津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          龍馬2−脱藩篇

■脱藩を決意

<本文から>
龍馬は、女中と通じているという噂のある新甫を嫌い、彼が往診に出かけた留守に乙女に会いにゆく。龍馬は、三歳の甥の赦太郎を膝に抱き、乙女と話しあった。
「近頃の形勢は、大分荒れてきよった。浪人が事を起こしゆう。脱藩せにゃ、世間を動かせんきのう」
浪士たちは藩の規制から離れ、攘夷行動をおこす。異人を襲うのは、幕府を外交問題で窮地に陥らせ、政治改革に踏みきらせるためであった。
 乙女が聞いた。
「脱藩すりや、わが身にも家の人らあにも、災難をこうむるぞね」
「そらそうじゃが、いまのままじゃ一生食いかねるような身上で、内職ばっかりしゆう者ぞ。ちくと頭がまわりや、いまの世間でひとはたらきしたいと思うても、ふしぎはない。幕府が通商じゃ、開国じゃと異国の奴らあに押されて、足もともふらついちょるき、尊王攘夷の声があがりゆう」
「公儀に睨まれたら、うちの殿さんも首すくめゆうぜよ」
 龍馬が含み笑いをした。
「なんというても、幕府は四百万石、旗本八万騎じゃ。どこの大名でも喧嘩して勝てるとは思うちゃあせん。しかし、幕府だけじゃこれからの絵を描いてゆくのは無理じゃと、誰にも分かっちゅう。ほんじゃき、勅諚を賜って、葛府と合力して政事に参与したいという大名も、出てくる。しかし、表向きじゃあ動けんき、脱藩浪人らあがまず世間を騒がして、幕府を弱らせよるがじゃ」
「ほんじゃあ、鹿持先生みたいに、本心から壊夷をせにゃいかんと、思うちゅう人はおらんがかね」
 龍馬は乙女の眼をのぞきこむ。
「そら、いっぱいおるぜよ。撰夷、撲夷というてはやらせにゃ、幕府を弱らせるほどの動きができん。しかし、人の上に立って旗を振るほどの者は、日本国にいま撰夷ができるほどの力がどこにもないことを、知っちゅう。世を動かす方便でいいゆうだけじゃ。顎(半平太)でもそれくらいは心待ちょる」
 諸藩の若侍たちが、あいついで脱藩し、過激な尊壌活動に身を投げいれるのは、時代の転換が近いと推測しているためであった。
 身分の重圧に押しひしがれ、将来にわずかな希望も持てない生活を送っていた下級藩士は、頭上を覆っていた暗い空に、陽光が糸のようにさしこんできたのを、敏感に察している。
▲UP

