津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          千葉周作・上

■仙台での大会で優勝しても傲らぬ子供時代

<本文から>
  幸右衛門は、於菟松を連れて荒谷村へ戻る途中、歓喜が胸にこみあげ、眼尻ににじむ涙を幾度となく拭いた。
 (於菟はやはり、儂の思うた通りの偉材であった。於菟の器量をこうして見きわめたからには、孤雲殿の言う通り、江戸へ出してやらねばなるまい)
 幸右衛門は、田畑、屋敷を売り払ってでも江戸へ出ようと、思いつめていた。
 「於菟松、どうじゃな。勝ちいくさの気分は」
 幸右衛門は、ならんで歩む於菟松に問いかける。
 「そうだなっす。甘んず、夢のようだなっす」
 「うむ、夢のようか。胆のふとい奴じゃな、お前は。仙台家中の子弟より、撰りぬいた百二十人のうちで、第一等の剣士の栄えをうけたのに、うれしくはないのか」
 「うれしいっちゃ、父さん。俺の腕で、よく勝てたものだなっす」
 於菟松は、歩きながら試合の経過をくりかえし思いだしていた。
 彼は試合での優勝を、幸右衛門ほどにはよろこんでいなかった。自分の立ち合いの細部を検討してみると、相手が拙劣な試合はこびをしたのにすくわれて勝ったと思える場合が多い。
 理詰めの剣で相手を追いつめ、勝つべくして勝った試合でなければだめだと、於菟松は考えていた。
 偶然に勝ちを拾っても、わが力備の冴えによるものではない。真剣勝負をおこなうとき偶然に頼るあやふやな剣法では命を全うできない。
 (俺はこんどの試合じゃ、勝ちを拾えたが、こんなことではよろこべねえ。もっとたしか な剣さばきを、身につけにゃ、いがね)
 於菟松は、大勝をよろこぶよりも、むしろ、自戒のおもいをつよめていた。
 幸右衛門は、菅笠のしたで沈着な表情をみせる於菟松をみて、やはりただものではないと考える。
 (この子は、勝っておごらぬのが頼もしいぞ。技芸は慢心いたさぬうちは上り坂じゃというが、草深きいなかより出て、仙台という大邑に気遅れもせず、勝ちを得ても平素とかわらぬ顔つきじゃ。於菟は儂よりうわてじゃな)
 幸右衛門は、うれしさをかくせない。
 荒谷村に近づくにつれ、思わず足どりがはやくなる。
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■負けた時に勝負にこだわらない稽古に打ち込む

<本文から>
  綾の問いかけに、周作は知らぬうちにひきこまれていた。
「水が流れるのを見るのが、こころよいからだ」
「なぜこころよいのでございましょう」
 周作は、すきとおった水が、もつれあい、もりあがりつつ、下流へ流れてゆく、豊かな動きを笛にえがく。
 「そうだな、水の動きは何ものにもとらわれず、のびやかだから」
 綾はしばらく黙っていたが、ほほえんでいた。
 「周作さまが、道場へおいでにならぬのは、他流試合のお人に敗けたのが、くやしいからでございましょう。川水が流れるのを見るのがお好きなら、ご自分も、何ものにもとらわれぬお心持ちになられては、いかがでございますか。さあ、いまから私と道場へ参りましょう」
 周作は綾に本心をつかれ、顔に血が昇った。
 彼はうろたえつつも、綾のいうことがもっともだと気づく。
 「なるほど、流水のようにとらわれるなと、綾どのは申されるか。そういわれると、一言もない。俺は試合に敗けてのち、あまりにも、勝負にこだわりすぎていたようだ。綾どののいわれるように、何ものにもこだわらず、稽古をしてみよう。ひとつ、大敗けに敗けてみるか」
 「そうなさいませ。さあ参りましょう」
 周作は綾と肩をならべ、堤を下りた。
 人目の多い町筋へ出ると、若い男女が連れだって歩くのは不都合なので、周作は綾とはなれ、足早に道場へむかった。
 その日は、周作は道場で稽古をするあいだ、なるべく大きな技を出すよう、こころがけた。相手に勝とうとは思わず、下腹にカをこめてしないを振る。
 左手の小指、くすり指と下腹で打ち、右手には力をいれるなという又七郎の教えを守り、手足を伸ばせるだけ伸ばして、打ちこみの基本を忠実にくりかえす。
 彼は、いままで放けたことのない相手にも、さんざんに打ちこまれたが、心中の動揺は消えていた。
 半年ほどのあいだ、周件の剣技は不振をつづけた。いままで眼のさめるようにあざやかであった進退は、鈍重をきわめ、ここぞという機をつかんでの猛攻は、かげをひそめた。
 周作は無心であろうとして、容易に無心にもどれない。いま打ちこめばいいのだが、と思っても、疑いの心がきざして、すなおに打ちこめなかった。
 (俺はこのまま上達できないはずはない。かならず立ちなおってみせる。打ちこみの教えを忠実に守っているのに、迷いがはれないのは、他流試合の敗戦で、自信をくつがえされたままになっているからだ。よし、深谷宿まで出向いて、あの侍をたずね、試合をすればよい。勝てば、自信をとりもどすことができるのだ)
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■他流試合の要領を諭され眼を開く

