津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          真紅のセラティア

■五実社長の援助で制癌剤の研究を本格化

<本文から>
 社長の語調は穏かではあったが、いうところは無駄を省き、するどく私に迫った。
 「いや、あの記事は私の夢ですよ。万一とりかかったとしても、失敗の可能性のすこぶる高い研究です。社長さんに応援を頂いても、ご好意に報いられるような成果を納める自信はありません」
 私も内心を素直に告げた。社長はうなずき、答えた。
 「その点は、私も承知しております。制癌剤のご研究が大変な困難を伴うのは当然です。それだからこそ、男子一生の仕事として取り組むべきものではありませんか。私も、ふしぎなきっかけで、荒尾専務を仲介として、先生にお目にかからせて頂きました。どうですか、ひとつ私に先生のご研究の費用を負担させて頂けませんか。私はいま、合成繊維の新製品が当って、金はいくらでも儲かっています。その金を、私は先生のような方のご研究の資金に寄付したいのです。私は事業で稼いだ金を、何らかの人揮の幸福につながることに役立てたいと、従来から考えていました。しかし、京大や阪大などの大組織の大学へ寄付してみても、どの部門へ吸収されたのか分らず、直接の効果を自分の眼でみる楽しみがありません。いってみれば縁の下の力持ちのようなことになります。それにひきかえ、いま先生が癌の研究に踏み切って下されば、同じ寄付でも生きてくるんです。この寄付は神社仏閣への喜捨と同じ気持からさせて頂くものですから、ご研究が万一失敗に終っても、先生が私にご負担をお感じになることはございません。研究に挑んで頂けるだけで満足です。いかがですか、お受けになって頂けますか」
 社長の提言を聞き、私は思わず胸の鼓動をはやめた。この人と俺とは、内心の要求が一致している。よし、こうなれば理博を棒に振ってもいいと、頼に血を昇らせつつ心を決めた。
 「そこまでおっしゃって頂くのであれば、研究に踏み出すことを考えましょう。社長さんにお会いして、よかったと思います。ようやく私は、人生最大の冒険に乗り出す腹がきまりましたよ」
 「浅山君、よういうてくれた。資金面のことは俺に連絡してくれ。よかった、ほんとによかったよ」
 荒尾が立ちあがってきて、私の肩を抱きしめた。私は自分の前に垂れこめていた晴鬱な曇り空が一気に晴れたような気がした。青年の頃のようなさわやかな活気が、私の内部によみがえった。
▲UP

■夫妻が自ら実験し、KCGの誕生

<本文から>
 「異常反応を起したら、死ぬんですか」
 「そういう場合もあるな」
 恵子は口をつぐみ、考えていた。
 「なんや、おい、黙りこんで」
 「そのお薬、私もいっしょに注射します」
 「えっ、何をいうんや。実験は俺ひとりでたくさんや」
 「いいえ、だめです。私たちは夫婦やもの、肝腎な時にはいっしょに行動するのよ」
 恵子が瞼に涙を浮かべているのをみて、私の内部に、熱く湧きあがるものがあった。彼女が、いったんいいだせば後に退かない強情な性格であるのを、私は知っていた。
 翌日、私と恵子は夕刻まで休息した。午後五時に私たちは家を出た。
 研究室には、塩見、鉄田、山本の三医師が、強心剤などの救急用品を用意して待機していた。仲井郁夫もきてくれていた。私たちは彼らの見守るなかで、動物実験から計算した人体使用量を、左防皮下に注射した。
 「随分痛い注射やなあ」
 私は笑いながらいった。体が少しあたたまるような感じがしただけであった。
「そうねえ、でもこれくらいの痛みなら辛抱できるわ」
 恵子は舌を出し、首を締めてみせ、皆の笑いを誘った。
 注射後、私は一時間経過したとき、体温が三十九度五分に上昇し、脈搏が百になった。恵子は二時間後に体温が三十八度に達し、脈搏は八十八であつた。
 「なんや、お前のほうが耐性があるやないか」
 私が感心してみせると、恵子は得意げに答えた。
 「私はこれでもテニスの滋賀県代表だったんですもの。鍛えてますのよ」
 発熱は、動物実験のデータと同じ経過を辿り、約二時間後に平熱に復した。私は内心で、恵子に感謝していた。
 「恵子よ、ありがとう。俺は今後は永遠にお前に小言はいわんぞ」
 皆は、人体実験の成功に、ロぐちに祝いを述べてくれた。深夜の研究室に、大勢の喚声が湧いた。いよいよ新制癌剤の誕生である。
 「先生、新薬に命名しなければなりませんねえ」
 塩見医長が話しかけてきた。
 「それは、いま決定しました」と私は即座に答えた。
 「KCGとしますよ。Kはわが愛妻恵子の頭文字、Cはウィリアム・コーレイ博士の頭文字、Gは新日本化学社長玉突氏の頭文字です」
 「そかですか、新制癌剤KCGの誕生おめでとうございます」
 「先生、おめでとう」
 「浅山夫妻、万歳」
 私と恵子を取り巻く皆が、いっせいに笑顔で叫んだ。
▲UP

