津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          乱世、夢幻の如し(上)

■苛酷にすぎた過去の運命への仕返しを決意

<本文から>
 久四郎は岩豊の言葉をさえぎる。
「像がなんで合戦を好きじゃ。いつなんどき婆叩いたすか分らぬ、一寸先の目途もつけられぬ日を送るには、女子を抱き、酒をくろうて憂さをはらすよりほかに、仕方もない。おのしらは、身の皮剥いでも博打をいたすであろうがや。儂らはいずれも命を捨てての身すぎをいたす、寄る辺もなき棄て小舶がようなものよ」
「朽木の御所さまが、はよう京にお戻りなされればええのやが」
「いまの御所さまに、さようなお力はなかろうよ」
 久四郎は、公方御庭者ではあるが、将軍義時に忠節を立てつらぬくつもりはない。彼は、麻のように乱れた天下を巧みに泳ぎ、天下を統べる実力のある大将に出会えば、その配下につくつもりでいた。
 −−儂は子供の時分から、父親の顔を知らぬ。母親は苦労をかさね、横尾寺悪僧らにもてあそばれたあげく、命までとられた。儂にしても、人買いから人買いへと売りわたされ、死んであたりまえと思えるほどの苦患のなかで、生きながらえてきたのや。儂が主人に仕えるのは、主人を食い殺すためや。いつかは、いままでの苦患の仕返しをしてやろうと思いつつ生きてきたが、その願いはいまも変らぬ−
 久四郎は岩豊たちに、醒めた眼差しを向けた。
 「話はこれまでや。儂はここなるお吉と寝ようほどに、おのしどもは引きとってくれ」
 岩豊、兵衛次郎たちは笑みを発し、立ちあがった。
 「お頭の腎気は並はずれていようほどに、お吉どのは腰をぬかさぬよう、気をつけるがよい」
 久四郎は、お吉に肩を揺すぶられる。
 「お前さま、冷えこみもきついほどに、いま一度湯風呂を浴びてのち、寝ようではないか え」
 久四郎はほほえむが、言葉を返さない。
 −−しばらくは、いまのままでいるより仕方がなかろう−
 彼は無駄な死を迎えるような、愚かなふるまいはすまいと考えていた。できるだけ長く生きのびて、母親と彼に苛酷にすぎた過去の運命への仕返しをしなければならなかった。
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■三好党への随身を願い出て近僧衆に加わった

<本文から>
 久四郎は天文三年(一五三四)の春、岩畳ら百余人の家来を率い堺湊にゆき、三好千熊丸の武威をたしかめたうえ、三好党への随身を願い出て近僧衆に加わったのである。
 久四郎はわが家来のうちからもっとも背力にすぐれ、才覚のはたらく岩豊を、わが弟と申し出て相応の待遇を乞い、ともに千能先の近習となった。六郎万、兵衛次郎ら京都から従ってきた荒くれ男たちは、千能克旗本本陣勢の雑兵として、五年間に幾多の戦功をたててきた。
 千熊丸が久四郎たちを麾下に加えたのは、公方御庭者としての彼らの活躍を知ったためである。京都法華一揆のうちで、久四郎たちの存在は「若狭のバサラ法華」として聞えていた。
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■下克上の考えに驚嘆

