津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          前田利家 上

■拾阿弥を斬って勘当され牢人になる

<本文から>
 その後、拾阿弥は信長の威光にかばわれていると知って、利家を侮蔑する態度が露骨になってきた。
 家中の侍たちのあいだでも、武辺をもって知られた利家が意地をつらぬくか否かが話題になった。たとえ主君の意に反しても傷つけられた面目を回復するため、拾阿弥を斬るべきだという意見が馬廻り衆のあいだに多い。
「よからあず。信長旦那が何と仰せであろうと、拾阿弥めを首にしてやるだわ」
 蝉の声が降るような油照りの昼さがり、利家は二の丸曲輪の馬場先で、向うから歩いてくる拾阿弥と行き会った。
 茶筅髷の刷毛先を風になびかせ歩み寄る利家の、殺気を放射する両眼に射すくめられ足をとめた拾阿弥は、傍の矢倉で信長が涼んでいるのを見て安堵し、胸を張って近寄ってきた。
 まさか信長の眼前で狼藉ははたらくまいとたかをくくっていた拾阿弥は、利家が刀を抜いたのを見て仰天した。
「旦那さま、お助けを」
 絶叫した拾阿弥の首は、刀の一閃を浴び宙に飛んでいた。
 信長は利家が自分の目前で拾阿弥を斬ったのを見て、血相を変えた。
「あやつは儂が仕置が気に入らぬとて面当ていたしおっただぎゃ。この場を去らせず成敗もしてくれようぞ」
 信長は矢倉から駆け下りようとしたが、柴田勝家、森三左衛門(可成)が立ちふさがった。信長は勝家の厚い胸を突きとばそうとしたがこゆるぎもしない。
「退け、権六。三左も何をいたす。儂の袖をつかみ取りおさゆるつもりか。両人ともに利家同様斬りすててくれようぞ」
 勝家は信長の両肩を押えた手をはなさなかった。
「旦那さま、何卒お気をお鎮め下されませ。又左は得がたき武者にてござりまする。手癖の許しき拾阿弥を討ち果せしとて、血気にはやりしのみなれば、お見逃がしなされませ。侍の意地をたてしまでにござりまするに。かほどの罪にて又左を成敗なされば、旦那さまになつきし侍衆も輿をさますは必定と存じまするだわ」
「権六殿の申さるる通りにござりますれば、又左を勘当なさるるともご成敗はなりませぬわい」
 勝家と三左衛門がとりついて離れないので、二人を引きずって動こうとした信長はしだいに平静をとりもどした。
 「よからあず。又左めは今日限り勘当いたす。いずれへなりと出てうせよ」
 信長はそのまま奥御殿へ入ってしまった。
 利家は牢人するよりほかはなかった。彼はのちに「亜相公夜話」で述懐している。
「人というものは非運の境涯に打ち沈んでみなければ、友の善悪もおのれが心底も分からぬものよ。儂は若年の頃拾阿弥を斬りしゆえ牢人いたせしが、そのときにはかねて兄弟同様仲のよかりし朋輩はおおかたが見舞いにもきてくれざったわい。森三左と柴田勝家のほかには、二、三の御小姓が心を通わせてくれしのみじゃ」
 利家は熱田の社家松岡氏に寄食した。柴田勝家らが松岡に頼み、新館を預かってもらったのである。
 血気さかんな利家は信長の勘当が不当な措置であると憤り、連夜酒を幹んでは荒れ狂う。膂力すぐれた利家をなだめるのは容易ではない。 
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■桶狭間で功をあげても勘当は解かれなかった