■龍馬は乙女の語る言葉によって、わが考えをまとめる

<本文から>
  長次郎は高知にいるあいだ、龍馬と今後の方針につき、相談した。龍馬はすすめた。
「安積塾で勉強するのもえいが、これからは船と大砲がいっち大事じゃき、勝麟太郎と高島喜平の門人になれ。皆が習うまえに会得すりや、お前を雇う者はいくらでも出てくる。俺もいずれは江戸へ出るき、先にやりよってくれ」
「そりやえいが、俺のような者がにわかにたずねていっても、弟子にしてくれるろうか」
「そこじゃ、行秀さんに頼めばえいがよ」
以前、水通町三丁目に鍛冶場を構えていた刀工左行秀は、いま土佐藩抱えの刀鍛冶、鉄砲鍛冶として江戸に出府し、江東の砂村藩邸にいた。
 五十数人の弟子を指揮して洋銃張り立てをおこなっている行秀は、講武所砲術師範役と交流がある。
「そうか、行秀さんに頼むか」
 長次郎は膝を打った。彼は十歳の頃から毎日のように行秀の鍛冶場へ遊びに出向き、息子のようにかわいがられた。
 長次郎は再度の江戸出府のとき、大雨のあとで乗った富士川の渡し舟が転覆し、荷物と旅費をすべて流され、乞食のような姿で左行秀のもとへ辿りつき、養われた。
 行秀は長次郎を高島、勝のもとへ入門させ、学費を援助する。衣食の憂いがなくなった長次郎は、寸暇を惜しみ勉学して、勝麟太郎に将来を嘱目されるようになっていた。
 長次郎は横浜の開港場でおこなわれている貿易の実情を知らせてくる。
 日本の生糸と茶は、ヨーロッパ人の予想をはるかにうわまわる良質な商品であったので、外国商人はあらそって買い入れたがるが、彼らの商法は悪辣であった。
 龍馬は長次郎の手紙で知ったあらたな情報を、すべて乙女に語った。乙女は記憶力がいいので、聞いたことは忘れない。龍馬はわが脳中にあるのと同量の知識を乙女に与えておき、何事かを決断せねばならないとき、彼女の判断を求める。
 乙女の判断は、龍馬の考えとおおきくかけはなれることがなかった。龍馬は乙女の語る言葉によって、わが考えをまとめるのである。
 純正、栄馬ののような気を許しあった者のほかには、心をうちあけて語らない龍馬が、乙女とは一心同体のように頼りあっている。
 彼は乙女に語った。
「いま京都の西陣じゃ、機屋が軒なみ潰れかけちゅうそうじゃ。生糸の値があがったわりには、織物の値があがらんき、儲かりやあせんがじゃ。生糸はこの一年ほどのあいだに倍にもあがって、この先まだまだあがる様子じゃ。上州でも機織りどもが難儀して、三十四力村の総代が幕府に生糸を外国商人に売らぬよう、嘆願したがじゃ」
 「ほんじゃあ、そのうちに生糸ばっかりじゃのうて、ほかの品も高うなるがかね」
 「そうじや、異人らあは幕府に開港場をこしらえさせて、借り賃も払わん。買いこむ品は、商館の蔵へ全部納めさせたうえで、品調べをして、値をきめるがじゃ。日本の商人どもは、存分に買い叩かれるが、なんせこれまでの倍の値でいくらでも売れる。皆品物をかき集めて、売りゆうぜよ」
 外国人たちは、暴利をむさぼる手段を、つぎつぎと思いつく。日本の金銀比価が一対四・五であるのを知ると、一分銀と小判を交換するようになった。海外の金銀比価は、一対十五である。
 彼らは幕府とのあいだに取りきめた公定相場で、メキシコドル銀貨と交換した一分銀を日本の両替商に持ちこみ、いくらかのプレミアムをつけて小判とひきかえ、二倍から三倍の利益を得ているという。
▲UP

■龍馬は山内容堂を推したて一藩勤王を果たそうとする半平太の考えに違和を感じていた

<本文から>
龍馬は、清平たちの知らない言葉を口にした。
 ぼんやは、表口の行灯に家名を大善し、その脇に、かし座敷とちいさく書いている。席料は二百文。一泊であれば四百文である.酒食を注文すれば、他所から取り寄せる。
「戸口から入れば、目の前が梯子段じゃ。二階へあがったら、布団が敷いちょって枕も二つある。客があがれば、履物は奥へいれて、呼ばざったら誰も二階にあがらん」
 清平たちは首をひねった。
「まっこと隅に置けん男じゃのう。こがな淫風さかんなところにおったらいかん。陣屋へきいや。文武館の松下殿のお許しをもろうちゃるき。ここにおりやあ、金がかかるろうがよ」
「お蔵屋敷に才谷屋の番頭がおる。借銀をするつもりじきゃ。ちとおちついて酒でも飲んじょって。それからお供をするぜよ」
 龍馬は酒肴をとり寄せた。清平が聞く。
「萩へ出向いたがは、顎の用向きあってのことか」
「いや、添え状を貰うただけじゃ。顎は俺を久坂に会わせ、天皇好きにしたいがじゃ。久坂は留守じゃったき、お前んらあに会おうと思うて、上方へ向いてきたがじゃ」
 覚之助がするどい眼差しをむける。
「長州じゃ、薩摩に劣らず勤王の気勢があがりゆうかよ」
 龍馬は首を振った。
「そりや、義助さんに会わにゃ分からん。来年の三月にゃ、島津周防(久光)が兵を千か二千連れて入京するというが、そうなると長州も動かねばなるまいがのう」
「土州は、やりゆうか」
「それが分からんがよ。元吉っつぁんが首を縦に振らざったら、どうにもならん」
「そうなりや、騒まにゃならんか」
「藩のうちで血を流せば、水戸の二の舞いになるぜよ」
 龍馬は山内容堂を推したて、一藩勤王を果たそうとする半平太の考えに、同調できない違和を感じていた。
 土佐藩が薩長とともに尊王擾夷の大方針を推しすすめ、幕府を支えて国政の檜舞台に立ったとき、土佐勤王党の同志たちが、藩の重職に就く見込みがあるか。
 たぶん見込みはないと、龍馬は考えていた。
 容堂の威勢が高まれば、上士と下士の階級が消失するだろうか。上下の区別はなおきびしくなるのではないか。半平太は上士に抜擢されるかも知れないが、身のほど知らずのふるまいをした酬いはかならずある。
 −万次郎さんのいうた、アメリカのような国にせざったら、四方の壁にこちあたるような、いままで通りの暮らしむきは変わりやあせん。俺は他人と斬りあわにゃならんような道は、歩きとうない。ひとりで勝手に歩きたいがじゃ−
 龍馬は清平たちにたずねる。
「大坂では、物の値があがって、日傭取りらあは難儀しょるそうじゃのう」
清平は顔をゆがめた。
「宿なし野伏り、乞食物もらいが大坂にどればあおるか、知れん。町奉行所の下宿(休憩所)じゃ、毎朝窮民に粥を施しゆうが、何百人とも知れん行列じゃ。異国との交易がはじまって、小判から一分銀、鎖に至るまで不足したがために、豊作であろうとなかろうと、物の値はあがるはっかりじゃ」
龍馬はうなずく。
「長州、芸州、備前、備後、伊予、讃岐。どこでも米、麦、大豆、種油、塩、蝋などの、日にちに使う物が高値を追ういうぜよ。これは幕府の失政じゃ。これからの世は、尋常なことをやりよっては、生血を搾られるぞ。俺はあるところで聞いたが、西南のさる藩では贋金をつくりゆうがじゃと。百文の天保銭が三十七文でつくれるき、滞れ手で粟の儲けじゃ。それで軍船やら大砲を外国から買うそうじゃ」
「そがいなことをしゆうかよ。梅田雲浜も金蔓つくりが巧者であったというが、贋金づくりにくらべりゃ細いもんぜよ」
 安政の大獄で牢死した元若狭小浜藩士梅田雲浜が、諸藩の物産交易を仲介することで、莫大な政治資金を稼ぎだした噂は、世上に聞こえていた。
 龍馬は清平にたずねた。
「お前さん、雲浜がやりよったことを知っちゅうか」
「あらましは、大和五条の儒者森田節斎殿から聞いたがのう」
 清平は、梅田雲浜の商才にたけた一面を、詳しく知っていた。
▲UP