<本文から>
 長教は評定の座に列している長慶の家来衆が、患わず息を呑むようなことを語りはじめた。
 「思うてみれば、われらはわれらより弱き者に、召し使われておるのじゃ。このおや指ひとつでひねり潰せるほどの、のみ、しらみがようなる六郎殿を、何ゆえわれらが血を流し、辛き目を見てまでも頭上に担ぎあげておくかということよ。それはのう、六郎殿が細川京兆家の主であるという身分ゆえに、われらが不足もいわず、喜んでこき使わるるがためじゃ」
 末座で長教の長広舌で聞いている松永久秀は、傍に坐っている岩豊の膝をつつき、小声で教えた。
 「高屋の殿がいいぐさは、おもしろいわ。耳の穴をひろげて、とくと聞け」
 不惑を過ぎた長教は、二十七歳の長慶の考えを混乱させないよう、ゆるやかな口調で語りかける。
「身分とは、思うてみれば奇態なものよ。家の格によって人の値打ちが違う臥を当然じゃと、誰しも考えるところじゃ。ところが、身分とはいつ頃よりできあがりしものか、誰にも分らぬ。いまの世にては、守護代と守護の格の違いは、天地のへだたりにひとしきものじゃ。守護代が守護となるには、主家を凌いで成りあがらねばならぬ。世間にては、さようのふるまいをいたす者を、道義も知らぬ人非人といいたておる。ましてや管領家、将軍家となれば、われらとは違う種にて生れついたる、高貴の人と、侍の端くれに至るまで思いこんでおる」
久秀は長教のいうところを、一言も聞きのがすまいと耳を澄ます。
「ところがじゃ、われらが思いこまされておる身分とは、天下を統べるものが、万民を自在に動かさんがための、めくらましのわざに過ぎぬのじゃ」
 長慶は、眼をみはった。
「これは驚きいったる仰せじゃ。ならば世間には、元来身分などというものはなかったのでござろうか」
「いや、あったのじゃ。すなわち武力強き者が貴き位に就き、弱き者はそれに従うのが、天地自然の理であろう。いまの世は、天地の理に背いておるのじゃ。世を統べる何の力もなき者が、将軍、管領の権を振るおうといたす。それが天下大乱の源となっておる。大乱を治め、天下太平をもたらすには、まことに天下を統べる力を持つ者が、将軍、管領にならねばならぬのじゃ」
 長慶は耳を疑う。
―儂が父上元長殿も、六郎めの命を幾度かつないでやりつつ、六郎に亡ぼされてしもうた。父上こそは、管領、将軍にふさわしき器量をお持ちなされておったのに、存分のはたらきを見せることもなく、おはてなされた。いま、儂もまた父上のおゆきなされし跡を辿っておるがごとき、ていたらくじや。六郎ごときにこき使わるるも、長教のいう通り、身分ゆえじや。身分というものは、打ちこわすべきものであろうか−
 自分が管領、将軍になるかもしれないと思うと、長慶の眼前に、まばゆい光彩が飛び交う。
「ならば、誰によらず力しだいでは、将軍、管領にもなれると仰せらるるか」
「その通りじゃ。儂はのう、いずれは御辺をその座に押しあげようと、ひそかに存念いたしおる。債にはさような力はないが、御辺ならば、成しうることじゃ」
 一座にどよめきが流れた。
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■優柔不断な長慶への不満

<本文から>
 京都の政局は将軍不在のまま、長慶を中心に動いている。
 松永久秀は、長慶が天下人となる資格をそなえているのに、自らの政権をうちたてる意志を明確にうちだせない、優柔不断の性質を嘆いた。
「うちの御大将は何を考えておらるるか、分らぬわい。おとどし入洛されて以来、氏綱殿をいただき、おのれは摂津、山城の守護になろうと思うておったようじや。したが、いまは摂津守護代ゆえ、守護になり、纂になるには将軍から肝低されねばならず、その将軍はおのれの手によって追放いたしておる。それで動きがとれんようや。思うてみれば、笑うしかないわえ。将軍がおらねぜ、おのれがなればええのに、それをぐずつくとは、所詮はこれまでの器のう」  彼は甚介と酒を汲み交すとき、内心を隠さなかった。
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■三好長慶は戦広大な分国を得て、松永兄弟も軍政長官となる

<本文から>
 三好長慶は、霊山城、芥川城を手中にしてのち、畿内に盤石な支配権を確立するに至った。彼は本城を越水城から芥川城に移し、永禄三年(一五六〇)末までの七年間、畿内政治を同城においておてなった。
 長慶は山城、摂津、丹波、和泉、淡路、阿波、讃岐、伊予の八カ国にまたがる、戦国大名随一の広大な分国を得た。
 当時長慶に匹敵する分国を擁していたのは、山陰の尼子晴久である。彼の領国は八カ国であった。だが、京都を中心とする畿内を押え、淡路から讃岐に至る、海をへだてた諸国を掌握した長慶に比較すれば、尼子は迎晰の王にすぎなかった。
 長慶はこれらの分国に支城を置き、軍政を敷かせ統治する方針をとった。
 松永久秀は滝山城にいて、摂津支配を、甚介は八木城で丹波支配を命ぜられた。山城は細川氏綱、淡路は安宅冬康、阿波は三好義賢、讃岐は十河一存に任せられ、長慶の一族がそれぞれ軍政長官となるが、彼らと並んで、松永兄弟が加えられたのである。
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