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<本文から> 「公儀に睨まれると、たちまち身をすくめねばならない、世間に卑下して暮らすやくざにとって、士分にとりたててもらうのは、望外の栄誉であった。
当時京都では、尊攘浪士の掻擾がようやくはげしくなり、公卿屋敷では、侍のみならず町人百姓からも、腕の立つ剛胆な者を徴士としてとりあげ、護衛の役向きを与えることが、流行していた。
刈産は激動する世間の動きを論じ、次郎長の勇気ある行動をたかく買っていると告げ、随身をすすめる。
だが、次郎長は話に乗ろうとはしなかった。
「あっしらのようなしがねえ者に、侍になれと仰って下さるご親切は、まことにありがてえと存じやす。しかしあっしどもは、もともと学も行儀も知らねえ、やくざでござんすよ。それがいきなり羽織袴で二本差しても、似合わねえと存じやす。子分たちも、かしこまって坐ることさえできねえ奴らばっかりで、とてもお屋敷づとめは窮屈がって、嫌がりやす。あっしらはやっぱしいまの稼業が身についているんでどざんすよ」
刈屋は次郎長を、なんとか説得しょうと努めた。
「せっかく間之助殿が承知しておるのだ。貴公も思い直してはくれぬか。人には分相応の暮らしがあるというのは、泰平の世のなかでのことだ。この乱世に、貴公ほどの胸と胆力をそなえた器量人が、侍になって、なにが不釣合いだ。どうか思い直してくれ」
次郎長は、しきりにすすめられるが、いったん辞退ときめたうえは、翻意しないと固くいいはる。
だが刈屋の熱意に性だされ、譲歩した。
「それじゃ、あっしどもは、刈屋さまのご主人に、なにか災難がふりかかることがあれば、お便りを演戴しだいに、子分どもをひきつれて、駆けつけやしょう。それは堅くお約束させて頂きやす」 |
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