津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          薩南示現流

■重位と善吉の出会い

<本文から>
 重位はその夜、鈍吉和尚にすすめられるまま、善吉をたずねることにした。鈍吉ははげました。
 「自顕流のことは、私に聞き及んだといえばよかろう。善吉は他人には自らの兵法をふかく秘しておるが、私にはすべてをうちあけておる。出家の師弟は、婆婆の父子にひとしいのだ。私はそなたの豪傑勇猛の質にすこぶる感動し、覚えず秘事をもらしたまでじゃ。善吉が怒るはずはなかろう」
 重位は善吉の寮にゆき、廊下に坐してうやうやしくおとなった。
「ご免なった申んせ。善吉殿はおじゃんそかい」
「おう」とこたえる声がして、障子があいた。重位は手をついて、丁重に挨拶をした。
「拙者は島津の侍臣、東郷重位と申す者でごわす。当寺の鈍吉和尚殿にはかねがね見知りおかれ、この日頃看経所において座禅をいたさせて頂きおる者に、ござい申す」
 善吉はおちついた視線をむけ、侍言葉でこたえた。
「丁寧なご挨拶、いたみいる。して尊台には、いかなるご用むきにて参られしか」
 重位はぬかりなく答えた。
「しからば、鈍吉殿よりかねがね貴殿の利発のお噂など、承っており申したれば、今宵ご閑暇あれば四方山の話などいたしたく、押しかけて参りし次第でござい申す」
 善吉はうなずき、重位を自室へ招いた。
 白衣を身ぎれいに着澄ました善吉は、徳利をさしだした。
 「酒はたしなまれるか。さかなは蒸し麦しかないが」
 重位は椀に注がれた酒のにおいをかぎ、莞爾と笑っていう。
 「これは上酒じゃ。馳走でござい申すな」
 善吉も笑みかえし、たがいのあいだになごやかな気配が流れた。
 重位は善吉に問われるまま、自らの出自についてくわしく告げた。善吉は黙したまま耳をかたむけ、木椀の酒をときおりふくんでいる。
▲UP

■重位と善吉の師弟の思い

<本文から>
  東郷重位の必死の修行がはじまった。毎夜深更から東天のしらむまで、師弟は仕太刀と受太刀にわかれ、おびただしい打ち業の形をくりかえした。
 学ぶうちに、重位には体捨、新陰などの諸流とはまったくちがう、自顕流の太刀筋のおそろしさがわかってきた。
「いましめの、左のひじのうごかねば、太刀のはやさを知る人ぞなき」
「左よりはじめてうつな右の手の、うごきて後はとにもかくにも」
 左肱切断の道歌のもつ凄味は、トンボの構えから、さまざまの打ち業をくりだしてみて、はじめてわかることであった。
 他の兵法であれば、剣を支える軸は左手の小指であった。トンボの構えでは左手はまったく動きを殺し、柄をささえる右拳が、つぶてを投げるように敵にむかって剣を振りおろすのである。
 そうすると、いままでに体験したことのない異様な速さで、刀身が振れる。
 「方寸のなかに心をおしこめて、腰をひねりてすじかいにきれ」
 「うつ太刀に声はかけてもかけずとも、胸に力をおしこめてまし」
 善吉の教える道歌を、重位は矢立で懐紙に書きうつし、床にはいったのちも暗詞をくりかえした。
 師弟ともに必死の努力をつづける夜を重ねた。仕手、打出しをたがいになりかわり、時のうつるのを忘れるばかりである。
 二人はともに不眠のはたらきをかさねるうち、頼はこけ、眼光するどくかがやき、風貌に鬼気を帯びてきた。
 重位が藩主に従い鹿児島に帰国する日は、年末とさだめられていた。あますところは僅少な時日しかない。
 善吉は、おのれとともに僧院に朽ちはてるものと覚悟していた自顕流に、思わぬ後継者があらわれたことを、無上のよろこびとして、限られた日数のうちに、その奥義を伝えようと、心を燃えたたせていた。
 重位もおなじ思いである。一生にふたたびめぐりあうことのない師に、兵法の秘伝を教わるから℃は、命を締めても習得しなければならないと、まなじりを決している。
▲UP

