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<本文から> 俺の塾生となったうえは、大手を振って世間を歩きまわらねばならん。いいから任せておけ。老公の口から、こっちの望む返事をいわせてみせるさ。お前さんは、宿でひと風呂
浴びて、洒を飲みながら待っているがいい」
龍馬は麟太郎に従い、順動丸乗員の泊まる宿屋へいった。
麟太郎は宿の座敷におちつくと、風呂にはいった。容堂の泊まっている本陣へ、使いを出向かせる様子もない。
風呂からあがったとき、容堂の側小姓山地忠七が、麟太郎を迎えにきた。
「手前主人には、勝麟太郎殿上陸なされし由、聞き及び、ぜひ一夕の歓をともに尽くしいと申しおりまする。幕府軍艦組の小野友五郎殿、加藤安太郎殿もおられまするゆえ、いろいろお話し下されませ」
「それはかたじけない。さっそく伺候いたしましょう」
麟太郎は高松太郎と望月亀弥太を手招きした。
「お前たち二人は、俺の小姓としてついてくるがいい」
麟太郎が高松、望月を連れ、容堂を訪問して戻ったのは、夜更けであった。
西風は昼間とおなじように吹きつのっていたが、雨があがり、月が出ていた。麟太郎は宿につくと、大あくびをして座敷へ入った。
「明日は品川まで走らなきゃならないよ。皆、早く寝ろ」
龍馬は、したたかに酔い、着なれない紋服の肩をおとしている太郎と亀弥太に聞いた。
「ご隠居には、お前んらあも目通りしたか」
「おう、次の間の敷居際に膳を置いてもろうて、洒を飲んだぜよ」
太郎がいうと、亀弥太は笑っていった。
「ご隠居は、俺らあに声をかけてくれたがよ。そのほうどもは土州の者か。それなら大盃を受けよというて、五合ばあ入る大盃が、前にまわってきた」
「それを飲んだか」
亀弥太は太郎と顔を見あわせ、うなずきあった。
「二人とも、腰すえて飲んだき、ちくと足をとられるばあ酔うたぜよ」
「そがなことは、土佐じゃ考えられんことじゃねや」
「まっこと夢のようながじゃ」
それなら大盃
笠原唯八、侍講吉田文次、細川潤次郎たちが陪席していた。
小野友五郎、加藤安太郎ら、大勝丸を運転する幕府軍艦操練所の幹部たちも、出席している。
龍馬はたずねた。
「先生は、どがなご様子じゃったかよ」
「ふだんとかわらん、転合ばっかりいうて、皆を笑わせ。よっ一た。ご隠居が京坂の形勢をお尋ねなさったときは、たしかなうけ答えをしゆう。なんせ、頭が切れるきのう。ひとを笑わせてはっかりいながら、お前さんと惣之丞さんの赦免を願い出て、ご隠居に承知させたぜよ」
「なんちや、それはほんまか」
「嘘はいわん。先生はご隠居を呑んでかかっちゅう」
麟太郎は容堂に懇請したという。
「方今、ご家来のうちに過激の志をもって、亡命いたす者が多うござりますが、拙者の門下にも、坂本寵馬、沢村惣之丞が参っておりまする。かの者どもには悪意はなく、憂国の志あるのみなれば、願わくは寛典をもってその罪を許されよ。やむなきときは、かの者どもを拙者がお預かり申しあげまする。お許しをいただくならは、望外のしあわせと存じまする」
龍馬は、麟太郎が自分と惣之丞の脱藩の罪の赦免を、容堂に願い出たと聞き、おどろくばかりであった。
「ご隠居は、名前も知らん俺らあの赦免をいきなり頼まれても、びっくりするだけじゃろ」
容堂が赦免しないときは、門人として保護すると明言した麟太郎の、幕府高官としての権威を、龍馬はあらためて認識した。
−俺は日本一の人物の弟子になった。まっこと運のえいことじゃ−
沢村惣之丞は、龍馬が誘い、まもなく河鰭公述への勤仕をやめ、航海塾に入ることになっていた。 |
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