<本文から>
 藤八郎は首実検の場へでかけるまえ、利家に告げた。
「馬廻り衆のあいだにては兄弟がはたらきをほめる声が高うござるでなん。儂も肩身が広いというものでや。さすがは又左が槍だわ。冑首三つを取りしと評判だで」
 利家はうなずきもせず濁酒をあおっているが、内心ではこれで勘当が許されようと安堵していた。
「皆の衆、追手御門の御馬場へおいで召されよ。間なしに御首実検にござるだで」
 使い番が触れにきて、利家たちが遠侍の溜り場を出ようとしたとき、直垂姿の柴田勝家が急ぎ足にあらわれた。
 勝家は利家を手招いた。
「又左よ、こなたへ参れ」
 利家は勝家の立つ木陰へゆく。
「おのしゃあ短気者ゆえ、立腹すりや慮外のふるまいをいたすやも知れぬ。儂が何をいうたとて腹立てぬと約定いたせ」
「いきなり何と仰せられる。権六殿こそおちつき召されよ」
 利家はするどい眼差しになった。
 勝家はまばたきして、どもりながらいう。
「信長旦那はのん、おのしはいまだ勘当いたしおるゆえ、実検の場には出るなとの仰せだわ」
 利家は全身から力が抜けおちるような落胆を覚えた。
 勝家は利家の肩に手を置きなぐさめる。
「われらが旦那にはひとかどの流儀がござるだで。万夫不当の勇気あるお方なれば、主人と仰ぎ一命を預けて悔いなきご器量よ。それゆえおのしもいまはつれなきお扱いを受くるともひたすらに耐えよ。旦那はのん、おのしほどが猛者をば心底より見捨てなさるるわけはない。
 しばしは時を待ちて、いま一度手柄をたてよ。そのときこそ儂がおのしの帰参を願い出てやらあず。あとへは退かぬだわ」
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■勘当が許され信長側近に

<本文から>
 利家がいう。
 「いま思いだしてござりまするに。それがしが六兵衛に槍を打ち落され、とっさにあやつの槍の柄をつかみ、太刀を抜いて斬りつけしところ、引きはずされ腰帯をつかまれ投げ飛ばされて、気が遠くなりかけてござりまする」
 「ほう、そのときに斬り棄てられなんだものよのう」
 「さようにござりまする。死にもの狂いにはね起き、あやつの右肘を斬り落せしゆえ寿命をつなぎし次第と存じまするに」
 利家は信長から大盃を受け、一気に呑みほした。
 利家は三百貫の知行を与えられ、帰参を許された。石高に直せば三千石以上である。
 彼は清洲に屋敷を与えられ、妻子とともに住む。信長側近の青年将校としての威勢がふたたび戻ってきた。
 利家は新居の庭先で幼ない娘を抱き、幸運をよろこぶ。
「陣馬にて稼ぐときは、一寸先は闇だわ。いつ首を取られるやら分らぬままにもがきまわり、われにかえればわが身は安泰にて、敵の亡骸が前に転がりおる。まことに思うてみれば、修羅の巷よのん。命さえつながっておればこのように勘当も許され、郎党を数多く養うほどの所領も拝領いたすこととあいなるだわ。この世のことは運任せにて、先をはかれぬものだで」
 利家は家族むつまじく暮らしているときも将来いかなる運が待っているやら分らないと考える。彼の身内で荒々しい殺気がうごめく。いかなる危難が襲いかかってきても、この五体に満ちあふれる力で押しひしいで通るまでだと、彼は霧に包まれたような不安な前途を見渡す。
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■織田と浅井の大喧嘩を止めた武勇伝

<本文から>
 勝家も激昂した三田村勢に斬りつけられ、やむをえず数人を倒した。
「喧嘩じゃ、尾張衆を皆殺しにしてやれ」
 浅井勢の長屋から大勢の足軽衆が得物を手にしてあれわれ、柴田勢に襲いかかる。尾張衆はついに総崩れとなり、浅井長政の寄宿する清水寺の辺りまで追われてきた。
 このとき赤母衣を背負った前田利家が長槍をかかえあらわれた。
「汝わはいずれの者でや。狼藉いたさばその分には差し置かぬぞ」
 利家は怒号し、長槍をふるい浅井の足軽衆を殴りつけ薙ぎはらう。
 彼は雲霞の軍兵を相手にたじろかず荒れ狂い、柴田勢はようやく踏みとどまった。
 喧嘩による死傷者は織田側が五百人、浅井側が三百五、六十人であった。大規模な合戦に匹敵する損害であった。
 騒動がおさまったあと、前田利家の名が両家の軍兵のあいだに知れ渡った。
「あの皆朱の槍を振りまわして、われらの前に立ちふさがった侍は、よほどの命知らずじゃ」
「まことにさようじゃのう。何千人のわれらが固執の狂いたって押し寄するのを、たんだひとりでくいとめおったからには、よほどの胆玉よ」
 浅井家陣所で、利家の噂をする者が多かったが、織田家の長屋でもおなじ声が聞かれた。
「あのときばかりは、又左が槍のありがたさが身に沁みて分ったでや。大波のうねるがように押し寄せてくる浅井の者どもの前に、一騎駆けにて立ちふさがるは常人のなしうる技にてはない。おそろしき男だで」
 殺人の技に慣れた数千人の荒くれ男が血しぶきあげて乱闘する有様はすさまじいものであった。近寄るさえはばかられる修羅場に単身で馬を乗りいれ、なだれをうって寄せてくる浅井の軍兵たちを押しとどめたのは、槍先の威力ばかりではなかった。
 狂いたつ浅井勢が足をとめたのは利家が鬼神のように見えたからであった。生死の境を切りぬけてきた軍兵たちには、利家常人の域をぬきんでた気魄が伝わったのである。
 利家の噂は信長の耳にもとどいた。
▲UP

