津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          則天武后 (上)

■武照は太宗の後宮に入っている頃の予言

<本文から>
 唐代の皇帝の後宮にいた女官の数は、数千とも、数万ともいわれる。
 中国では、人事のすべてが天の啓示であるとする考えかたがある。婚姻においても、一人の男性が複数の女性と結ばれることが自然とされる。
 天空には帝座の星をめぐって四つの后妃星があり、もっともかがやく星が正妃、他の三つが次妃とされる。中国皇帝は、この自然の法則に従い、四人の妃を持つとされた。
 権力、富をそなえた皇帝は、自らに傅く女性を多く持つことで、生活内容をゆたかに充実させるのである。
 大官第二代皇帝太宗の妃、武照、のちの則天武后は後宮に入ってのち、太宗の寝殿に召され、臥しどをともにするようになったが、とりわけて寵愛をうけるには至らなかった。
 太宗は怜例で機転がきくうえに、男をひきつけてやまないたおやかな姿体をそなえた武照に、媚という愛称を名乗るよう命じた。美少女の魅力につよく感応していたのであろう。
 だが太宗には、武照を寵愛し、子を宿させることのできない理由があった。
 太宗が皇帝となってまもない頃、太白(金星)が白星にしばしばあらわれたことがあった。
 金星が星間に見えるのは、天子更迭を示す天変であるとされている。太史(史官)に占わせると、つぎのように答えた。
 「女王さかんなり」
 そのうち、国内でふしぎな流言がひろまった。
 「唐の三世ののち、女である武王という者が、かわって天下に王となるだろう」
 太宗はこの噂が気がかりでならなかったので、太史今の李洋風にたずねてみた。淳風は天象、暦数により占った結果を、太宗に言上した。
 「その兆しはすでにあらわれております。その女は後宮に入ることになるでしょう」
 太宗は問う。
 「疑わしき者を探し出し、殺せばよかろうが」
 淳風は、首をふった。
 「天の命ずるところは、人力をもっては如何ともなしがたいものでございます。天命によって王となる運をそなえた者は、死にません。疑わしき者を殺すならば、無事の者をみだりに数多く殺すことになりましょう。陛下の後宮に入る女は、こののち三十年も経てば老衰いたします。年老いた女は、情を知るようになり、唐室に代り皇帝となったとしても、陛下の子孫を根絶やしにすることはないでしょう。いまその女を殺さば、天はまた少壮の者をあらわし、この者により陛下の子孫はすべて一掃されるでしょう」 
 太宗は、後宮にいる数千の女官のうちから、武姓の者をえらびだし、抹殺しようと考えたが、淳風の忠言により思いとどまった。 
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■武照は後宮に復帰し男子を産み、女官・宦官を味方にする

