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<本文から>
半年ほどの間に、加賀、薩摩、尾張、津などの江戸勤番の士分が、幾人かずつ入門してきた。さらに品川町界隈の町人が五人、七人とまとまって弟子入りした。
周作は彼らにわけへだてなく、熱心に教える。新参の門人たちは、最初周作の巨大な体を見て、どのように手荒く扱われるであろうかと怖れるが、案に相違したやさしい態度に安心した。
よその町道場では、師範は自らの流儀は形稽古によって教えるが、しない稽古では肝心な要領を、なにひとつ教えようとしない。たやすく教えては、門人が強くなり、手におえなくなるためであった。
「剣術に強くなりたければ、毎日道場へ通い、熱心に稽古するのが第一だ。数多く相手に当り、体で打ちあいの呼吸を覚えるのだ」
師範としては、門人がむやみに打ちあいを重ね、上達するのに時日をかけてくれれば、月謝を多くとれるので、好都合であった。
門人たちは懸命に稽古をするあいだに、師匠の遣う技を見よう見まねでなぞり、しだいにしないの扱いを覚えるのだが、師匠に追いつく腕前になるのは、いつのことかおぼつかない。
周作は門人には、惜しみなく技の秘密を教えた。身の丈六尺の周作は、眼光桐々とかがやき、人を威圧する風貌をそなえている。
左右の手を下げると、指先が膝につくほど長く、体を曲げ手足を四方にひらけば、二畳間の四隅に達する。
力は人並みすぐれ、厚さ六寸の碁盤を片手に持ち、五十匁蟻燭の炎を煽って消すほどであった。
彼は門人たちに、自分が長年月をかけ、体得してきた秘訣をことごとく伝授してやっても、師匠として彼らに技偶のうえで追い越されるようなことはないと、自信があった。
周作は教える。
「しないの打ちあいばかりやっていても、剣理を学ばねば上達は遅くなるばかりだ。儂は修行のあいだは、床に就いたのちも剣理の工夫を怠らず、夜もろくに寝たことがなかったほどである。強敵に打ち負けた日などは、なにゆえに負けたるかを考え、終夜一睡もせなんだのじゃ。いまの世間を見れば、技はまずかなり出来る者でも、剣の理を工夫することを怠っておる。そのためひとところで足踏みし、なかなかに上達せぬのじゃ」
周作は弟子たちに、返し技を手にとって教えた。 |
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