津本陽著書
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          信長の傭兵

■根来では僧兵の部隊が毎日のように出陣してゆく

<本文から>
 根来西坂本に三千余の堂宇をつらねる根来寺は、ひぐらしの声に包まれていた。
 八月もなかばを過ぎ、ひと雨が過ぎるたびに気温が下がってゆく。朝夕は吐く息が白く見えるほど、風が冷たくなった。
 総数八千とも一万ともいわれる僧兵は、長髪を背に垂らし、高下駄をはいて山内を閥歩している。寺中諸坊では、金銀の飾りも派手やかな寵手、・腹巻をつけた僧兵が、稽古槍、薙刀、木太刀をふるい、合戦取りあいの稽古をしていた。
 彼らの裂烏の気合いが、秋天にひびく。寺域の外の小松山に設けられた角場(射撃場)でほ、早朝から遠雷のように銃声がとどろきわたっていた。
 津田監物は、兄の杉ノ坊覚胡の屋敷で日を過ごしていた。
「小倉(和歌山市)の家へは、去なんのかえ」
 覚明が聞くと、監物は笑った。
「去なんよ。金子は使いきれんほど遣ってるさけにのう。むこうも、めったに帰らん亭主がたまに顔見せたら、かえって気いつかうやろ。子おらも、懐こまい。もう十五、六年ほどは、家に去んでないさけにのう」
 種子島へ鉄砲を買いつけに出向いたのは、天文十二年(二五四三)の九月である。いまは永禄二年(一五五九)八月である。
 三十路を過ぎたばかりで種子島へおもむいた監物も、五十に近い年頃である。
 覚明は笑った。
「お前も好き放題に世渡りする男やが、おきたとは長いこと続くのう。金に不足することないさけ、京都二条辺りの遊び女でも妾にできるのに、おんなし女子ばっかり相手にひて、よう飽きんものやのう。まあ、おきたほええ女子やけどよ。あれほどの眉目のええ女子ほ、根来の茶屋女のなかにでもいくらでもいてる。たまにほ、あたらしのと取りかえよし」
「そのつもりになりゃ、するがのう。あやつはまあしばらく、置いといちゃろかえ」
「年も、もう若うないやろ。三十二、三か」
「そやけどのう。儂とはなんとなく性が合うてるんよ」
「まあ、そらお前の勝手やが」
 根来衆随一の精鋭といわれる、杉ノ坊の僧兵を率いる覚明の権勢は、寺内で肩をならべる者もいないほどであった。
 寺内では諸国大名の要請をうけた僧兵の部隊が、毎日のように出陣してゆく。 
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■信長との対面

<本文から>
 監物たちは、清洲城で信長に目通りをしたとき、射撃の披露を命ぜられた。考えふかそうな眼差しの信長は、監物の来援をよろこんでいたので、丁寧に扱った。
 彼は清洲城外の五条川の河原に出て、監物にいった。
 「むかいの河原に敵があらわれたと見て、撃ってくれぬか」
 「あい分ってござりまする」
 監物は惣髪を背中で束ねた僧兵たちに命じた。
「この前の河原に横陣をつくれ」
「分ったよし」
 指図役が小頭たちに命じた。
「いま聞いた通りや。左右へひろがれ」
 五、六メートルを隔てた、むかいの河原へ実弾射撃をするのである。
 小頭たちは、それぞれ五十人の配下を率い、六隊に分れ、横陣を敷いた。
 対岸には数百の角(標的)と、材木を組んだ柵門が立てられていた。
「あの門なら、三百匁玉一発で消し飛ぶよ。右手から順番に撃っていけ」
「それ、撃ちやれ」
 右端に展開した五十挺が火を噴く。
 五十枚の角に、大孔があいた。
 間をおかずつぎの一隊が斉射をおこなう。落雷のような音がつづけさまに轟きわたり、角がすべて撃ち抜かれた。
 河原には硝煙が濃く流れている。
「つぎは柵門じゃ。それ、撃ちやれ」
 三百匁玉簡が、地響きとともに晦嘩する。土煙があがり、柵門の材木が空中に吹き飛ぶのが見えた。
 信長は上機嫌で、空をむいて笑声をあげた。
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■根来衆の見事な戦いぶり

