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<本文から> 唐代の皇帝の後宮にいた女官の数は、数千とも、数万ともいわれる。
中国では、人事のすべてが天の啓示であるとする考えかたがある。婚姻においても、一人の男性が複数の女性と結ばれることが自然とされる。
天空には帝座の星をめぐって四つの后妃星があり、もっともかがやく星が正妃、他の三つが次妃とされる。中国皇帝は、この自然の法則に従い、四人の妃を持つとされた。
権力、富をそなえた皇帝は、自らに傅く女性を多く持つことで、生活内容をゆたかに充実させるのである。
大官第二代皇帝太宗の妃、武照、のちの則天武后は後宮に入ってのち、太宗の寝殿に召され、臥しどをともにするようになったが、とりわけて寵愛をうけるには至らなかった。
太宗は怜例で機転がきくうえに、男をひきつけてやまないたおやかな姿体をそなえた武照に、媚という愛称を名乗るよう命じた。美少女の魅力につよく感応していたのであろう。
だが太宗には、武照を寵愛し、子を宿させることのできない理由があった。
太宗が皇帝となってまもない頃、太白(金星)が白星にしばしばあらわれたことがあった。
金星が星間に見えるのは、天子更迭を示す天変であるとされている。太史(史官)に占わせると、つぎのように答えた。
「女王さかんなり」
そのうち、国内でふしぎな流言がひろまった。
「唐の三世ののち、女である武王という者が、かわって天下に王となるだろう」
太宗はこの噂が気がかりでならなかったので、太史今の李洋風にたずねてみた。淳風は天象、暦数により占った結果を、太宗に言上した。
「その兆しはすでにあらわれております。その女は後宮に入ることになるでしょう」
太宗は問う。
「疑わしき者を探し出し、殺せばよかろうが」
淳風は、首をふった。
「天の命ずるところは、人力をもっては如何ともなしがたいものでございます。天命によって王となる運をそなえた者は、死にません。疑わしき者を殺すならば、無事の者をみだりに数多く殺すことになりましょう。陛下の後宮に入る女は、こののち三十年も経てば老衰いたします。年老いた女は、情を知るようになり、唐室に代り皇帝となったとしても、陛下の子孫を根絶やしにすることはないでしょう。いまその女を殺さば、天はまた少壮の者をあらわし、この者により陛下の子孫はすべて一掃されるでしょう」
太宗は、後宮にいる数千の女官のうちから、武姓の者をえらびだし、抹殺しようと考えたが、淳風の忠言により思いとどまった。 |
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