■脱藩時の物騒な世情

<本文から>
龍馬はその夜から、明倫館内の文武修行館に泊まることになった。そこには他国から訪れた剣術修行者の宿泊する長屋がある。
 龍馬は久坂ら長州藩尊撰派が、意気あがらず鬱屈しているのを知った。藩論は長井雅楽の航海遠略策に定まり、公武一和を推進するなかで、尊擁を実行するには、脱藩するよりほかに道はない。
 −土佐も長州も、おんなじような形勢じゃのう−
龍馬は自分が大坂へ出向いているあいだに、高知から勤王党の大石団蔵と山本幸三之進が萩にきて、久坂義助に会ったことを知った。半平太は吉田元吉に尊攘論を拒まれ、焦慮のあげく、大石らに書状を托し、長州の状況を知ろうとしたのである。
−−四、五日泊めてもろうて、土佐へ去ぬるか。それからいよいよひとりで脱藩するしかない。こがな物騒な世のなかに、お田鶴を連れて旅するがは無理じゃ−
 前途は濃い霧に包まれたように、見通しがつかないが、龍馬は向日性の植物が陽射しを求めるように、世間が大変動をおこしはじめている場所へ、ゆきたい。昔からの格式や取りきめが通用しなくなる時代の裂け目が、口をひらきかけているのを、わが眼でたしかめたい。
 誰にも相手にされず、野垂れ死にをする不運が待っていても、龍馬は自分の欲望に忠実でありたかった。
 −死ねばそれまでじゃ。山より大けな賭は出よらんぜよ −
 彼は土佐藩郷土、坂本権平弟の身分に縛られることなく、自由に動きまわりたかった。毎日何の変化もない年月を重ねて生きることには、飽き果てている。
 気債な旅を重ねるうちに、龍馬の身内に餓狼のような不敵な勇気が、いつのまにか宿っていた。
 翌朝、佐世八十郎、大楽源太郎ら、久坂義助の同志が龍馬を呼びにきた。
「昨夜、薩藩樺山三円殿の使いが参られた。いよいよ三月には、島津久光公が千余の軍卒を引き連れ、京地に上られると決まりました。諸藩が合従して、勤王義挙に出るときがきたのです」
 龍馬は久坂の屋敷へ出向いた。
 義助は座敷に入りきれないほど集まった同志たちに囲まれ、鷹のような眼の男と並んで坐っていた。
 眼光するどい薩摩藩士田上藤七は、重大な通報をもたらした。
 三月になれは島津久光が、供の人数千余人を連れ、鹿児島を出立して上洛すると決まった。人数は二手に分け、まず久光が五百余人の兵とともに、藩船天佑丸で大坂にむかう。
 つづいて後発の五百四十人が、下関、小倉附近に進出する。蒸気船の天佑丸は、久光一行を大坂か兵庫に上陸させたのち、下関、小倉に引き返し、待機していたすべての兵員と糧米を積み、大坂へ送る。
 移動に要する日数は五日間であった。
 率兵上京の趣旨については、去年十二月、薩藩小納戸役で誠忠組の代表者である大久保正助(利通)が、京都へ出向き、島津家の姻戚である棒大納言近衛忠房に申しいれたという。
龍馬は久坂家の座敷を埋めた男たちの熱気のなかで、義助と薩摩藩士が語りあう言葉を聞きもらすまいと耳をそばだてた。
−やっばり薩藩はやるがか。幕府にこじゃんと楯つくとは、胆がふといのう。この先何事がおこるか、分からん−
 傍にいる男のわきがに閉口していた龍馬が、においも苦にならなくなった。
 大久保が近衛忠房に取り次いだ、島津久光・忠義父子の意見の大要は、つぎのようなものであった。
「幕府は桜田門外の変ののち、行政能力を失ったまま、表面では虚勢を張り、内部では深淵にのぞみ薄氷を踏む思いを抱き、国家の前途を憂うこともなく、内外の難問題を一日延ばしにしています。
 和宮様御降嫁によって、政事を改革し勅意に従い奉る意思はありません。
 幕府はたのむに足らず、朝廷が実力によって天下の事を解決するためには、兵を動かす必要があります。天皇のご安危にもかかわる重大事でありますが、皇国復古の大業あらせられたく、誠願いたします。
▲UP