<本文から>
 監物は敵の鉄砲衆が、百五、六十人であるのを見て、せせら笑った。
「あいつらは、近江者や。わいらと撃ちおうて、相手できると思うてるんか」
 筒口をそろえ、薄のなかに伏せている根来衆は、敵が地響きをたて近づいてきて、先頭に出てきた鉄砲衆が立ちどまり、膝台の姿勢で撃ちはじめるのを見てから、五十挺ずつ交互に発射をする。
 暴風のような集中射撃をうけつづける敵は、まず鉄砲衆が見る間に倒され、つづいて弓衆、槍衆が将棋倒しになると、狼狽して左右へ逃げ散る。
 急ぐあまり、足をとられ転げまわる足軽勢のうしろから、馬首をそろえ、自分差物をひるがえした侍衆が出てきたが、二十人ほど薙ぎ倒されると先頭が浮き足だち、退却しかけてうしろから押してくる味方に邪魔をされ、陣形を崩して左右に迂回しつつ逃げてゆく。
 三千発ほど撃ちこむと、敵の全軍が踵をかえし、退却してゆく。
 「ここらでやめとけ。織田の侍衆にも手柄立てさひちゃらないかん」
 監物は撃ちかたをやめさせた。
 「おきた、やっぱり根来の鉄砲遣いは日本一やのう。他国者は足もとへも寄せつけんぞ」
 「ほんにそうじや。大人と子供の喧嘩みたいぞね」
 甲胃をつけたおきたは、背をそらせて笑った。
 織田勢の反撃がはじまった。槍をつらねた騎馬武者が、敵中へ駆け入ってゆく。乱戦になると、意気あがらず怯えている敵勢は、たちまち七、八十騎を討ち取られた。
 坂井右近の嫡子久蔵は、馬にひとりで乗れないはどの小柄であったが、槍をふるい敵の鎧武者を箕作山城の堀際まで追いつめ、接戦をした。
 たがいに名乗りをあげての一騎討ちであったが、小兵の久蔵が敵に組み敷かれると、助太刀の郎党らが駆け寄る間もなく、小刀をふるい、股下に突きこみえぐった。
 敵の武者は悲鳴をあげてこときれ、久蔵は首級をあげた。
「でかしたでや。小童がようなる久蔵が胆のふとさを見よや」
 信長はよろこび、坂井久蔵の初陣の功名を書面にして、新公方義昭に差しだす。
 おりかえし義昭から、久蔵に感状がもたらされた。
 緒戦で敵を一蹴した織田勢は、意気があがった。
 軍兵たちは、根来衆に賞讃の声を惜しまない。
「雷がつづけさまに落ちるがような、あの撃ちかたには、胆をつぶしたでなん」
「いかさまさようじゃ。いずれの国の合戦にても、紀州鉄砲衆が味方につきたるほうが勝つと聞きおりしが、まことにその通りじゃなあ」
 信長も、根来衆の戦闘の場にあらわす真価を眼のあたりにして、内心おどろいた。
 硝煙のにおいをふりまきつつ根来衆が、高処から戻ってくると、信長は監物にむかい、扇子で煽ぐ真似をしてやった。
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■信長は雑賀衆と根来衆の能力を高く評価

<本文から>
 信長は紀州雑賀には五からみと称し、雑賀荘のほかに五つの荘郷があると、土橋佐太天から聞かされた。
 根来衆と合わせれば、鉄砲衆の数は五千人。そのいずれも十年から二十年間、銃撃戦の経験をつんだ鉄砲放ばかりであると聞いた信長は、彼らがすべて金で備われる傭兵で、主人を持っていないと知ってよろこんだ。
 合戦の勝敗は、熟練した鉄砲衆の銃砲撃によって決まるという世のなかである。
「紀州の鉄砲放どもは、黄白の多寡をいわず傭い、味方につけておかねばならぬだで」
 信長は森可成に命じた。
「そのほうは、いまよりのち、紀州の鉄砲放どもを、できるかぎり数多く手なずけておけ。金でなびく者は、すべて味方につけておけ」
 信長は、雑賀衆、根来衆の能力を、高く評価していた。
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■監物は鉄船を信長に提案

<本文から>
 監物は、大坂湾の絵図面を畳にひろげ、語りはじめた。
「毛利の水軍は、大坂一帯の海辺を平均ひて、明石と淡路の岩屋に番所を置いたらしいさけ、お味方が三河から伊勢路一帯の水軍を駆り集めなはったところで、とても勝負にはならんよし。毛利はいざとなったら千腹の軍船を繰りだしてくるさけ、味方は能藤から大坂まで押ひ出してくるまでに、おおかたやられてしまうのし。味方は鳥羽、能藤の水軍を集めても、三百般がせいぜいやろのし。
 船戦になったら、数はすくないし、大坂から淡路へかけての潮の動きが、よう分らんさけ、欺けるに違いなかろよし。もし勝てるとすりゃ、たったひとつ、燃えん船をこしらえることやのし」
 信長の眼がするどくなった。
「燃えぬ船とは、いかなるものでや」
「総矢倉造りにひて、三十匁玉簡、大筒をいっぱいに積みこんだ、大安宅船よのし。船の外板はすべて、火船に打ち当られても凹んだり割れたりせんほどの厚さの、鉄板で覆うてしまうのよし」
 信長は膝を乗りだし、怒っているような口調になった。
「総矢倉造りの大安宅に、大鉄砲、大筒を積めるだけ積み、外板を鉄で囲うてしまえは、頭重りがいたし、海を渡れぬであろうが」
 「それは、船底に切石を敷きならべ、漆喰で練りかためたら、よかろのし」
 信長はしばらく考えたのち、答えた。
 「あい分った。どれはどの大安宅を幾腹こしらえなば、千般の兵船と船戦をいたして、勝てようかのん」 
 「そうやのし。船の舶は箱造り、総矢倉は二階造り、弓、鉄砲狭間は三段に設け、その上に三層の天守を置くかのし。外板の上に張る鉄板は、一分(約三ミリ)はなけら、いけまへん。そげな船なら、まず三千石。
 一般に三十匁玉筒五十挺、前矢倉には五百匁玉を超える大筒三挺を置いた大安宅が、すくのうても六腹いるやろと存じまするよし。それやったら、千腹の敵船と戦うて勝てよかえのし」
 「あい分った。そのほうは債について安土へ参れ。早速に鉄船をこしらえる相談をいたすぼどにのん」
 監物ほ安土城山下の佐々成政屋敷の長屋に住むことになった。
 信長は安土城に帰ると、伊勢水軍の頭領九鬼嘉隆と船大工棟梁衆を呼び寄せ、連日鉄船建造の段取りを打ちあわせたぃ
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