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<本文から> 「そうですらあ。土州は薩長と手を組まんといかんがです」
龍馬は、高知で狭い見聞しか持たずにいた象二郎をおどろかすような、日本の現状を雄弁に語りはじめた。
郷土坂本権平の弟である龍馬は、高知におれば象二郎の目にもとまらぬ存在であったに だが、龍馬は天下の形勢を的確に把握していた。勝安房、大久保越中守、永井尚志、松平慶永(春嶽)ら、幕府側の重要人物、西郷吉之助、小松帯刀、吉井幸輔ら薩藩の革新勢力、長州藩を動かす諸隊の指導者高杉晋作、木戸孝允、
井上聞多らと密接な交流を保っている。太宰府に流寓する五卿にも謁していた。
象二郎は息をのんで聞くばかりであった。
彼は万次郎に聞いた。
「公儀の内情は、龍馬さんのいう通りながですか」
「まちがいないですろう」
万次郎がうなずいた。
武藤騒が、座敷に入ってきた。
髻が鴨居につかえるほどの大男である。
「これはハンさん、ひさしかぶりですのう」
龍馬が立ちあがり、親の両手を握った。
「龍やんと会えたがは、何年ぶりやろうか。ほんになつかしいのう」
親はつよい眼差しを龍馬と交した。
象二郎が親に声をかけた。
「ハンさん、いんま龍馬さんから大事な話を聞きよるがよ。お前んもいっしょに聞きや」
龍馬は土佐藩が薩長との関係をつよめ、西南雄藩の代表として、幕府への対抗勢力になるべきであると語った。
「そうするがが、この先の入り乱れる世を乗りきるための、いっちえい道じゃと思うがです。あんまり幕府に近寄ったら、共倒れになりかねませんき。そうかというて、薩長のようにあっさり討幕に踏みきるがも考えものやし、いんまは、薩長と手をむすんで、薩長が過激な動きをするがをおさえる役目を果さんといかんがです。上手に舵を切ったら、土州は天下に重きをなす日がきますろう」
その夜は、明けがたまで飲みあかした。龍馬は象二郎にすすめられた。
「いっぺん上海へいてきたらどうぜよ。ヨーロッパの力が、東洋へどればあ及んじょるか、よう分らあえ。路銀は俺が出すき、広之丞さんといっしょにいてきいや。それとのう、お前さんはこの際、社中同志といっしェに、土州藩へ帰参したらどうぜよ。俺が万事、手を打つきに」
龍馬と後藤の会談は、成功した。
慶応三年(一八六七)一月十四日、龍馬は木戸孝允あての書状に、その様子を記した。
「まえに、溝淵広之丞にお話し下さった、土佐藩との同盟問題につき、重役の後藤象二郎にいちいち相談したところ、よほど夜の明けてきたような気分になりました。
重役どもはまたひそかに小弟にも面会し、充分に論じあいました。
このごろは土佐藩も、従来の佐幕派がよほど勢力後退し、藩論一新の動きが見えるようです。
くわしいことは、中島作太郎をそちらへつかわしますので、お聞きとり下さい。何事も先生のお力であると思っています。
現在でも、土佐藩は幕府に積極的な応援をしない状況になっているそうです。
今年の七、八月頃になれば、事の運びしだいでは昔の長薩土の関係になるかも知れないと、楽しんでいます」
「維新土佐勤王史」 によれば、龍馬は後藤の印象について、つぎのように語っている。
「坂本、その寓に帰るや、社中の者井は口々に、後藤の人物は如何にと聞く。坂本はこれに答うるよう、近頃土佐の上土中に珍らしき人物ぞ、と。
その故はと聞かるると、坂本はために二力条を示したり。
彼と我とは昨(日)までは刺さは突こうという敵同士なるに、あえて二言も既往の事に及ばず。ただ前途の大局のみを説くは、すこぶる要錆を得たり。これその一ツ。
また洒座の談柄をば、いつも自己を中心とするよう、に惹きむけるところは、なかなか才気に富めり。これその二ツと。
然れども一同半信半疑の体にて、全く首肯する者は、なき程にてありき」 |
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