|
<本文から> すし詰めの客を乗せた廻船は、西風を帆にはらみ、海上を滑るように走ってゆく。龍馬たちは麟太郎をかこみ、艫屋形で別盃を交した。麟太郎は洒を飲めないので、茶を飲んでいる。
籠馬はいった。
「先生は向う意気がつよいけに、つい人を怒らせるようなことをいわれますけんど、幕府の風向きが変ったいまは、用心してものをいうて下さい」
麟太郎は笑った。
「分ってるよ。俺だって命が惜しいからな。お前らの七とは、薩州家老の小松帯刀殿に表むきは頼んでいるが、はんとうに世話をしてくれるのは、西郷さ。
薩摩人はお前らを大事に扱うさ。なにしろ、あいつらがいま、一人でも多く欲しがっている蒸気船運航をこころえた人材なんだから、粗末にするはずがねえ。それより、どこで暮らしていても、時勢に遅れないようにこころがけることだ。
いいか、うまく生きのびれば、また会えることもあるんだ。そのときを楽しみにしていようじゃないか」
天保山から安治川口へ船が入ってゆくと、麟太郎は龍馬たち、ひとりひとりの手をカいっぱい握りしめた。
専称寺で征長総督の使者を待つという麟太郎についてゆこうとすると、追いはらわれた。
「お前らの行先は、土佐堀屋敷だ。俺は明日には江戸へむけ出立するんだから、こんなところにぐずついていねえほうがいい」
龍馬たちは、縁先に立って見送る麟太郎をふりかえりながら、専称寺の門を出た。
龍馬は沢村、千屋らをふりかえっていう。
「俺は、薩藩屋敷じゃ、顔がきくきに、黙ってついてきいや」
龍馬はいつもの通り、絹の上衣に黒羽二重の羽織をかさね、仙台平の折目立った袴をつけ、高下駄を鳴らして歩いていた。 |
|