津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          新釈水滸伝・上

■主人の給与は家臣のために使い果たす

<本文から>
 高キュウは片隅にひかえていたが、端王の蹴った壇が、彼の前へ転がって来た。高キュウはとっさにエンオウカイという術を使い、端王のもとへ蹴返した。
 端王は目を見はった。
「なんと巧みな術を使う男だ。お前は誰だ」
 高価は、ひざまずいてこたえた。
「私は、王都尉に近侍する者でございます」
 端王は高キュウがひざまずき、玉の細工物を奉呈すると、それをひと目見ただけで近習に渡 した。高価は洪手の礼をする。端王はたずねた。
「そのほうの蹴毯の技は、ただものとは思えないあざやかなものであった。名はなんと申すのだ」
「高キュウでございます」
「そのほう、もういちど毯を蹴ってみよ」
「私ごとき者が、そのような不遜のふるまいはできません」
「かまわぬ。この仲間は、斉雲社の天下円という者だ。遠慮はいらぬ。蹴ってみろ」
 高キュウは叩頭して無礼を詫びつつ、身支度をした。
 斉雲社というのは、宋代に名高い蹴毯のグループである。高価は内心で、天下円か誰か は知らないが、自分の技にまさる巧技をあらわす者はいないと、自負している。
 高キュウは遠慮ぶかい様子をつくろい、二、三度毯を蹴った。毯は生きもののように高価の 足先に操られた。
 「水際立った芸ではないか。そのほうの知るかぎりの技を使ってみよ」
 「それでは僭越ながら、ご披露申しあげます」
 高キュウは、余人の及びえない高度な蹴毯の神髄ともいうべき技を、つづけざまに繰りだし た。
 毯はどのように蹴られても、高キュウの体に膠で貼りつけられているかのように離れなかっ た。端王は感嘆してやまず、その夜は高価を御所に泊め、翌日王晋卿を酒宴に招いて頼んだ。
 「高キュウを私の近習に使いたいのだが。あの者の蹴毯の技は、神業というべきだろう」
 王晋卿ほ承知した。
 高キュウは端王の近習になると、御所に一室を与えられ、常に影のようにつきそい勤仕するようになった。それからふた月もたたないうちに、哲宗皇帝が崩御したので、端王が帝位を嗣ぎ、徽宗皇帝となった。高キュウは大宋帝国皇帝の側近である。 
▲UP

■王倫を殺害し晃蓋が梁山泊の頭目になる

<本文から>
 林沖は王倫の袖をつかみ、罵った。
「このいなか者の食いつめ儒者め。貴様は杜遷のおかげでここの頭領になれたのだ。柴大官人の推挙した俺を仲間に入れるとき、なんのかのと理屈をつけて反対しやがったが、今日もまた、豪傑の方々をおなじ手で追いはらうつもりか。梁山泊は貴様の持ちものではない。妬みぶかいはかりで何の取得もない貴様など、このうえ生かしておいても悪事をかさねるばかりだ」
 王倫は、いつのまにか自分が窮地に陥っているのに気づいた。
 杜遷、宋万、朱貴は院兄弟にからみつかれ、動きがとれない。小頭目たちは王倫を助けたいが、林沖のすさまじい気塊に威圧されている。
「お前たちはなにをしている。林沖をやっつけろ」
 王倫の叫びは、最期の言葉となった。
 林沖がみぞおちに短刀を刺し、ひとえぐりすると、王倫は床に倒れ息絶えた。まわりに立つ晃蓋らは、それぞれ隠し持った短刀を抜きはなつ。
 林沖は手早く王倫の首級を切り落した。杜遷、宋万、朱黄は動転してひざまついた。
「俺たちをあなた方の手下にしてくだせえ」
 呉用は王倫の坐っていた椅子を、血溜りから引きだし、林沖を腰かけさせていう。
「いうことを聞かぬ者は、王倫のようになるぞ。いまから山秦の主人は林教頭殿だ」
 林沖はおどろき、大声でさえぎる。
「先生、それはいけません。私はあなたがたの義気に感応して、王倫を殺したのです。私が梁山泊頭領の第一位になれば、天下英雄の笑いものになるばかりです。そんなことをするぐらいなら、むしろ死をえらびましょう。それよりも、私の意見をお聞き願いたい」
 晃蓋たちはうなずく。
「林教頭のご意見に異存はありません。どうかお話し下さい」
 林沖は、血のしたたる短刀を手にして、まわりを取りかこむ男たちに語りはじめた。
「私が王倫を討ちとったのは、彼にかわって頭領になるためではありません。私には梁山泊の主となって官軍と戦い、君側の好を除くほどの器量はない。頭領第一位となるのは、天下に好漢の名も高い晃蓋殿です。私は義理を重んじる立場からも、山秦の主人は晃蓋殿のほかにはいないと考えるのだ」
 晃蓋は、つよく辞退した。
「賓客は強くとも、主人を圧せずというではありませんか。遠来の新参者である私が、どうしてこの寨の主になれるでしょう」
 林沖は晃蓋の手をとり、椅子に坐らせて叫んだ。
 「事はここまで進んできたのです。ためらうときではありません。反対する者があれば、王倫のように息の根をとめましょう」
 林沖はくりかえし晃蓋にすすめ、上座に坐らせ、子分たちをひざまずかせ礼をさせた。
「これから寨へ戻って祝いの酒盛りをしよう」
 林沖は子分たちを寨へ帰し、酒宴の支度をさせ、秦の外に出向いている小頭目たちを、すべて呼び集めさせた。
 林沖たちは寨に戻ると、晃蓋を衆義庁の第一の上席に就かせた。林沖は庁内で香をたき、きびしい表情で呉用に告げた。
「この林沖は学問もない匹夫です。ただ槍棒が使えるだけで、ほかに取得もありません。このたび山葵に豪傑諸公がこられて、今後は規律を正さねばなりません。そのため学究先生には軍師役をひきうけられ、子分どもの指図をお願いします。どうか第二の席におつき下さい」
「いや、それは困ります。私は片いなかの学究に過ぎません。孫呉の兵法も知らず、経給の才もありません」
「いや、いまとなってはご謙譲は無用です」
 呉用は第二の席につく。
林沖は公孫勝を招いた。
「先生は第三の席におつき下さい」
▲UP

メニューへ


トップページへ