津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          真剣兵法

■小太刀の効用

<本文から>
 富田流小太刀の威力が天下に聞こえた慶長、元和の頃から八十年ののち、赤穂浪士の討入りのあった元禄十五年(一七〇二)の頃には、武道はすたれていた。
 物狙裸の護国秘録には、当時の武士気質がつぎのように記されている。
「いまごろの槍剣の術は、平和な時代に育った者が工夫したため、一人で多数を相手の試合はなく、すべて一対一での立ちあいである。試合の場には大勢の見物人がいるので、彼らの限に見事と思われるような勝ちかたをすることが、第一である。世のなかがしだいに豊かとなり、武士の暮らしむきもぜいたくになってきたので、剣理を含蓄ありげにあれこれとあげつらい、道場での立ちまわりの動作を派手にするのが時勢にかなうことになった。
 しないで相手を打つにも、痛めつけるような激しい打撃は嫌われる。また道場の板敷にほ胡桃の油をひいているので、足袋をはいてそのうえを転ばぬ所作、長袴でそのうえを動いてしないを使う所作など、実にむずかしいことだが、戦場の用にはすべて役立たないことである」
 時勢の流行はおそろしいものであった。
 戦国期から徳川初期にかけ、武士には意地というものがあったが、将軍家光が鎖国をおこない、太平安逸の気風がひろがるにつれ武士のあいだに男色がさかんになり、丈夫な刀を帯びるのは、時代にそむいた野暮の骨頂とされるようになってゆくのである。
 小太刀の効用など忘れ去られた元禄期は、現代と似通っている。富田一族は、日本の剣術の歴史のうえに、はんのわずかなあいだ光耀をのこした彗星のような存在であった。
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■天狗狩りで篠田だけが生き残る不思議

<本文から>
 日が暮れてから、篠田は松から下り、野中の道を北へ辿った。行く手に提燈のあかりがゆらめくのを見ると、道端に身を隠してやりすごす。
 夜中でも、天狗狩りの百姓勢が大勢排掴していた。篠田はくさむらに坐りこみ、このさきどうして逃げのびるかを考えるが、なにも思いつかない。
 空腹で、意識がかすんでいた。
(俺は、たやすくは死なぬ。こんなところで殺されてたまるか)
 彼は自分をはげます。
 やはり死ぬ気がしなかった。なんとか逃れられるとしか思えない。しやがんでいるうちに、いつか眠っていた。
 限が醒めると、間近でいびきが聞こえていた。
(何だろう、誰かいるのか)
 よろめきつつ立ちあがり、闇をすかしてみると、誰かがあおむけに寝ていた。百姓勢だと、篠田はたしかめる。
 ただ一人で、どこにも連れはいない。夜廻りをするうちに、睡くなったのであろうか。
 傍に竹槍を置き、腰に脇差を差している。握り飯らしい竹の皮包みも、傍に置いていた。
(早くこやつを片づけないと、仲間がくる)
 篠田は男の脇差を、しずかに抜く。
 男は身動きもしなかった。柄を両手に持ち、ふりかぶると、全身の力をこめ、柄頭を眉間にふりおろした。
 男は上体をおこしかけたが、そのままあおむけに倒れ、坤き声をあげた。篠田はもういちど、おなじ場所に柄頭をつっこんだ。骨のくだける音がした。
 民兵に化けた篠田は、道中をとがめられることもなく、川俣のあとを追った。川俣が宍戸から羽衣へむかうことはわかっていた。
 彼は、川俣が部下とともに羽衣にむかう途中、民兵に襲われ落命したことを知らなかった。
 川俣勢のうち、篠田だけが生き残っていた。
 ひとの運命というものはふしぎである。寿命がつきていなければ、死地にあっても生き抜くことができるのである。
 篠田が死んだのは、大正十三年、死因は老衰であった。
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■真田ひもで助かった清武

<本文から>
 将校は叫びつつ、薪を割るいきおいで、清武の頭上にサーベルを振りおろしてくる。
 相手の拍子をつかみ、その裏をかけと剣術稽古で教えられたが、拍子をつかむ余裕もなかった。
「おのれ、硯川先生の仇を討たずに死ぬか」
 清武は手の痛みに耐え、敵の打撃をうけとめつつ、ついに反撃の機をつかんだ。
 将校の胴が、がらあきになったのである。両手の力の萎えた清武は、胴を払おうとしてとっさに突きをいれた。
 刃筋がきまらないで失敗するのを恐れたのだが、突きも将校の分厚いラシャの上着にくいせめられた。
 清武の動作に、はじめて道場稽古で鍛えられた調子が出た。彼は将校がサーベルをふりあげた内ぶところへふかく踏みこみ、気合もろとも刀を突きこんだ。
「お突き一本なりい」
 将校は棒立ちになった。
 サーベルを投げだし、腹に突き立った清武の刀身をにぎりしめ、歩いてくる。そのまま前のめりになって、土煙をあげ田圃の土にしがみつくように倒れ、刀の柄にさまたげられ、横にころがった。
「安藤、なにをしておる。刀だ、そやつのサーベルを取れ。やられるぞ」
 誰とも知れない声が、耳もとで絶叫したが、清武は全身の力が抜け、坐りこむ。乱闘の人影は、前方へ移動していた。
(味方の勝ちいくさだ。俺は硯川先生の仇を討てた。これでいい。もう斬られてもいい)
 清武は全身をふるわせつつ、曲がったままの両手の指をひきのばそうと努力していた。
 その夜、戦捷の酒宴の座に、高田露が清武の捨てておいた刀を持ち帰ってきた。高田は血に汚れた真田ひもを解くと、柄を清武に見せた。
「これを見ろ、柄がざくざくに割れているではないか。お主は真田ひものおかげで敵に勝てたんだ。お姉さんのおかげだぞ」
 清武は鋸のように刃こぼれのした刀の割れた柄を手にとった。こんな刀であの将校に勝てたのかと思うと、あらためて背筋に氷がはしった。
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