|
<本文から> 長五郎は、三右衛門の遭難の話を、いつまでも忘れなかった。
寿命さえあれば死なないのなら、生きているあいだに、できるかぎりの冒険をしてみたい。
天保五年の秋であった。十五歳の長五郎は、つい養父次郎八に告げた。
「俺はこれから江戸へ出て、自分で商売をしたいんじゃ。親父さん、俺の願いを聞きとどけてく」
次郎八は、長五郎の願いを一蹴した。
「ばかなことをいうんでねえ。子供は子供らしゅう、家の手伝いをしとりやええさ」
長五郎は、養母お千が、ひそか手文庫へ大枚の金子をたくわえているのを知っていた。
彼は家人の留守をみはからい、手文庫をあけてみる。なかには四百五十両がはっていた。長五郎はそれを持って江戸へ奔った。
次郎八は長五郎が去ったのを知り、人をやって後を追わせる。長五郎は三島宿で追手にとらえられた。
次郎八は、戻ってきた長五郎の懐中を調べると、三百余両がでてきた。
「なんだこれは、お前はおっ母の手函から四百五十両を持ちだしたじゃねえか。それが、いま三百両余りしかねえ。残りの金はどうした。冗談じゃねえ、子供の使えるような金高じゃねえに」
行方の知れない百数十両について、使途を問いつめたが、長五郎はついに口を割らなかった。
次郎八は憤怒して長五郎の衣類を奪い、褌ひとつの裸体にしておいて、男衆の着る垢だらけの仕事着と銭二貝文を投げ与えた。
「わりやあ、よくも親父とおっ母をだましたな。今日かぎりわりゃあ子とは思わねえから、どこでもいい。いきてえところへいっちまいな」
長五郎は慌てず家を出て、町はずれのくさむらで寝転び、時をすごす。
夜になってひそかに桑田崖へもどり、裏庭の桃の木の下を手で掘った。四、五寸も掘ると布包みがでてきた。
そのなかには輝く小判が百数十枚はいっていた。長五郎は家を脱け出るとき、追手のかかることを予想して、四百五十両のうち一包の小判を、そこへ隠したのである。
長五郎は府中(静岡)へ出て衣類を買いととのえ、そのまま浜松へむかう。折柄新米不作の知らせが巷間に流れ、米価が高騰しつづけていた。
長五郎は浜松で米を買いあさった。浜松の米穀商は、清水の桑田屋を知っている。長五郎がまさか勘当されているとは知らないので、米の先物を売った。
長五郎はたちまち巨利を博し、清水へ帰ることとなった。
便船に玄米五十石を積み、小判百両を懐中にして清水港へ意気揚々とひきあげる。長五郎は家のそとから声をかけた。
「お父っつあん、いま帰ったぜ」
次郎八が驚いて出てみると、長五郎は追いだしたときとはまったくちがう美服を纏い、悠然と立っていた。
間をおかず、浜から舟子たちが米俵をかついできて、店頭に丘のように積みあげた。次郎八は、警戒していう。
「こりゃ何ずら、俺はどこから持ってきたか知れねえ物は、受け取れねえ」
長五郎は懐中から百両を取り出し、笑って答えた。
「お父っつあん、何も疑うことはねえんだ。これは、俺が商いをして儲けた米だ。元手も返すよ。これまではいろいろ勝手なことばかりして困らせたが、これからはやらねえ。どうか勘弁してくりょう」
次郎八は、両眼に涙をたたえ、言葉もない。
隣人、親戚の者が集まってきたが、ただおどろくばかりであった。
長五郎はそののち、人が変ったように仕事に精出すようになっていた。翌年次郎八が亡くなり、自分が養子であったと気付いたが、動揺するところはなかった。
そののち、桑田塵の家運を盛りたてるため、ありあまる体力を駆使し、牛馬のようにはたらいてきた。 |
|