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<本文から>
二木 流派の数が増えていったことにはさまざまな意味がありますね。金儲けのためですとか、師弟の派閥争いから破れた者が一門を興したりですとか、あるいは浪人が食うために流派を増やしたりですとか。ただ、この時代に武士たちは竹刀と防具を用い、一年中道場でやれる剣術の面白さというのを知るわけです。それも間合いの駆け引きや相手の心を読み、攻めて動かし、一足一刀のもとに相手を斬ることを学ぶ。江戸時代の剣術は小兵が妙技により大力剛者を倒すことも可能なものに発達しております。
これまで剣道史では戦国乱世と幕末こそが剣の時代であって、江戸時代というのは型ばかりの衰退期の剣術であったというふうに言うんですが、私は剣道というものは江戸文化の最高傑作であろうと思っているんです。
津本 江戸の町道場主で一流と言われる人たちの勝負の歩留まりは七十%だそうですね。十回試合して三回負けても一流の道場主だと言われる。千葉周作は全然負けなかったそうですが。
二木 勝負師の凄さがあったわけですね。千葉周作は必ず相手をほめたといいますね。私が一つ剣道で学んだことは、終わったあとに相手をほめることです。礼に始まり礼に終わるということは遺恨を避けるためのひとつの知恵だと思うんです。「お願いします」と始まり、叩き合って「ありがとうございました」「まいりました」と挨拶をするわけですが別にまいったと思ってないわけですよ、内心は(笑)。それでも「まいりました」「いいとこ頂戴しました」という挨拶をするわけです。
幕末に幕府講武所の師範となった男谷精一郎信友は、三本のうち一本を相手に打たせたという。相手に勝ちを譲るということですね。完全に勝つんじゃなくて、どこかで相手に花を持たせる。私が剣道を習った鈴木幾雄先生(範士八段・故人)は誰とやっても合気なんです。相手は「今日は俺も調子がよかった」と思う。竹刀も相手によって重くしたり軽くしたり、女子学生とやるときには袋竹刀を使ったりするわけです。そしてとにかく本気にさせる。これが男谷信友に通じるような、師匠としての面を持った名人じゃないかと思んです。 |
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