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<本文から>
二人の結婚式は、翌日おこなわれた。デイ・セチェンの帳殿の接見の間に三百人の招客が集まり、昼夜を問わず酒宴がつづいた。三昼夜の酒宴のあと、テムジン夫妻はベルグティとともに、ボスクル氏のグリエンを出発した。
ビュルテには男女の従者二十人ほどがついている。デイ・セチェンの贈り物を積んだ馬と駱駝の列が、延々とつづいた。贈り物のなかには、テムジンの全財産よりもはるかに高価な黒紹の袋も含まれていた。
デイ・セチェンには、人間の将来の運命を洞察するカがそなわっていたにちがいない。そうでなければ、かつて婚約を交わしていたとはいえ、父のイエスゲイ・バァトルの没後、二十人たらずの家族、戦士とともに、危険きわまりないブルカン岳の麓に住んでいる、微力なテムジンに、愛娘を与えなかったであろう。
ビュルテの婿として、大部族を率いる青年武将を選ぶ機会は、いくらでもあった。デイ・セチェンは、クルバガンを常食として貧困に堪えてきたテムジンが、モンゴル族に前例のない大発展を実現する強運をそなえているのを、見抜いていたのである。
デイ・セチェンは、ケルレン河畔のウラル・チョクという集落まで娘夫婦を送ってきたが、母親のチョタン夫人は娘と別れるのが辛いので、ついにセングル小河を遡り、青い湖を見おろす丘陵にある、テムジンの牧営地までついてきた。
チョタン夫人は、貧弱な牧宮地を見て、不安の思いに駆られたであろうが、テムジン夫妻とビュルテの従者たちの幕舎ができあがるまで、十日ほど滞在したのち、別れを惜しみつつ帰っていった。
テムジンの牧営地は、幕舎の数がそれまでの二倍に増え、集落の形がととのってきた。ビュルテが持ってきた財産は、テムジン一族の生活をうるおした。 |
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