■勝麟太郎との出会い

<本文から>
−佐久間賦払つけた男だから危なくないだろう− 
 麟太郎が、半刻(一時間)稽古に汗を流し庭を飛び回ったあと、風呂場で湯を浴びて褌を締めたとき女中が後ろから声をかけた。
「旦那様。長次郎さんともう一人のお客様がみえてございます」
「よし、わかった。座敷へ通しておけ」
 麟太郎は単衣を着て、袴もつけず、早足に廊下を歩いて客座敷に入った。
 下座に長次郎と龍馬が坐っていた。
 − しはらく見なかったがこれが坂本か。何と色の黒い男だなあ−
 麟太郎は独特な威風をただよわす外見を備えている龍馬を見て、遠い土佐の激しい陽が照りわたる海を思い浮かべた。龍馬の顔は鍋墨を塗ったように黒く陽灼けしている。
 平伏する二人に麟太郎は声をかける。
「そんなところでかしこまっていねえでここへきな」
 二人は前へにじり寄る。麟太郎は龍馬にたずねた。
「用向きは中浜万次郎からおおよそ聞いているが、俺の弟子になりたいかい」
 龍馬は畳に手をついた。
「はい。是非にもお頼の申します」
「大きな男じゃなあ。六尺はあるか」
「ちくと足りませぬ」
「お前さんは俺の弟子になって何をしたい」
「蒸気船の扱いを覚えたいがです」
「ほう。なぜ覚えたいのかね」
「これからの世の中は蒸気船がなけりやあいかんと思うちょります。それに、土佐じゃ世間の変わりようがさっぱりわからんがです」
「そりゃあそうだろうよ。お前さんは尊王と嬢夷についてどう考えているんだい」
「攘夷はとても無理ですろう」
「そうか。無理なら無理として、異人のいうがままに商いをするかね」
 龍馬は突然声を昂らせた。
「そこが知りたいがです。先生、擁夷をやらねば異人がのさはります。けんど、今の日本じゃあ、とてもアメリカやヨーロッパにゃ勝てん。そうなると異人と同じ土俵で相撲が取れるはどのカを持つようにせにゃいかんがですろう」
 麟太郎は笑った。
「ほう。お前さんは土佐にいながら天下の形勢をよく知っているじゃないか。その通りがよ。それで、俺の門人になって航海術を身につけるかね」
「はい。というても、俺は算術やらオラソダ語を勉強するには頭がようないき、先生の傍にいてその脳みそのえいところばあ頂戴したいと思うち上ります。そのためには、先生の足代わりになってなんでも働きますきに」
 麟太郎は、肩をゆすって愉快そうに大笑した。
「お前さんほなかなか正直な男だなあ。その年になって航海衝を身につけようとしても年数がかかるからのう。それならやめさせようと思ったが、俺の手足になるか」
「はい。命を投げ出してやります」
「うむ。今、幕府の旗本たちは皆ふぬけだ。国のために命がけで奔走するようなものはいない。お前さんは俺に命を預けるか」
「もちろんです。何でも教えてつかあさい。俺は先生から今の世の中で何がいっちだいじか教えてもろうたらその方へ走りますき」
「それじゃあ俺の塾へ通ってくるがいい。長次郎と一緒に勉強しろ」
「ありがとうございます」
 龍馬は平伏し、早速申し出た。
「俺は今日の御堂城からお伴して参りますきに」
 勝は目を見張った。
「なんだ、気の早い奴だな。今日から来てくれるのか」
「はい」
「お前さんはどこで剣術を習ったんだい」
「私は京橋桶町の千葉道場に居候しちゅうがです。今、師範代として弟子らあに教えよります」
「そうか。それじゃ、柔はやったか」
「国許で小栗流をやりました。小栗流は剣術と柔を組み合わせちょります」
「そうか。俺も心影と関口流の、剣術、菓の組み合わせだ。では、今日から供をしてもらうか」
「承知いたしました。千葉道場へ帰って、早速支度をして参ります」
 龍馬は長次郎と外へ出ると下駄で土壌を蹴立てて走った。
 龍馬は勝麟太郎に師事するようになってそれまで解きえなかった謎があいついであきらかになり、目からうろこが落ちる思いを味わう毎日であった。
 海外諸国が押し寄せてくるとき、世間がどのように流動してゆくか龍馬にほまったく分からない。深い霧に包まれたような未知の前途が、麟太郎の言葉によって徐々に解き明かされる。
 −俺ほ勝先生のもとへ来たおかげで、暗がりの中からお日さんの照っちゅう明るい大場へ出てきたような気分じゃ −
麟太郎は幕府から軍制掛を拝命していた。
▲UP

