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<本文から>
彼女は扱いようでは手に負えなくなる乙女をなつかせ、籠馬をふるいたたせようとした。伊与は龍馬に武家としての三力条の信条を教えた。
一、相手にやられたらやり返せ。
二、自分から進んで手を出してはいけない。
三、男は強く、優しくなければならない。
伊与は龍馬に自信をつけさせるため、武芸鍛練をさせることにした。彼女は知人の土居楠五郎に龍馬の指導を頼んだ。楠五郎は龍馬を見ると」笑みを見せた。
「この秘蔵子は、役に立つ者になりよる。手と足が大きかろうが。それに胸板が厚いろう。稽古さえすりゃ、素人ばなれした本方になるろう。上手になるにゃ、気の細いところがえいがぜよ。気の細い者が稽古して、しだいにしだいに強うなっていきゆう。それがいっちえがぜよ」
龍馬は楠五郎に会ったとき、身内に昂揚を覚えた。
−あしは強うなれるかも知れん。堀内みたいな奴にも勝てるんじゃ。たまあるか。稽古せにゃあ−
日根野道場は、坂本家から五、六丁ほど離れたところにある。龍馬は乙女がおどろくほ ど稽古にうちこみはじめた。
道場主日根野弁治は小栗流の師家で、剣術、和術を教えた。入門してから半年のあいだ は、基本動作の反復をする。
龍馬はものに憑かれたように、稽古をつづけた。楠五郎は、日根野師範とささやきあう。
「こりや、ものになるじゃろ」
「うむ、一心不乱じゃねゃ」
龍馬は、わが心中にあきらかに宿る堀内の残像にむかい、竹刀をふるった。彼は自分を 侵そうとする者に対抗するカを養う道を知って、奔馬のように駆けだしていた。
彼は道場がひらく辰の五つ(午前八時) には稽古着姿で門前に立つ。昼には家に帰り、夕方の申の七つ半(午後五時)からはじまる稽古に出る。戌の五つ(午後八時)に稽古を終え、足をひきずるようにして帰ると、乙女がおどろくほどの食欲をあらわし、逞しくなっていった。 |
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