津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
      烈刃の刻 柳生兵庫助

■剣術の内容は時代の要請にしたがって変化

<本文から> 当時の事情は、古流剣法の形をいまに色濃くのこしている、馬庭念流の組太刀を見れば分かることである。
 念流の上段は、柄を持つ左右の挙が顔のまえにくる低さである。腰はふかく沈め、後ろにひき、ひきがえるがゆっくりと泥道に歩みでるような重心の低さで、前面から斬りかかってくる敵に対する守備は、鉄壁の厳重さであることが一見して分かる。
 剣術の内容は、時代の要請にしたがって変化してきたのである。
 現代剣道のような、前後左右に自在に跳躍できる、かろやかな送り足の動作は、兵介の生きていた時代には、考えられないことであった。
 新陰流での立ちあい間合は、四、五間とされている。たがいに一足一刀の間合に達したときは、すでに勝敗を決するときである。
 間境のうちにはいって、技を打ちだせない者は、敵に倒されるはかはない。真剣勝負の世界では、あいたたかう二人の運命は、間のうちに踏みこんだ瞬間に決するのである。
 ところが、江戸期では太平がつづくうち、剣術の内容はしだいにスポーツ化され、本来の武術の特性をしだいに変えてくる。
 試合の間合ははじめから一足一刀である。剣尖を交叉させて立ちあいつつ、たがいに攻防の技を練りだす。
 新陰流の間積りの訓練などはおこなわず、極端にいえば、刀を速く振りまわすほうが勝つという、道場剣法の弱点は、幕末にいたって表面にあらわれるが、これは余談である。
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■世俗の栄達のむなしさを覚っていた

<本文から> 天下に名高い荒武者の福島宰相正則が、望外の高禄で招いてくれるのはありがたいが、兵介には仕官して出世の道を辿ろうという気は、もはやなかった。
 彼には浮世の様がはかなく思えるのである。
 兵介の本心の願いは世間との交わりをすべて絶ち、千世とともに柳生のいなかに閑居していたいのである。
 ひとは死ねばすべて終わるのに、あくせくと気に染まぬはたらきをして、日送りすることはないと、彼は考えている。
 兵介はこれまでに、多くの者をわが手にかけて命を奪った。そうしなければ自分が殺されたからであった。
 柳生館を立ち出てみれば、世間墜日鬼夜行の修羅道そのままの眺めで、地に打ち倒れる血まみれの屍骸、青ぶくれになった行き倒れの様を日夜にするうちに、兵介の身内に死へのおそれが知らぬ間に宿っていた。
 一村ことごとくが癌癒などの疫病で死に絶え、息もつまらんばかりの悪臭をはなっている場に、行きあわせることもある。
 嵐のあと、山津波で埋没した肉親を、泣きながら掘り出す情景を見たこともある。
 人の命がいかにはかないものであるかを、兵介は思わないではいられない。片手で白刃を一閃させただけで、手応え軒なく首と胴を異にする。もろい人の体に宿る魂は、禅坊主のいうようにほんとうに不滅なのであろうか。
 もし不滅でなけれぼ、息をひきとった瞬間に自分はどうなるのか。永遠の睡りのとばりのうちに閉じこめられてしまうのであろうか。
 兵介を死の恐怖から解きはなってくれるのは、千世への恋どころと、兵法稽古のみである。
 柳生館を出て以来の、みじかい月日の経験が、彼に世俗の栄達のむなしさを覚らせていた。
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■無形の位

<本文から> 彼は祖父石舟斎の慈顔を、宙にえがいていた。幻は摩拏羅尊者の偈をくちずさんでいた。
「心は万境にしたが違ず。転ずるところ実によく幽寄。流れにしたがいて性を認得すれば、よろこびもなくまた憂いもなし」
 はじめて柳生館の稽古所で竹刀を握ったときから、意味も分からぬままにそらんじてきた偈が、兵介の胸にしみわたる。
 石舟斎は彼にくりかえし教えた。
「本来人間の心は、わが身の置かれた場によって千変万化してゆく。本来のわが性をみきわめ、七情に溺れることなく自在に変化にしたがってゆけば、喜怒哀楽をこえた不動の境地に至れるのじゃ」
 新陰流の根本である無形の位は、この偈の真意を体したものであった。
 いかなる場に立ち、いかなる敵に遭っても、そのときの状況についていける。敵のはたらきを見て、自由について冒、敵のはたらきの奈で勝つのが、無形の位の本義であった。
 隙がないように構えたときは、敵はその構えを打ち破ろうと工夫する。はじめから隙を見せ、敵の攻めを微塵もおそれない無形の位は、太刀遣いをひろく自由にするためのものであった。構えがないことは、いかなる敵に対しても自在に勝てる条件であったわけである。
 「流れにしたがいて性を認得すれば」
 兵介はつぶやく。
 彼の心中には、おぼろによどんでいた考えが、しだいに明らかな形をとろうとしていた。逆風の太刀の、八相の構えをもっと高くし、沈なる身の懸りを変え、直立ちし姿にするのである。
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