■劇的な治癒の結果に歓喜と不安に揺れる

<本文から>
 「そうやなあ、五百万足らずか」
 「ほらごらんなさい。天才的な頭脳があれば、お金なんか要らないのよ。あなたはアサマイシソのときのように、KCGでもかならず成功するわ」
 恵子のいうように、簡単には成功するはずがないと、私は自分をいましめようとした。アメリカ国立癌研究所シェア一博士の、最初はよく効くのでキリストのようにあがめられるが、すぐに馴れの現象が起り効かなくなって悪魔のように罵られる、という霊菌多糖体の弱点についての助言を思いうかべてみる。
 「しかし俺のKCGは、シェア一博士のつくりだした制癌剤よりも、効力が優れているのではなかろうか。そうでなければ、臨床第一号かち第三号まで、連続して劇的な治癒の結果をみるはずがない」
 私がKCGがもしかすると世界に誇るべき効力を有する薬かもしれない、という期待が騒めき立ってくるのを、押えることができなかった。分析値によっても、シェアーの抽出した霊菌多粒体より、KCGのそれは二倍近い濃度を維持していた。
 心のときめきを酒で押し静め、明日の研究課題の選択に疲れた頭を、深夜の入浴で休めた。洛槽からきらめきあう星を眺め、「俺はいったい幸せなのか、不幸せなのか」と自分に問うた。KCGの研究を開始して以来、私は覚めている時間はいつでも焦燥に駆られるようになっていた。
 歓喜するに足る実験結果が出ても、そのよろこびはたちまち消え、なお一層の完全さを求めて心は狂奔するのである。生涯を桜とともに過ごした父の静謎な暮しぶりが頭にうかび、「お父さん、俺は苦しいよ」と幻に呼びかける。
▲UP

