津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          名臣伝

■門太夫のエピソード

<本文から> 門太夫は寝たままで、小笠原の若党を呼んだ。
「お休みのところをお騒がせいたし、恐れいりまする」
「構わぬ。火急の用とは何事じゃ。申すがよい」
「手前主人三郎右衛門は、今朝がたより奇態なることを口走り、ご秘蔵の具足を召され兜をおかぶりなされ、日頃大事になされし波の平の刀を抜きはなたれ、乱心の体にて二階に取り寵られてござります。
「なるはど、それは一大事じゃ。
 処置を誤れば、小笠原家の家禄は没収される。
 門太夫は手をのばし、いきなり若党の手首をつかみ、自分の家来を呼び、命じた。
「この者を、儂が帰るまで預けておくゆえ、銘々番をいたしておれ。
 小笠原の若党を監禁したのは、万一取り押さえに出向いた門太夫が斬られるようなことが起これば、自殺するかもしれなかったからである。
 門太夫は身支度をして、小笠原の長屋へ出向くと、家来たちが血相を変え、梯子段の下に身を縮ませていた。
 二階から、小笠原の声が聞えてくる。戦場で名乗りをあげているかのような声を聞くと、彼が完全に乱心していると分かった。
 気の触れた小笠原は、甲胃を帯び、抜き身を手に家寵りをしている。家寵りした者を掃えるのは、至難の業であった。
 門太夫は梯子段を二、三段登り、様子をうかがうと、小笠原の家来たちに告げた。
 「これは時刻が延びては済まぬことじゃ。そのほうどもは玄関口を固めよ」
 彼はそのまま静かに梯子段を登った。
 二階座敷の隅で、鎧檀に腰かけていた三郎右衛門は、異様な喚き声をあげ、斬りかかってきた。
 「三郎右衛門、これは何と召さるる。
 門太夫は三郎右衛門の振りまわす太刀先をかわし、手首を押さえた。
 騒ぎは何のこともなく収まった。
 門太夫の非常に際してのはたらきは、頼宣の耳に届き、彼は召し出され賞賜を受けた。
 門太夫の武芸の手練は尋常のものではないと、渥美源五郎はその技を高く買い、彼が一流をもひらく才があるのに弟子を取らず、老いていくのを惜しんだ。
 門太夫は日頃、武道の一派をひらくよう人にすすめられると、笑って答えた。
 「儂が武芸鍛錬いたせしは、それを余人に教えるためではない。おのれが楽しむためじゃ。さまざま工夫して自得せし筋道を、余人に教えるはどの能は、儂にはないわ」
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■難破した太夫舟の生還者

<本文から> 彼は木太刀を左手に提げ、半眼で相手を見たのち、頼宣に一礼して、八人と向かいあう。
 彼は右足を前に出し、木太刀を八双にとり、無雑作に進み出た。木太刀の試合は、真剣勝負とさほど変わらない。打たれようによっては頭蓋が割れ、手足が折れる。
 「いざ、参ろう」
 玄蕃允が声をかけ、八人が弧をえがいて左右に間隔をひらいた。
 玄蕃允は何の警戒もしない様子で、彼らに向かって進んだ。
 「えーい」
 新当流のすぐれた遣い手が、玄蕃允の右肩へ木太刀を飛ばせた。
 玄蕃允の動きは目にもとまらなかった。
 彼は相手の脇をすりぬけ、前へ出た。新当流の剣士はどうして打たれたのか、高股にしたたかな一撃を浴び、地面に体をたたきつけられた。
 玄蕃允は急に走りだし、猛然と前に立つ一人に襲いかかった。
 彼は野獣のような喚声をあげ、打ちかかっていく。その刀法は左右の袈裟斬りから斜め上方へ斬りあげる、単純な動作であったが、攻めるとき、相手の体の位置と自分の位置を計り、敵が防げない方向から目にもとまらない早技で打ちこむ。
 二人めの剣士も、高股に斬りあげの太刀を受け、もろくも転倒した。残った六人は、いっせいに襲いかかった。ぐずついていては、玄蕃允に倒されると知ったからである。
 混戦になると、玄蕃允は後ろに限があるかと思える、捉えがたい動作で応戦した。彼の正面に立つ者は、一瞬のもつれあうときにかならず打撃を浴びた。
 試合がはじまって小半刻(三十分)も経たないうちに、玄蕃允に対する剣士は一人になっていた。
 玄蕃允は摺り足で追いつめていく。恐怖にかられた相手は木太刀を投げだし、地面に手をついた。
 「恐れいってござりまする。とてもわれらには歯が立ちませぬ」
 頼宣は感心して、玄蕃允を招き、静めたたえた。
 「さすがは老巧の者じゃ。はげしきはたらきゆえ、さぞ疲れたであろう」
 玄蕃允は呼吸も乱さず答えた。
 「高麗の合戦にては、かようのことにてはなく、およそ半日はども敵中にて斬りあいしものにござりました」
 頼宣は実戦の斬り覚えのすさまじい威力を嘆称し、その後、玄蕃允を重く用いた。
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