<本文から>
 周作は石田から、他流試合の要領を聞き、眼をひらかれる思いであった。
 萩原もうなずく。
 「たしかに、石田のいう通りだ。世間には本音だけでは通らぬことがあるものだ。要領よく生きてゆかねば、命がいくつあっても足らぬことになる。千葉さん、あんたは俺の見るところでは、大人の風格というべきものがある。いずれは剣術の道で出世する人だ。こうして旅に出てみて、世間の裏表を知ることも大切だよ」
 周作は、萩原たちの訓す言葉をかみしめる。なるほど武者修行といえば、真正直に勝つことばかりを考え、腕にまかせて道場破りばかりをすることではないと、彼は理解した。
 人情を解し、どの土地へいっても風波を立てないよう心掛けてこそ、人格が練れてくるのである。
 「お二人の仰しゃることが、身に沁みてござります。私は若気の至りで、気が逸りすぎておりました。こののちは、もっと相手方の身にもなって、考えるようにいたしましょう」
 周作は、頭を下げた。
 酒を汲みかわすうち、石田の弟子が座敷へ知らせにきた。
 「ただいま、佐橋の子分どもが三十人ほども、門前に押しかけてきております。先生の仰せの通りの挨拶をしましたが、千葉殿を出せと申し、ひきさがりません。いかがいたしましょう」
 石田は、肩を揺すって笑った。
 「よし、それならば俺が出ていって、追い払ってやろう。ご両人も顔をみせてやるがよろしい」
 石田は刀を腰に差し、立ちあがった。
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■新機軸を出すために裕福な暮らしを捨てる

<本文から>
 先代中西忠太の教えを守り、生涯を終えることが、わがつとめであると思いこんでいる。
 又七郎のいう通りに従っておれば、江戸有数の剣客として、ひとにあがめられ、裕福な暮らしが送れる。
 又七郎は周作が中西道場へ入門するとき、ここはお前の登音門だといったが、立身出世の目的はたしかに叶えられた。
 しかし、周作には浅利道場を日本一の規模にしたい、野心があった。指南の内容は周作の工夫によって変えられるが、組太刀、昇格の順序が中西道場と同様では、このうえ諸国からの入門者を集めにくい。
 周作は一刀流組太刀を改めねば、新機軸は出せないと考えていた。又七郎は、周作が改良を口にするとしだいに怒りをあらわすようになった。
 「周作、お前を養子にしたのは、道統を守り育ててくれるであろうと、思ったゆえだ。それが、改良せよというのなら、儀はお前を離縁するぞ。こののちは離縁を覚悟で話をしろ」
 又七郎は、いったんは道場経営を周作に譲っていたのに、意見が相違したのちは、毎日のように稽古のさまをのぞきにくる。
 周作が中西派剣術に反した指南をしようものなら、憤然と立ってきて、叱りつける。これではとてもともに暮らしてはいけないと、我慢づよい周作も見極めをつけるようになった。
 彼は綾に事情をうちあける。
「綾、俺はこのさき、とてもここにいることはできぬ。俺は浅利家の婿として納まっておれば、衣食に恵まれ、何の苦労もせずにすむだろう。しかし、それでは俺の剣術を生かすことはできない。このまま日を送れば、いずれは父上と喧嘩をして家を出ることになろう。俺は離縁され、一貧士として暮らすようになってもかまわぬが、お前は浅利家にのこり、俺のかわりにしかるべき婿を迎えるがいい」
 綾は涙を流し、周作の胸にとりすがる。
 「なんというつれないことを申されるのですか。親子は二世、夫婦は三世というではありませぬか。私はあなたと別れるくらいなら、死にましょう」
 周作は綾を抱きしめた。
 「俺も別れたくはないが、お前に苦労をかけるのが哀れと思うのだ」
 綾は周作に決心を告げる。
 「あなたが浅利家を出るときは、私もごいっしょにお連れ下さいませ。どのような裏店の住いでも、苦情は申しませぬ」
 「そうか、俺は陸前から松戸へ出てきて以来、十年の余も父上を師と仰いできた。いま養家を去れば、理由の如何はともかく、世間からは恩知らずといわれ、暮らしむきも辛くなるにちがいない_しかし、俺はいかなる苦労も乗りこえ、かならずわが道場を持ってみせる。中西道場よりも、一刀流の本義をわきまえた、立派な流派を立てるのだ。」
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