■KCGの製薬化へ

<本文から>
 私のような医学閥外の者が、制癌剤を開発した場合、それを臨床に使用してくれる病院を探すことが大問題であった。医大病院はたいていの場合、学外の者が開発した薬の臨床実験には、横極的に応じることはなく、門戸を閉すのが通例であった。
 KCGを薬事審議会に提出するためには、臨床使用結果が、少くとも二百例以上必要であった。私は三高、京大、大阪医大での知己を掠り、大阪市大鈴木外科、和歌山赤十字病院第一内科、第二内科、京都大学第一外科に、それぞれ臨床使用を依頼していたが、ここでさらに東京医大が協力してくれることは、心強い限りであった。
 鷹の巣展望燈台の青い灯が、ゆっくりと回転しながら宵闇を照らしていた。突風が挨を捲き、草体を揺るがして吹き過ぎていった。私は黙って沖を眺めていた。黙っているのが、気持を静めるのにいちばんいい状態であった。水平線の紅色がしだいに薄れてゆき、荒れ騒ぐ波頭だけが黄昏の余光をあつめ、視野のうちに上下していた。
 私は、厚生省の応接室での光景を頭にうかべていた。中山厚相と三人の局長が居並んだ背後の窓から、曇った空がみえ、陪緑の菓を茂らせた常緑樹が夙に身を揉んでいた。黙りこんだままの局長たちの頭上に眼を遊ばせながら、私は彼らの冷たい拒絶を感じとっていた。
 彼らは現代社会の、強者に仕える司祭たちであった。私のような、社会に何の発言力も持たない学徒は、彼らに一顧だに与えられない存在であることを、彼らは倣岸な沈黙によって示していた。彼らと私との間は、厚い障壁で隔てられていた。その障壁は、早川の力でさえ取り除くことができないのではなかろうか。
 いままで考えたこともなかった、社会の奥処にうごめく権力の気配が、私を脅やかしていた。ひたすら研究の興味にのみ漏心かれ、制癌剤という、医学界でもたやすく着手できない研究を我流ではじめた私は、学界の権威の壁にはじき飛ばされるのではなかろうか。
 KCGには、製薬化するまでに通過しなければならない製法特許の難関があった。薬事審議会へ提出するまでに、特許はかならず取得しておかねば、類似品を製造されるおそれがあった。特許を得るために、多糖体の分子量を算出しなければならない。
■藤河薬品に騙される
 何という勝手ないいぐさだと憤っていた私の内部に、冷酷な島田次長の声音が珍みこんできた。そうか、彼は田崎博士がまもなく癌で亡くなられるであろうことを予測して、私のKCG・2が世に出る磯会を失ったと、会議で力説したのにちがいない。彼は前部長の残した業績を、すべて抹殺したいのであろう。
 「化学的構造が不明ということは、最初から分っていたじゃないですか。特許が下りるかどうかは、申請してみないと分りませんよ。そんなことはいいがかりに過ぎない。要するにあなたは、どうしてもKCG・2への援助を打ちきりたいんでしょう。私には学閥の背景もない。厚生省へ働きかける医学界の有力な知る辺もない。その間の事情を判断して、契約破棄に踏み切られたんでしょう。いまになってKCG・2の製造を中止されれば、たちまち研究がストップします。たいへんな困難に直面するわけですが、やむを得ません。藤河薬品が、それほどまでに誠意のない企業であったことを、はじめて知りました。無力な一学者の研究を踏みにじるぐらいは、あなたがたにとっては朝飯前でしょう。私は学者で世事には暗い。契約の法律的な内容など、まったく知りませんでした。法律では間違っていないとしても、あなたがたは私をだましたことに変りはありません。私は嘘つきとは、これ以上話したくはありません。おっしゃるご意向は納得しましたから、お帰り下さい」
 私は島田次長の丸い顔が、眼前からすみやかに消えてくれることを望んだ。KCG・2の研究は挫折するかもしれないと、私は他人事のように考えていた。ひとつの研究が世に出るまでには、さまざまの難関を乗りこえていかねばならないのだ。藤河薬品との縁を絶たれることは、いまの自分にとって致命的な打撃だと、私は与えられた衝撃の重さを、しだいに感じはじめていた。
▲UP

