
 万次郎はしげを諭した。
 「それほどのことは分っているよ。儂はそのようなめぐりあわせの人がかわいそうなだけだ」
 明治三年七月、ヨ−ロッパでプロシア(ドイツ)とフランスのあいだに戦争がおこった。新政府はヨーロッパの戦争を観戦させるため諸藩の識者を派遣することとした。
 薩摩の大山弥助(巌)、肥前の池田弥一、長州の品川弥二郎、土佐の林有造らが渡欧することになり、万次郎は通訳として彼らと同行せよと命ぜられた。
 そのとき外務省の役人のひとりが、万次郎が日常乞食とつきあっていることをやめさせようとした。
「政府の使臣としてヨーロッパヘ出向く者が乞食を近づけているとあっては、自ら威信をけがすものである。さような者へのあわれみは今後いっさい無用にいたされよ」
 万次郎は役人にいった。
「貴公が衆庶のうえに立つりっぱな役人となられたのは、貴公の運気によるものでしょう。永代橋界隈にむらがる乞食たちもまた、その運気に導かれて零落したものであります。私はあの者どもをあわれむのではなく、本来人はすべて平等であるべきはずが、さような運気によってつまらぬ暮らしをいたす人生の無常の姿を悲しんでいるのです」
 役人はいいかえすことができずひきさがった。
 万次郎はホイットフィールド船長から身をもって教えられた隣人愛をつらぬこうとしていた。
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