■重位は稽古をかさねるうちに精神も鍛えなおされていた

<本文から>
 彼は自分で気づいてはいなかったが、体の構えが、三年前とは別人のようにかわっていた。
 一片の賛肉のかげもなく、はりつめた体躯はしなやかで、手、腰、足の動作が野獣のそれのように敏活である。ひとつの目標にむかってうごくとき、体は鞭の一振りのように、空間にひらめいた。
 彼の心にも、以前にはなかった静けさが宿っていた。動揺のかげもない、湖面のようなおちつきである。
 はげしい稽古をかさねるうちに、彼の精神はいつのまにか、鍛えなおされていた。知らぬまに、生死を超越した心境にいたっていたのである。もはや、事にのぞんで勇気をふるいおこす必要はない。
 これでいいのか、俺は極意を得たのか。重位は自分の強さが、わからない。ただ師の善吉のいうままに動いてきた自分が、ほんとうに奥義を身につけたのであろうかと、ひとごとのようにうたがうばかりであった。
「稽古とて外に求むる道もなし心の塵をはらうばかりぞ」
「雲晴れて後の光と思うなよもとより空に有明の月」
 善吉に教えられた奥義の言葉が、孤独な重位の心をやさしくなぐさめてくれた。彼は奥義の示す不動心をすでに得ていたのだ。
▲UP

■重位は弟子・長谷場を得る

<本文から>
「卒爾ながら、東郷重位殿とお見うけ致し申す」
 侍は問いかけてきた。
「いかにも、東郷は拙者でごわす」
 重位は油断なく答えた。
 侍は慇懃に一揖した。
「拙者はお城にてお乗馬衆をつとめおる、長谷場四郎次郎と申す着でごわす。本来ならば貴殿のお館へうかがい、ご面暗を請うべきところ、かかる所でお待ちいたせし無礼の段、ご免なったもんせ」
 「よかごわす。ご用向きは、何事でごわすか」
 重位は、長谷場の名は聞いていた。体捨流の使い手で、藩内に聞えた腕前であった。彼ならば盛風力の輩とは交際のない、沈勇の士であるはずだ。
 長谷場と名乗った侍は、いきなり地面に坐り、手をついた。も
「なにとぞ、拙者を貴殿の弟子にしてたもんせ。お願いいたし申す」
 長谷場は額を地に擦りつける。
「長谷場殿、まずは立たれい」
 重位の胸に、熱いものがうねった。自顕流も、ようやく薩摩武士の.あいだに根をすえるのだというよろこびが、湧きあがってくる。
 長谷場の眼光をうかがうだけで、その技傾がただならぬものであることは分る。重位は、彼のような弟子を待ちのぞんでいたのだ。
「長谷場殿、拙者はいまから帰い申すが、ご同道しやすか」
 長谷場は喜色をあらわし、立ちあがった。魚籠を提げた重位は、長谷場と肩をならべ、館へ向って埋を歩いた。
「お前んさあ、齢は幾つでごわすか」
「拙者は、三十八歳にない申した」
「そうでごあすか」
 重位は、遠い京都に住む師の善吉を思った。重位は、善吉より六歳年長であった。長谷場も重位より六歳年長である。
 館の門前には、門弟志願の侍が数人たむろしていたが、重位は彼らをかえりみず長谷場を伴い、庭に歩み入った。
 重位は下郎に魚籠を渡し、長谷場を奥庭のわが離れ家へ案内した。
 「今宵もよか月じゃ。さて、庭で立ちあいを致し申すか」
 長谷場は、突然重位にいわれ、顔に緊張の色を走らせた。重位はおだやかな口調で告げた。
 「拙者が京都にて、はじめて自顕流の師、善吉殿に教えを受けしときも、かような月夜でごわした。ないやら因縁のようなものを、覚ゆる心地じゃ」
 二人は身支度をする。たがいに木刀を執り、五間の間合を置いて向いあった。
▲UP

