津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          椿と花水木 万次郎の生涯(上)

■ジョン・ハウランド号に奇跡的に救われた

<本文から>
 万次郎はやわらかい枕に頭をあずけ、壁にかけたギヤマンの筒のなかで光りを放っている焔をみつめているうち、睡気をもよおす。
 −この船の旦那らは、どこの国のお人か知らんが、偏屈でない大福帳な気のええお人ばっかりじゃけん、わえらも命拾いしたぞ。お母はん、家へ去にたいぜよ−
 飢渇にさいなまれ、眼前に死の恐怖が立ちふさがっていた島での明け暮れでは、気がはりつめていて故郷を偲ぶ余裕はすくなかったが、生きのびられると思うと、志おの顔が脳裡にひろがる。
 万次郎はあふれ流れる望郷の涙をてのひらでおしぬぐいつつ、睡りにおちた。
 翌朝、五人ははやばやと起き、掃除、洗濯などしている男たちに手まねで手伝わせてほしいと頼む。
 男たちは五人の体が衰弱しているため、はたらかないでもよいと手まねで告げ、肩を叩いていたわる。
 「ほんにええ人ばっかりじゃ。地獄に仏というがか」
 筆之丞が涙ぐんだ。
 万次郎が前日まで水と食いものを求め、さまよい歩いていた島を舷側から眺めていると、うしろから肩を叩かれた。
 ふりむくと船頭が立っていた。年齢は四十歳前後、肌は白く、黒い頭髪をうなじの辺りで切りそろえ、口髭はない。
 彼は万次郎に手まねで島へ戻れと命令する。万次郎は足もとが崩れおちるような衛撃をうけた。
 この旦那は儂に島へ去ねというがか。なんでわえだけ置いていかれるんかや−
 彼の両眼から涙が噴きこぼれる。
 「どうぞ島へ戻すのだけはこらえておうせ。どげな仕事でもするけん、命だけは助けておうせ」
 万次郎は必死にかきくどき、胴の間(甲板)に額をすりつける。
 船頭はほほえみうなずいて万次郎の肩をたたき、幾度もおなじ言葉と仕草をくりかえす。
 万次郎は涙に濡れた顔をあげ見守るうちに、船頭が島へ置いてきた身の回りの品などがあれば取ってくるよう、すすめているのだと気づいて安堵した。
 万次郎たちが救われた船は、アメリカ合衆国東海岸マサチューセッツ州フェアヘブンの港を根拠地とする、三百七十七トンの捕鯨船ジョン・ハウランド号であった。
 世界の海に出漁する捕鯨船のうちでも、特に大型である。
 船体の全長が五十四メートル、幅十・八メートル。船内には二門の大砲と剣付鉄砲が三十挺そなえられていた。
 船倉には各種の食料が多量に貯蔵され、洗濯も自由にできるほどの水も貯えられている。生きた牛や豚まで飼育されていた。
 船底に鯨油を詰める大簿が六千個も積みあげられている。乗組員は三十四人、船内は整頓され、掃除がゆきとといていた。
 船長はウィリアム・エッチ・ホイットフィールド。一八〇四年十二月生れの三十六歳で、 マサチューセッツ州の旧家の出身であった。
 一六二〇年に信教の自由を求め、メイフラワー号に乗ってアメリカ大陸東北部に上陸した 清教徒の子孫で、厳格な道徳規律を身につけた人物である。
 船長は四年前の一八三七年五月三十一日に、夫人を病気で先立たせていた。
 彼は一八四一年六月二十七日に万次郎たちを救助した。この日の航海日誌に、五人の漂流者を救ったことが、簡単に記されている。万次郎たちは稀れな幸運に恵まれたのである。
 ホイットフィールド船長の航海日誌には、つぎのように記されている。
 「日曜日、六月二十七日。南東の微風。島影あり。午後一時、二隻のボートを出す。この島に海亀がいるかどうかを見るためである。そこで五人のみすぼらしく疲れはてた漂流者がいるのを発見。本船に連れ帰った。
 彼らは飢えを訴えるが、ほかには何事も理解できない」
 島の緯度は北緯三十度三十一分と記されている。アメリカの船乗りのあいだでハレケン・ アイランドと呼ばれていた無人島に、ジョン・ハウランド号が近づいたのは、海亀を捕えるためであった。
 海亀のスープは、彼らの好む珍味である。船長が海亀を探そうと思いたたなかったならば、 万次郎たち五人はまもなく飢渇にさいなまれつつ世を去る運命に追いこまれざるをえなかったにちがいない。
 万次郎たちが無人島に上陸したのは、天保十二年正月十四日であった。捕鯨船に救助されたのが同年五月九日であるが、二月に眺朋があるので、島で暮らした期間は五カ月ほどである。
 太陽暦によれば、一八四一年二月五日に島へ上陸し、六月二十七日に救われたので、島で百四十三日を過ごしたことになる。
 ハレケン・アイランドとは、現在の東京港から南へ五百七十キロヘだたる洋上、八丈島と小笠原諸島の中間に位置する鳥島である。 
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■アメリカの自由と平等の精神に感動する

<本文から>
 万次郎を知る人々は、一様に彼に好意を持つ。
 彼の素直で勤勉な性格と、すぐれた知能をたかく評価するためであった。万次郎が書物にむかうとき、深い集中力を文字にむける姿には、気迫があふれていた。
 万次郎は、アメリカという国家がいままで想像したこともなかったほど、自由と平等の精神によっている現実をしだいに理解していった。
 日本では、毛の抜けた馬にまたがった浦方役人にさえ、土下座しなければならないが、アメリカでは王は国中の賢人のなかから撰ばれた人物で、彼と会う国民は土下座することもなく、立ったまま握手ができるのである。
 日本の地方奉行などは雲のうえの人で、万次郎は姿を拝んだこともない。
 土佐の殿様や、大名のうえに立つ公方さまなどは、おなじ人間とも思えない神仏のような縁遠い存在である。
 アメリカの王は、四方年の任期が満了すると引退する。国じゅうの賢人が相談のうえ、王に大徳あればさらに四カ年、都合八カ年政事を受け持たせる。
 王は外出するのに行列をつくらず、家来をひとり連れるのみであるという。
 隠居すれば隠居料をもらい、一生安楽であるため、権力の座にいるとき賄賂をとることはない。万次郎は民百姓でも学問しだいで王に登用されると聞いたとき、胸が痺れるような感動を味わった。百姓は畑を開墾すれば作物はわが物になり、年貢を取られないので裕福であった。
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