<本文から>
 長孫無忌も、王皇后の意見に同意し、武照を後宮に復帰させることになった。
 生きながら先帝に殉ずる運命が、ようやく転換して、ふたたび後宮へ戻れると決まった日、武照は亡父武士○に感謝した。
 「私はお父さまに護っていただいているのを知っています。だから、生きながら埋められていた墓場から、また宮城へ戻ってゆけるのです。私は自分の力で道をきりひらき、どのような困難にも立ちむかってゆきます。お父さまの娘ですから」
 武照はすでに、高宗の子を妊っていた。彼女は頭に仮髪をかぶり、迎えの牛車に乗った。
 彼女の艶麗な容姿は、古人が詠じたつぎの詩句を思いださせるほどであった。
 「眸子は炯として、それ晴朗なり。あきらかにうるわしゅうして、観るべきもの多し。眉は聯娟として、もって蛾のごとくあがり、朱唇はあざやかにして、それ丹のごとし」
 武照は、はじめて王皇后の御前に拝謁したとき、彼女と母親の柳氏が、どのような性格であるかを、すべて読みとっていた。
 後宮の儀礼に通じている武照は、おちついた挙措動作に一点の乱れもあらわさず、ひたすら皇后と柳氏に感謝の情をあらわす。
 「このたびは、皇后さまのおはからいのほど、ただただありがたく、謝恩の言葉もないほどでございます。ひたすら粉骨してお仕え申しあげ、ご厚恩の万分の一をも報じたいと思うばかりにございます」
 大勢の侍女を従え、宝座にいる王皇后は、武照に高慢なまなざしをむけ、鷹揚にうなずいてみせた。
 「武婚は眉目よき女と聞いていたが、噂の通りじゃ。これほどの尤物なればこそ、陛下がわざわざ尼に合いにいったのであろう」
 軽侮の意をあらわにした言葉のうちにも、武照が予想をうわまわる美女であるのを認めた内心が、うかがわれる。
 −意地が悪そうに見えるが、単純な女のようだ−
 武照は、皇后に好意をむけさせるには、ひたすら迎合の姿勢をあらわせばよかろうと、推測する。
 皇后にくらべると、四十なかばの年頃に見える母親の柳氏は、手ごわい相手であった。彼女は冷酷な人柄をあらわす、刺すような視線を武照にむける。
 「お前は皇后さまのお情によって、もういちどあたらしい人生を与えていただいたのだよ。
 それを片ときも忘れてはいけない。その真心をあらわさなければ、私が許さないからね。よく覚えておくがいい」
 「お諭しのほど、胸に刻みつけ、あいつとめます」
 武照は、柳氏にむかい丁重に塊拝した。心中では、不敵な思いをゆらめかす。
 −威張れるうちが花というものだ。いまの私は、お前たちに拾ってもらった捨て猫のようなものかも知れないが、いつかは豹になってみせるよ−
 豹になれる見込みはついていないが、武照の胸には、前途の障害に立ちむかう敵愾心が炎をゆらめかせていた。
 永徽三年(六五二)春、武照は後宮で男児を産んだ。高宗第五子の代王弘である。
 王皇后は、武照を無二の腹心であると思いこんでいた。武照は皇后の望むところを、彼女が口にする前に満足させるはたらきをする。武照が身を屈して服従するのは、皇后と柳氏ばかりではない。
 皇后に仕える女官たちに対しても、へりくだった態度を変えなかった。彼女は、高宗から下賜された金品を、宦官、宮婦たちに与える。
 後宮に戻ってのち、妃の地位を与えられていたが、身分の低い者にも朋輩のように接した。
 武照の観察はするどい。皇后、柳氏、蕭淑妃のそれぞれに対し、女官、宵宮の誰が好意を抱き、誰が隔意をひそめているかを、わずかな態度や視線の動きで、すべて読みとっている。
 武照は後宮に仕える男女のうちに、味方をふやしていった。そのため、彼女は皇后の望むところを、先に察知できたのである。
 内廷における武照の人気は、日を追い高まっていった。
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■武照は我が子を殺して皇后への罠をしかける

<本文から>
 武照は、榻に腰をかけ、宮碑に団扇で風を送らせながら、王皇后を陥れる罠を思いついた。
 −思うだけでもおそろしい。こんなことは考えまい一
 武照は頭を振って、考えをうち消そうとした。だが、またおなじたくらみが胸中に頭をもたげてくる。
 −この罠をしかければ、王皇后はきっと逃げられない。しかし、私にはそれをやることはできない 一
 武照がおもいついたのは、みずから小公主の命を絶って、それを皇后の仕業と見せかけるたくらみであった。
 武照は小公主の寝室に入った。乳母は引きさがる。武照は熟睡している娘をのぞきこみ、産毛が鼻先に触れるほど顔を近づけ、甘い乳のにおいをかぐ。
 −この子を、私がどうして殺せよう。そのようなことをするくらいなら、自分が死んだほうがましだ。
 武照は、わが心に兆したおそろしい思いつきを、とても実行できないと思った。
 ぎでも、この子を犠牲にすれば、高宗は皇后を見限るにちがいない。私に同情して廃后にすることも、思いたつだろう。
 武照の心に、ささやきかけるものがいた。
 「この子を殺しても、お前の道をきりひらくがいい。このままでときをかさねてゆけば、お前と子供たちは、いずれは長震忌に破滅させられるだろう。それよりも、思い切っておやり。お前に大きな運気がめぐってくるのだよ」
 王皇后が小公主に合いにくるとき、寝室にいるのは武照だけであった。
 身分の低い乳母は遠慮してひきさがる。小公主の寝室の扉は、いつも閉じられていた。窓はほそめに開けられているが、帷がかかっている。
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■武照は皇后になってから敵を抹殺にかかる