■島津家中での自顕流の基盤を築く

<本文から>
「重位、お主はこのうえもなき武辺者じゃ。今日ただいまより、膿の師範として、剣術を教えてくれ」
「もったいのうござい申す」
 重位はこみあげてくるものを、かろうじておさえ、声をふるわせて答えた。
「儂のいままでのふるまいは、ゆるしてくれ。膿はお主の手のうちをば、すべて習いたか」
「承知つかまつり申した。わが身の技はすべて若君にお伝えいたし申す」
 重位はその日から、家久に自顕流の技を伝授しはじめた。
 家久は剣技の筋がよかった。ユスの木刀を持たせれば、手のうちがほどよく締り、体がやわらかい。三年後の朝鮮油川の戦で、明兵のなかに単騎斬りこみ、大勢を斬り伏せる大名らしからぬ暴勇ぶりを示した彼の葉質は、そのときすでにあらわれていた。
 無駄な動きをはぶく勘のよさは、長谷場四郎次郎の進退に似通っている。
 立木打ちを教えれば、寝食を忘れて熱中する。太刀運び、足運びにも短時日のうちにめざましい上達を示した。
「重位、お主に太刀さばきを習ってより、儂はいままで己れがいかに迂遠な太刀打ちをいたしておったかが、よう分ったぞ。まこて未熟な技をもかえりみす、剣戟の下に怯めもせず身をさらしておったもんじゃ」
 家久は、流儀にふかく立ちいるにつれ、その真価が分ってくると感心した。
 一日、重位は義久、義弘の御前に呼ばれた。義弘が、重位に告げた。
「今日その方を呼んだのは、礼を申したいためじゃ。家久は、その方の自顕流を修行してよりこのかた、乱暴をはたらかんごとなりおった。人が変ったかのごと見ゆるぞ。あれは幼き頃より武辺いちずで、読み書きもろくにせず育ちおったが、その方が兵法を教えてくれてより、心の底まで変りおったぞ。この後も、あれの世話をしてやってくれ」
 重位は両公自筆の短冊と、来国光作の九寸五分の短刀を拝領し、面目をほどこして退出した。
 島津家中での自顕流の基盤ほ動かぬものになったと、重位は感慨無量であった。
▲UP

■桜田門外の光芒

<本文から>
「大丈夫か」
 広岡にたすけ起されると、次左衛門は気丈に立ちあがる。灼熱する激痛が、後頭部から全身にひろがってくる。
「もういかん、母上、兄者。俺はもはや力尽き申した」
 次左衛門の頭に、なつかしい鹿児島の風景が、鮮明にえがきだされた。彼は、琉球節をつぶやきつつ、広岡に支えられ陰線と歩をはこんだ。
 次左衛門は、和田倉門の前、辰の口までくると、動けなくなった。
「お前ん、先に行っくれ。俺はここで腹を切っど」
 広岡には、介錯する余力はなかった。
 「さらばじゃ、あの世で逢おう」
 広岡は刀を杖に、老中屋敷へ向ってゆく。彼もそのあと一町と歩けず、大刀を腹から背へつらぬいて死ぬのである。
 次左衛門は、若年寄遠藤但馬守の辻番所の傍に、直弼の首を置き、正座した。しばらく意識が遠のき、彼は前のめりに倒れていた。
 いつの間にか、降りしきる雪のなかに傘をさした人影がいくつかあらわれ、次左衛門をとり巻いていた。
 次左衛門は覚醒し、余力のあるうちに切腹せねば見苦しいと、ふるえる手先で竹胴の紐を外そうとする。紐は血を吸い、堅く締ってほどけない。
 次左衛門は、精根をつかいはたし、雪面に顔をうちつけて雪を喰い、喉のかわきを癒す。手をついて起きあがろうとするが、上体は巨巌のように重かった。
 竹胴の下の垂れをまさぐり外そうとするが、もはや指先に力はない。やむを得ず、短刀を抜き、垂れと胴の間に突きこむが、腹を切ることはできない。
 彼はかすむ眼で周囲を見回す。ふえてきた見物の人影は、いずれも両刀を帯びている。
 「お頼ん申す。どなたか、ご介錯をお頼ん申す」
 次左衛門は、ふるえる声音で頼むが、誰も応じてはくれなかった。彼はやむを得ず、短刀を雪のうえに立て、その刃に首をこすりつけて血脈を斬ろうとするが、容易に斬れない。幾度かくりかえすうち、力尽きてうち伏した。
 「いずれのお人でござるぞ」
 誰かが耳もとに問いかけてくるが、次左衛門は返事ができない。彼はいろどりもあざやかな花園のなかにいた。なんときれいな花かと紅を流したような滞日の眺めに、見入っていた。
 次左衛門の懐中には、くいかけの兵糧菓子二個のほか、詩作一通が納められていた。
「きみがため身をつくしつつ健男の名をあけとふる時をこそまつ」
▲UP

