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<本文から> 昭和三年八月、北海道旭川市三条通り、秋田屋旅館に、小柄な老人が宿泊した。身長一五〇センチ足らず、痩身で、年齢は七十歳と
いうが、十歳は若く見え、眼光が異様にするどい。
彼は大東流合気柔術宗家、武田惣角であった。惣角は全国の武道家のあいだに英名をとどろかせている達人であった。
だが売名に意を用いず、自ら道場を構え、門人を養成する気がない異色の人物である。彼は国内各地を放浪し、足をとどめた地で合気の術を教える。
教授料は二円であった。
秋田屋旅館の主人は、惣角の名を聞き、おそれいって丁重なもてなしをした。北海道では惣角は開拓時代の英雄として、知られていた。明治三十五年に、彼は単独で全道五万人の無頼漢に立ちむかったのである。
明治三十年代の北海道は、新天地開拓の活況のうちに、博徒、無頼漢が横行し、犯罪者も多く、ほとんど無政府状態であった。
全道の博徒が五万人であるのに対し、これを取締る警察官が六百人の少数である。このため警察署に保護を求めた者が、署長の面前で殺される。裁判所判事の家族が、自刃で脅迫されるなど、無法者の眼にあまる暴状は募るばかりであった。
当時惣角は仙台第二師団の武道教授であったが、函館警察署の懇請によって渡道し、北海道最大の博徒丸茂一家と単身対決し、彼らを慴伏させた。
白刃をふるい迫ってくる博徒たちを、濡れ手拭い一本をふるい、手足を打ち折って追い払ったという、惣角の武勇伝は、秋田屋の主人たちが幼時に聞いた伝説となっていた。 |
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