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<本文から> 「稽古では、実地真剣勝負をなせば、たとえ勝を得たとしても儀倖に過ぎず、真に明白の勝を得ることほできない。予は、外見体裁にかかわらず、真の理にしたがい、自然の勝を得てはじめて不敗の道を得たとなすものである。この道の真理を修めようとするならば、初心の者が予の門に入れば、三年間で身体充実するのを規則とする。
すなわち三年とは、天然自然に体を練り、無理な太刀遣いをせず、剣法の本体がそなわり、他流に立ちむかうとも流儀の本体を乱さないようになるまで、鍛練するに要する期間である。
予の門に入り剣法修行をする人は、三年間は近頃流行の撃剣道場にいって、試合をすることを許さない。これは予の門に入った弟子を、他に出すのを嫌うためではない。流儀の形をととのえるまでに、精神を乱すのを嫌うからである。真の剣法修行を望まない人は、決して予の道場へきてはいけない。予は無益の労をついやすを望まない。古来より諸流は他流試合を禁じ、剣法免許を得てはじめてこれを許した。これは、諸流の元祖が簸難辛苦してその道を発明し、流儀をたてたゆえんである」
佐三郎は、規則の内容が肺腑に沁みわたる思いである。
俺は道場で竹刀をふりまわし、ひたすら格好よく勝つことを念願し、小野派一刀流組太刀の本義をないがしろにしていたために、いつか剣の真理を忘れた畜生剣法に堕していたと、覚ったためである。
岡田定五郎は、俺の迷いをひらかせてくれた恩人であった。あのまま順調に世に出たなら、捧振り剣術を得々とおこない、いなか名人で終ったであろうと思いあたり、佐三郎は冷汗を禁じえない。
春風館道場に入門した初心者は、三年間一日も休まず稽古をする。
稽古の内容は、たがいに一本をとりあう地稽古ではなく、上級者にむかい息つく暇もなく打ちかかる、掛かり稽古である。
絶えまなく打撃をくりだす掛かり稽古はなみの剣術練習生なら五分もつづければ息がつづかなくなるものである。十分以上おこなえるのは、よほど身体を練磨した者であるといえよう。防具をつけて、ボクシングの激烈な打ちあいをすると思えば、その内容がわかる。
春風館では、三、四時間にわたる稽古時間のあいだ、面をはずすことも休息をとることも許されない。一回の稽古を終れば、ただちに次の相手を求め、稽古を開始する。怠ける者はすみやかに退場を命ぜられる。
佐三郎はいったんは痩せほそったが、半年をすぎる頃から、しだいに回復してきた。贅肉が落ち、筋肉が増強してきたのである。
鉄舟は佐三郎の稽古ぶりを、注意ぶかく見守っていた。鉄舟には岡田に突き負かされた、佐三郎の苦悩がよく理解できる。 |
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