津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          お庭番吹雪算長・上

■算長は伊賀組きっての忍術の練達者

<本文から>
 算長は九兵衛のいう通り、伊賀組きっての忍術の練達者であった。剣術、槍、薙刀、鉄砲、小具足うちなど、武芸と名のつくものはすべて身につけている。
 二代目隠密頭、服部半蔵正成は禄高五十石、家康の姪にあたる松平定勝の娘を室にむかえていたが、我意横暴のふるまいが多く、配下に嫌われていた。
 だが、半蔵も算長には丁重な扱いをした。伊賀忍者のうちでは、ならぶ者のない伎倆をそなえた算長にはかるがるしく扱えない威厳がそなわっていた。
 算長は三十二歳でいまだ独り身である。家督は二歳年上の兄伴内が継ぎ、伊賀同心として江戸城御広敷番をつとめている。
 算長は部屋住みの身でありながら、抜擢されて組頭役をつとめ、百俵の俸禄をうけている。兄伴内は平士で三十俵三人扶持であった。
 組頭となったのは、もちろん他に比類ない忍術の伎倆によるものであった。算長の忍術は、伊賀組で習得したものではない。故郷の伊賀国花垣村余野に住んでいた、祖父新斎に伝授されたものであった。
 算長の父は永禄年間に伊賀の上忍(伊賀忍者の続率者)服部単三保長に従い、故郷を出国した。
 はじめ京都の足利幕府に仕えていた服部半三は、のちに徳川家康に就いた。兄伴内は三河で育ったが、算長は幼時に生母を失い、故郷の祖父のもとへ預けられた。
 祖父新斎は伊賀国に名を知られた下忍であった。彼はわが技法を幼い孫に伝えようと苦心した。
 忍術は口伝によって教える技法で、不立文字といい、文字ではいいあらわせない秘奥を、父祖代々に伝えてゆくものであった。
 新斎はまず算長の脚力を鍛え増強することからはじめた。算長の健脚は、いまも無類のものであった。
 日に四十里(百六十キロ)を歩くのは、日常茶飯事にすぎない。忍者が足を鍛えるのは、脚力が貧弱ではいかなる武芸を学んでも、実戦に及んでそれを用いられないためであった。
 あらゆる武芸の根本は、足腰にある。現代の剣道家が武装して、四十キロの道程を六時間で踏破した打ち、休むことなく真剣勝負にのぞめばどうなるか。
 抜いた刀を振っても疲労のため、平素の技傭はあらわせまい。
 当時、侍たちの脚力は、いまでは想像もつかないほど鍛えられていたが、算長の足腰は、新斎によって特殊の鍛練をうけていたのでとりわけて丈夫であった。 
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■京都での命懸けの隠密

<本文から>
 角倉朱印船が積んでゆく箱詰めの現銀は、一船で千六百貫匁に及ぶ場合もあったといわれるが、ふつうは五百貢匁ほどである。
 銀五百貫は一万両、米二万石を購入できる価値があった。角倉船はこれだけの資本と、三百人から四百人の商人、水夫を乗せ、フィリピン、安南、シャムにまで航海したのである。
 算長はしばらく考えていたが、やがて顔をあげた。
「お殿さま、それがしは明晩よりちゃわん屋藤左の家を、見張りに出向きまする」
「いや、それは無駄じゃ。いったん捕手が踏みこんだ家に、もはや戻ってはくるまい」
「藤左はおそらくはこの世におりますまい。敵はわざと藤左を訴人いたし、そやつの家の見張りに出向きし同心両人を殺害し、加藤家下屋敷を検分に出向きたる与力をも同様の始末といたし、白糸の行方探索を断念させようとしたのでござりましょう。それゆえ、それがしがあらためて東洞院の藤左が住居を見張りに参りますれば、敵はまた殺しにあらわるるにちがいござらぬ。それがしは、わが身を囮としてみようと存じまする。殺しにあらわれし者むとりおさえたなれば、白糸を掠めたる賊は何者か、自然にあきらかとなりましょう」
「ならばわが身ひとりを囮とすることはない。この両人をつけてつかわすほどに、三人で敵をおびきだすがよい」
 算長は勝重のすすめに、応じなかった。
「お二人をつけて頂けるなら、まことに心強うはござりますが、敵が誘いに乗ってくるか、気がかりにごぎりまするゆえ、やはりそれがし一人にて参るといたしまする」
 所司代の人数が、与力、同心あわせてわずかに百三十人であるのにひきかえ、京都にあふれる牢人の数は千人に及ぶといわれていた。
「大樹公のご威勢がゆきわたっている江戸でさえ、出抜、乱波を退治するには、命を投げ出して掛からねばなりませぬ。まして太閤の余徳がさめぬ京都では、なにかとやりづらき仕儀となるは、覚悟のうえにござりますれば、なにとぞ探索の儀はそれがしにお任せ下され。たとえ遣り損じて死んだとて、養う妻子のある身ではござりませぬ」
 算長はあらたな危険に、独力で立ちむかう覚悟をきめていた。
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■命も保証できない暮らし。生活の設計をすべて捨てた

<本文から>
 彼はいままで、盗賊になろうと思ったことはない。幼時から厳しい修行にあけ暮れ、忍術の秘伝をきわめることにのみ熱中して生きてきた。
 口腹の欲をもおさえ、伊賀、甲賀両組のうちで並ぶ者のいない練達者としての誇りを失うまいと、ひたすら鍛練にすごす朝夕に、金銀はさほど必要ではない。
 しかし、算長は常時死の危険に立ちむかう生活に、飽きていた。
隠密の役目は、死の恐怖を克服せねば果せない。そうするためには、自分の将来を思いえがくのをやめ、安穏な生涯をすごすための生活の設計を、すべて捨てなければならなかった。
 明日の命も保証できない暮らしでは、剃那の楽しみしか求められない。算長の日常が、異常な振幅をみせないのは、克己心でおさえているためである。
(新十郎はおもしろいことをいう。忍術をわが身勝手に使えば、たしかに望むがままの暮らしができる。いままでの仲間たちに追われるようになろうが、たやすくは捕えられぬ。伏見城の金蔵には、幾千貫の金銀がある。その幾何かを盗みだせば、己れも楽しみ、世の窮民どもをも助けられるというものじゃ)
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