<本文から>
 高宗は、武照の言に唯々として従った。彼は十月中旬、詔勅を下した。
「王皇后、蕭淑妃は、ちん毒をもって人を害しようと謀った。二人の身分を廃して庶人に貶し、その母と兄弟は除名して嶺南(広東省)へ配流せよ」
 除名とは家名断絶、財産をすべて没収される苛酷な処分である。
 皇后と蕭淑妃は、誰を毒殺しようとしたのか。詔勅に詳しい記述がなかったが、高宗の処断に異議を申したてる者はいなかった。百官は、高宗の背後にいる武照の、稲妻のようなまなざしに触れないよう、息をひそめていた。
 数日後、百官は上表して武昭儀を皇后に立てることを請願した。武照派の許敬宗、李義府たちが、皇城での主導権を握り、長孫無忌を無視した。
 高宗は武照を皇后とする詔勅を下した。
 「武昭儀は家門もすぐれ、才筆ある女性である。えらばれて先帝の後宮に入り、徳望が高かった。朕は普、先帝に仕え、朝夕離れることなく侍従してきた。後宮には先帝の妃が多数いたが、私はその間にいて彼女たちに眼をむけることもなかった。
 先帝は、その様子をすべて見ておられ、常にご褒詞をいただき、ついには武氏を朕に賜わった。
 これは、漢の皇帝が皇太子に王政君を与えた先例と、おなじ事情である。それで武氏を皇后に立てたのである」
 武照は、皇后に立てられることが決まると、長孫無忌派の韓壕、来済の処遇につき、高宗に上表した。
「陛下は、さきに私を宸妃となされようと仰せられました。このとき、韓壕、来済は陛下に謁し、直諌したので陛下は思し召しを翻されました。臣下として、これほどまでに陛下の御意を妨げることは、きわめてなしがたいことでございます。
 彼らの国家を思う探情は、あきらかです。どうか褒賞を与えてやって下さいませ」
 高宗は、武照の奉呈した書状を、韓壕、未済に見せた。
 韓壕、未済は、武照の真意をおしはかり、恐怖した。こののち官にとどまれば、どのよう
ないいがかりをつけられ、破滅に追いやられるか知れたものではない。
 二人は高宗に願い出た。
「私たちは、これまで陛下の思し召し。に従うことなく、諫奏いたしました。事ここに至っては、己れが不明を欺くばかりであります。どうか、宰相の位を去ることをお許し願います」
 高宗は、韓壕らの歎願を武照に告げた。
 武照はつめたい笑みをうかべた。
 「二人が位を去ることを、お許しなさらないで下さい。私を軽侮したあの者どもに、憂悶の苦難を与えてやらなければなりません」
 武照の立后は吉日を、えらぴ、十一月一日におこなわれることになった。
 高宗は司空李勣に命じ、武照に璽綬をもたらさせた。璽綬とは、皇后の印璽と、それを佩びるのにもちいる組紐である。
 立后の当日、武皇后は、粛義門の楼上に立ち、百官の朝儀をうけた。彼女は三十三歳であった。十四歳で先帝太宗の後宮に入ってのち、転変の歳月を過ごし、皇后となった感慨にふけることもなく、わが地位を脅やかす力量をそなえた反対勢力を、滅亡させてゆく策を練る。
 −私は皇后となり、重てき車に乗れるようになった。こののち何者にも、后位を奪われてはならない。敵はすべて、爪牙をむけてくるまえに、抹殺するのだ。
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■武照は我が子の皇太子・弘を毒殺する

<本文から>
 弘は襲妃にすすめられるまま、合壁官給羅殿の酒宴に陪席した。彼は西域諸国の使臣たちと歓談を交すあいだ、母の様子に不安を覚えていた。
 武后は夜光杯に注がれた西域の果実酒を、ときたま手にするが、口をとざしたまま、謁見する人々に会釈をするばかりである。高宗が話しかけるとほほえみうなずくが、視線は窓外の夏雲に遊ばせている。
−母上は、何事か心を奪われておられるかのようだ。また万民を震撼させるような、情知らずの処罰を誰かにお与えになるのだろうか−
 弘は、血に飢えた獣がうずくまっているのを見るように、おそれを胸苦しく波立たせる。
 彼は乱れる心をおちつけるため、酒杯を干す。
 衣服に香をたきこめた、見知らぬ宵宮が弘の杯に酒を注いだ。武后は視野の隅に弘の横顔をとらえ、訣別のつぶやきを洩らす。
 「弘よ、さようなら。母子の緑もこれで終りになるだろう。冥界があれば、そこでまた合えるかも知れない。はかない絆であったが、すべては運命であったのだろう。私は天に導かれるままに動かねばならない。そのために、お前を去らせるのだ」
 弘は肌にまつわりつくような暑熱を、一瞬でも逃れようと、冷やした葡萄酒をひといきに呑む。
 −この酒は辛いぞ。まさか腐っているのではあるまいが−
 弘は清水でうがいをしようと、官官を呼ぶ。人影が近づいてくるまでに、喉もとを締めあげられるような劇痛が、湧きあがってきた。視野が暗くかげり、物音がとだえた。
  弘は悲鳴をあげたが、わが声は耳にとどかない。彼は呼吸ができない苦痛に全身をおののかせ、立ちあがりかけ、空をつかんで倒れた。
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