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<本文から> 社長の語調は穏かではあったが、いうところは無駄を省き、するどく私に迫った。
「いや、あの記事は私の夢ですよ。万一とりかかったとしても、失敗の可能性のすこぶる高い研究です。社長さんに応援を頂いても、ご好意に報いられるような成果を納める自信はありません」
私も内心を素直に告げた。社長はうなずき、答えた。
「その点は、私も承知しております。制癌剤のご研究が大変な困難を伴うのは当然です。それだからこそ、男子一生の仕事として取り組むべきものではありませんか。私も、ふしぎなきっかけで、荒尾専務を仲介として、先生にお目にかからせて頂きました。どうですか、ひとつ私に先生のご研究の費用を負担させて頂けませんか。私はいま、合成繊維の新製品が当って、金はいくらでも儲かっています。その金を、私は先生のような方のご研究の資金に寄付したいのです。私は事業で稼いだ金を、何らかの人揮の幸福につながることに役立てたいと、従来から考えていました。しかし、京大や阪大などの大組織の大学へ寄付してみても、どの部門へ吸収されたのか分らず、直接の効果を自分の眼でみる楽しみがありません。いってみれば縁の下の力持ちのようなことになります。それにひきかえ、いま先生が癌の研究に踏み切って下されば、同じ寄付でも生きてくるんです。この寄付は神社仏閣への喜捨と同じ気持からさせて頂くものですから、ご研究が万一失敗に終っても、先生が私にご負担をお感じになることはございません。研究に挑んで頂けるだけで満足です。いかがですか、お受けになって頂けますか」
社長の提言を聞き、私は思わず胸の鼓動をはやめた。この人と俺とは、内心の要求が一致している。よし、こうなれば理博を棒に振ってもいいと、頼に血を昇らせつつ心を決めた。
「そこまでおっしゃって頂くのであれば、研究に踏み出すことを考えましょう。社長さんにお会いして、よかったと思います。ようやく私は、人生最大の冒険に乗り出す腹がきまりましたよ」
「浅山君、よういうてくれた。資金面のことは俺に連絡してくれ。よかった、ほんとによかったよ」
荒尾が立ちあがってきて、私の肩を抱きしめた。私は自分の前に垂れこめていた晴鬱な曇り空が一気に晴れたような気がした。青年の頃のようなさわやかな活気が、私の内部によみがえった。 |
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