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<本文から> 「一人でも多く養おうと思えば、我身の飽食暖衣はすべきではない。さまざまに心掛け節倹をなし、一飯をも家来にわかち、表をも家来に着せるよう心掛けねばならんのだ。分ったか」
父の言葉の意味は、彼には理解できなかったが、その日お城を退出したのち、五郎左衛門から噛んでふくめるように聞かされた。
自分は兄たちのように、大名にはなれないかもしれない。一生を捨て扶持をもらい、部屋住みで過ごさねばならない運命であるようだ、ということが、彼にはおぼろげに理解できた。
そのあと、おゆりの方の御屋敷へ遊びに出向いたときにも、彼は母親から思いがけない叱責をうけた。
母の屋敷は扇の芝から和歌道筋を南へ下り、ひと筋東手へ折れた、閑静な場所にあった。彼はそこで香料のにおいのする、やわらかな母の腕に抱かれ、雪月花の華麗な絵模様を色づけした干菓子を食べるのが、無上のたのしみであった。障子紙を鳴らす風音さえ、加納の家で聞くのとは違う、やさしいものに聞えた。
その日は、お守役のほかに、なぜか加納五郎左衛門が同行した。五郎左衛門とおゆりの方は、客間で話しはじめた。彼ほやさしい召使いの部屋へ駆けいり、そこでおはじき遊びをしていた。
突然彼は呼ばれ、客間に連れてゆかれた。そこには、母と五郎左衛門が坐っていた。
「昨日の城中でのこと、ただいま加納殿から聞き及びました。そなたはなぜそのような、はしたないふるまいをしたのですか」
おゆりの方はなげいた。
「私はそなたの行末が、しあわせであるようにと、大立寺様と、広浦養源寺様に、いつも願を掛けているのです。紀三井寺で、そなたの厄除けに護摩祈蒔をもしてもらっています。それにもかかわらず、そなたが大殿様からご不興を買うようなことをしでかしては、私がそなたにかけた望みも消えてしまいます」
五郎左衛門が畳に手をついて詫びた。
「すべては私の、若君へのご養育お躾けがいたらなかったためでございます」
大人たちが、自分の心ないふるまいのために悲しんでいると知ると、彼は自責にかられ、母の手をとって告げた。
「母上様、私はこれからは、おいしい食べものを見たからとて、お腹が張るまで食べようとは、いたしません」
五郎左衛門が座を外したあと、おゆりの方は息子を膝にのせ、説き聞かせた。
「私はのう、お城の召使いであった。召使いといえば、卑しい身分じゃ。そのためそなたがはしたないふるまいをすれは、あの母親の腹を借りたためじゃと、家来どもが蔭打をきく。ひいては、そなたの出世にもかかわってくる。そなたほ権現様の血をひいた身じゃ、どのような風の吹きまわしで、天下取りになろうやも知れぬ。そのためには、いろいろとしんぼうをせねばならぬのじゃ」
新之助ほその日以後、一汁三菜のはかはけっして口にしないようになった。衣類も木綿のほかほ身につけない。夏は木綿のひとえに小倉袴、冬は紙子の羽織に小倉袴のいでたちであるため、小身の侍の子弟と見あやまれることがしばしばであった。 |
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