■賤ケ岳の戦いの後、勝家、秀吉との対面

<本文から>
 戦場を離脱した勝家は近臣百余人とともに北国街道を北へ走り、橡ノ木峠を越え越前に戻り、虎杖(福井県南条郡、今の板野)、今ノ庄(南条郡)を経て府中(武生市)に達した。
 府中城には利家父子が帰着していた。勝家は城門をあけさせ入城した。
 柴田勢が軽崩れになったのは、利家の戦場離脱が原因であったが、勝家はその行為を一切咎めなかった。
 利家の家来のうちには勝家を討ちとり、秀吉への手柄にせよとすすめる者もいたが、利家は一蹴した。
「親父殿に刃をむけられるかや。やむなきことにてありしとはいえ、面目なきばかりだわ」
 具足をつけた利家は勝家を城内へ招く。
「朝からの取りあいにて腹が減ったでや。湯漬を所望いたす」
 利家が酒肴を出すと勝家主従は腹を満たした。
「いまひとつ無心いたすが、替え馬を呉れぬかや」
 勝家は馬を貰うと、利家に別れの挨拶をした。
「このたびは又左にいろいろと骨折りをしてもろうたが、かくあいなりしうえは秀吉を頼むがよい。儂に義理をたてることはなきゆえにのん」
 柴田勝家が利家の退却をなぜ責めなかったのか。利家の予想外の行動は柴田勢全軍の敗北につながる重大な背信であったが、勝家は利家の主人ではなく、織田政権下の北国衆として前田領と境界を接する国主である。
 利家は隣国の誼みで勝家に味方して出陣したが、織田政権の主導権を握ろうとする勝家と秀吉との抗争に際し、いずれか一方に加担しなければならない理由を持っていない。
 柴田、羽柴双方の諸将のうちに、事の成りゆきに従い合戦に参加したが、戦闘に積極的に協力する意志が乏しいまま中立の態度を保とうとする者が多かった。
 賤ケ岳を守る桑山重晴、岩崎山の高山重友がともに戦わず逃げたのも、利家と同様の立場にいたからである。
 利家は娘の豪を秀吉の養女としている。また勝家のもとへおなじく娘の摩阿を人質としてつかわしている。双方に誼みを通じていた利家が戦わずに退却したのを、勝家はつよく責めることができない。
 勝家は甥の盛政と意見がくいちがい、堅剛に殺到する秀吉の大軍をまえに、全兵力を二分するという、作戦指揮のうえで重大な失策を犯した。
 利家が退却せざるをえないような状況を、勝家と盛政がつくりだしたといえる。勝家が利家をつよくなじることがなかったのは、このためである。
 勝家が府中を離れ、北ノ庄城へ帰ったあと、利家はまもなく押し寄せてくる羽柴勢に抵抗するため防備を固めた。
「鉄砲を持つ者を、城下より集めて外曲輪に置け」
 城下の猟師、地侍を狩り集め陣形をととのえるうち、二十一日夜、羽柴勢があらわれ銃撃戦がはじまった。
 府中城では外曲輪に侵入しようとする羽柴勢と城兵とのあいだに白兵戦がおこなわれ、死傷者も出たが、二十二日に秀吉が府中に到着し、和議を申し出た。
「川角太閤記」によれば、秀吉は府中城追手門の際まで馬を進め、利家父子の安否を問い、門をひらかせ奥へ通った。
 利家の妻まつが出迎えると、秀吉は上機嫌で告げた。
「嬶殿よ、このたびの合戦はご亭主の又左殿が勝たせてくれたでや」
 まつは手をつき、戦勝を祝う。
「羽柴殿にはこのたびのご大勝、祝着至極に存じまする。こののちは亭主利家と息子利勝をば、お馬のお口取りになと追い使うてちょーでいあすわせ」
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