■KCGの特許

<本文から>
 彼女の声に、私は額の汗を拭きながら、ふりかえった。
 「なに、特許庁から」
  胸が息苦しいほど、高鳴ってきた。
 「どこにあるの、それほ」
 「お机に置いてあります」
 そう、とうなずき、私は内心の動揺を押しかくし、研究室へ戻った。わずか二十メートルほどの廊下を戻る間、私は希望と絶望の矢継早な交錯にさいなまれた。
 もし、許可の通知であればと心にひらめくと、激しい動揺がこみあげてきて、切なさに思わず、「あかん、あかん」と口走り、首を振る。実験者姿の私は自分の机に歩み寄り、分厚い書信を汚れた手で取り、一気に封を切った。
 特許庁長官の印鑑がいかめしく押捺された内容を一目みて、私の内部で歓喜がはじけた。
 「ばんざい、ばんざいや。通ったぞ、三田村君、これみろ、特許が通ったんや」
 私は思わず大声で叫んだ。
 「先生、よかったですねえ」
 三田村ゆり子がハンカチを限にあてた。
 「これで、KCGも陽の目をみられるかも分らんぞ。よかった、やれやれだ」
 私は歓声をあげ、キャンパスを駆けまわりたい衝動をおさえた。頼が笑み崩れるのを留めようもなかった。
 その夜の祝宴のことを、私は忘れない。祝宴といっても、妻と子供たち、三田村ゆり子が、私の家の客間でささやかに祝ってくれたのである。
▲UP

■策謀によって学長から教授に復帰できず

<本文から>
 私の教授復帰を評議する教授会は、なかなか開かれなかった。私は学部長に電話をかけ、会を早急にひらいてはしいと頼んだ。
 五月八日になって、ようやく教授会がひらかれた。その席上、私が理学部専任教授に復帰する件は、学部長の策謀により投票で否決された。
 自宅の電話でその通知を聞いたとき、私は体が畳に沈み込むような失望にとらえられた。全身の力が抜け、手足が思うように動かなかった。
 「な、なぜこんなえげつない仕打ちを受けなならんのや」
 私は眼のくらむ思いを耐え、叫んだ。
 「学長から教授に戻れなかった例が、全国の大学のどこにあるんだ。なんという卑劣な陰謀や」
 私は思いがけない伏兵に足をすくわれた無念さに、歯ぎしりした。
 「人文科学の学者なら、書斎さえあれば研究を継続できる。俺のような科学者が、研究室を取りあげられたら、陸にあがった河童も同然やないか。KCGの研究は、息の根とめられたことになるんや。こんな残酷なことを、誰が企んだんや」
 膝頭をつかみ、うつむいたまま、私はなすすべを知らなかった。私は学者としての生命を、目先の権力を追う卑劣な奴らに完全に絶たれたのだ。
 日が経つにつれ、事情は判明した。学長選挙に落選した教授が、仲間に語らい反対票を集めたのであった。彼らは私が理学部に戻れば、六年間教授に昇格できない人が出る、従って同じようにその年月の間、助教授、講師、助手の座につけない人が出てくるのだと説いてまわり、大勢の教官たちに反対投票をさせたのであった。
 私が四月二十日付で学長を辞任するまで、教授会を開かず、五月八日まで延期した理由は、学長の任期中に私の教授復帰を否決しても、学長の権限によって取り消される結果になることを、おもんばかってのことであった。
 三年間、学長の座にいる間に、私と個人としての交際のない教官の数がふえていたことも、落選した教授ら一派の策謀に刺する結果を招いた一因となった。
 私を大学から追放する企みの表には、私のKCG研究を中断させたいという、反対派の教授たちの妖妬心も働いていたようであった。彼らは私に、何としても名を成させたくなかったのであろう。
 私は二十五年間通いなれた南海大学の研究室への道を、突然閉されてしまった。それは、間もなく還暦を迎えようとする私への、残酷な運命の贈りものであった。
 あなたは学長の任期中に何の失敗も冒さなかったのに、このような横暴な教授会の裁決を甘受することほない、人事院に提訴すべきだとすすめてくれる友人もいたが、私には、そのようなことまでして、世間を騒がす気持にはなれなかった。
 大学を追われたあと幾日かを、私は眠れずに過ごした。不意にふりかかってきたいいようもなく暗い不運のなかに、体をひたすようにして、時の過ぎるのを耐えた。
▲UP

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