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<本文から> 想像するに、越後に流されるまでの親鸞は、まだすべてにおいて観念的で、中流といえども貴族の子弟であり、真面目で戦闘的だが、線の細いエリートであったかと思われる。しかし越後流罪をへて、関東での長い布教生活により、自らを田畑をはいずり回る農民や、魚や鳥獣を追う漁師や猟師と同じ一個の罪悪深垂の人間として見つめなおし、強靭さを身につける。
私は二度にわたってそうした親鸞という人に、正面から向かい合うことになった。
私自身は三十歳を過ぎてサラリーマン生活の前途に希望を見出すことができず、何の手がかりもなしにものを書くという生活に飛び込んだ。
無明長夜に道を求めて、彷径を続けた親鸞に、門徒であるということとは別に親近感を抱く理由でもある。
四十九歳のとき、『深重の海』 で思いがけなく直木賞を受賞することができ、作家としてデビューすることになったが、それまでは果たして自分はどこへ向かっていくべきか何も分からなかった。
二年ほどのちのことだ。あるパーティの席上で、知人の編集者と立ち話をしていると、小柄な老人がせかせかと私の前にやってきて、ちらと顔を見たかと思うと去っていった。しばらくしてまたやってくると、今度は「あんたが津本君かね。五十の年頃で直木賞を受賞した作家は長く活躍できる。僕も本格的に書きはじめたのは五十過ぎだった。がんばりなさい」というと、また身を翻すようにしてどこかへ行ってしまった。松本清張氏だった。
しばらくしてぶっきらぼうなその言葉を思い返すうちに、何か自信のようなものが生まれてきた。やがて偶然の所産から、『下天は夢か』を書くことになり、歴史小説の書き手として、今日まで活躍を続ける端緒がひらけた。 |
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