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<本文から>
家康は桶狭間に出陣して以来、合戦に勝ったことがなかった。小牧長久手の戦いでは局地戦に勝利を得たが、秀吉の政治力に抗することができず屈服した。
彼のように、負け戦をつづけながら、戦国乱世を生きぬいてきた者はいない。屈服しつつも、勝者に自分を高く売りこみ、有力な地位を占める。
負けても損害を軽微にとどめているので、衰亡しない。勝者に従いつつ、わが力を巧みにたくわえ生きのびる。いわば負けるが勝ちという戦法で、難所を乗りこえてきた。
何事にも辛抱しつつ、不屈の闘志をやしなってきた家康は、ひたすら長命を願い、侍医には各種の救急薬を常備させていた。
秀吉の唐入り(明国征伐)のときには、肥前名護屋城に全国百三十の大名があつまった。
家康もー万五千の兵を率い参陣したが、このとき平時であれば生涯顔もあわさなかったであろう全国諸侯に、家康は親しく交際して、前田利家をうわまわる、隠然たる人望も築いた。
このような処世術の上手下手が、人生を俯瞰してみると、人の運命に意外なほどの大きな影響力をもたらすことに気づくのは、年齢を重ねた私では近頃のことで、気づいてみてもすでに遅きに失している。
「食っていければいい。そのうえの手練手管をつかってまで、出世したくない」と考えている人は、気楽な暮らしかたはできるかもしれないが、社会の勝利者といわれるほどの結実は得られない。「欲せよ、さらば与えられる」である。大欲を持ちつづけた家康は、晩年に成功した。
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