■野村兼之の最後の示現流

<本文から>
 野村は着物のもろ肌を脱ぎ、棒をトンボにかまえた。
 「チェエエーイ」
 彼は示現流の寄せ足で、砂を蹴たてて殺到した。
 驚愕して眼をみはる敵の群れを、野村の棒がなぎたてた。野村の二歩半の寄せ足は、ぐ風のように宙を飛んだ。彼の打ちこみをうけとめる刀身は、瞬間に折れ飛び、狼狽した敵の頭蓋に重い一撃が加えられると、眼球が飛び出した。
 「ぎゃあっ」
 丁半という納屋頭が、死にものぐるいに斬りかかってくる刀をはねあげ、こめかみに棒をうちこむと、道の端まで吹っ飛び、後壁にしがみついたままくずおれる。
 野村は冷静に倒した相手の数をかぞえていた。五人を倒したとき、敵は崩れたち、七、八人が悲鳴をあげて逃げ去った。
 逃げたのは小頭や人繰り役であった。踏みとどまっているのは、石原大取締長と、中野、左近の三人であった。
 野村は両眼から殺気を放射しつつ、向きなおった。彼は棒を捨て、打ち倒した一人の刀をとりあげていた。
 「汝ども、逃げんかったとは殊勝じゃ。武士んはしくれの根性は持っちょっどね。俺がゆっくり相手になってやっど。遠慮せず、かかっこい」
 石原たちは、三方から野村を囲んだ。野村は刀身を水平に延ばし、置きトンボにかまえた。
「さあこい、チェエーイ」
 四つの人影が、つむじ風のように旋転し、砂挨を巻きあげた。
 左近の辛から刀身が飛び、彼は額からみぞおちまで斬り裂かれ、血煙をあげて倒れ伏す。
 石原と中野は、刀を青眼に構えたまま後じさったが、野村が置きトンボの剣をトンボに構えなおしたとたんに、たまりかねたように背を向け、逃げだした。
 石原が転倒すると、中野がその背に馬乗りの格好でともに倒れる。野村は刃先にかすられた痛に血を流し、苦笑いしてその様を見送った。
 「あわてんな、見逃してやっで」
 野村は、平次夫婦を無事に漁船で野母崎の海岸へ送りとどけてやった。
 高島炭鉱では、明治十三年夏、十四年夏、十八年夏と、経営者の暴圧に反抗した坑夫の大暴動が起るが、いずれも軍隊の出動によって鎮圧され、悲惨な犠牲者を増すばかりであった。
 三度の暴動の際、左頬に刀創のある自由党壮士が、坑夫側についておおいにほたらいたというが、それは野村兼之であったのだろうか。
 示現流宗家は、初代東郷重位より十一代重政にいたり、現在もなお鹿児島の地に雲耀の剣を伝えている。
▲UP

メニューへ


トップページへ