■海軍振興を春嶽にとく

<本文から>
龍馬がつづいて海軍振興のため、神戸あたりに操練塾を設けねばならないと力説した。
龍馬は春嶽にむかい海防論を説けと、中根雪江にすすめられたとき、恥ずかしさに冷汗が出て、動悸が早まったが、自分をはげます。
 −勝先生と話しゆうつもりで、いえばえいろう。先生は、いなか者の俺のいうことをおもしろがって、おんしはなかなかの悪党じゃと褒めてくれた。どがな大名であろうと学者であろうと、存念をそのままにいうまでじゃ−
 かつて橋本左内、いまは横井小楠という傑物を参謀にして、幕政を動かしている春嶽だ。俺の話などは聞きすてにするだろうが、なんちゃあかまんと、龍馬はひらきなおった。
「この先、捷夷をやる、やらぬは時のいきおいしだいとして、摂海の海防は一日も早う固めねばならぬと存じおりまする。大坂天保山、兵庫、決路、紀伊加太湊あたりの要所に砲台を設けるは当然なれども、砲台は守備に備しまするゆえ、どうしても海上の敵につけいられまする。されは、まず軍艦を多くそなえることが肝要にて、そのためには蒸気艦を進退させる術をこころえたる者を、大勢集めねはなりませぬ」
 龍馬は万次郎、麟太郎からの耳学問に、自分の意見を加え、語りはじめるとつぎつぎと言葉が湧きでてきた。
 春嶽が近臣になにごとかいう。龍馬への質問であった。
「足下は、海防には砲台よりも軍艦を用いるがよしとの意見であるか」
 問いかけに対し、龍馬はおおきくうなずき、思わず土佐託がでた。
「そうながです。軍艦がなけらにゃ、外国人らあに軽んじられるばあです」
 春嶽がまた質問をした。家来が取りつぐ。
「足下は外国に対し、和戦いずれの論をとるものであるか」
 さっそく大問題を持ちだしてきたと、龍馬はふるいたった。
「なにごとも、公明正大が肝心と勘考つかまつりまする。粛夷をいたすべき真の道理があれば、勝負はいずれになるとも、異人どもと一戦をまじえて然るべし。されども外国の者どもは和親を望みおりまするゆえ、こなたより漢夷をしかけねばならぬ理が立ちませぬ。それゆえ幕府は、外国と和親をすべきじゃと禁裏に申しあげ、ご納得いただくべきところを、戦いたいが武備が十分ないゆえにしばらく和親いたすなど、申しわけを重ねるゆえ、志士らあが怒って騒動するがです」
 龍馬は春嶽の、燭台の明かりに浮き出ているほのじろい顔が、ほほえみうなずいたような気がした。
▲UP

メニューへ


トップページへ