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<本文から> 慣れない者は、たちまち転倒するが、稽古をかさねるうちには、どれほど揺りたてられても倒れなくなる。
それほど強固な足腰で、踏みしめ踏みしめ前進してこられるので、大石は飛びさがれず、左右に押し伏せられようとする竹刀を、押しもどそうと甲斐ない努力をくりかえすのみであった。
近藤、土方をはじめ、道場にいあわせる者はすべて息を呑み、見守っているばかりである。
面金の奥から、大石の嵐のような呼吸が洩れてくる。源四郎は大石の力が尽きるのを待つかのように、右から押されてくる竹刀が左へ寄ったのを見はからい、鍔元をひねって組みかえ左方へ押す。
大石は何の策もなく、こんどは源四郎の左方へ竹刀を押し返す。
おなじことを幾度かくりかえしたのち、源四郎が絶叫のような甲声をはりあげ、大石の面に煙の出るほど強烈な打撃を見舞った。
大石はよろめき、板間に尻もちをつき、しばらくして四つんばいになって起きあがった。
土方が近寄って聞いた。
「渡辺君、いまのは何という技だ」
「そくい付けと申します」
そくいとは米糊のことである。
「いかさま、いい得て妙だな」
土方は笑った。
近藤が上段の聞から声をかけた。
「渡辺君、眼福をいたしたぞ」
平同士になった渡辺は、三月はじめの夜、三条縄手で大石鍬次郎ほか二人の古参同士とともに、尊攘浪士と斬りあった。
物蔭から突然襲いかかってきた敵は、ただ一人であった。
「こやつは薩人だ。斬りすてろ」
大石が叫び、彼と二人の同士が刀を抜き、迫った。
「渡辺は見ておれ」
大石の命令で、源四郎は刀をおさえ、様子を見守る。
「チエエーイ、きやあああっ」
薩摩浪士は、風を捲いて襲いかかってきた。
源四郎は、敵の刀法に目を奪われる。左右の打ちこみばかりを、つむじ風のような出足でかさねてくる。
同志の一人がたちまち刀をはねとばされ、額際に斬りこまれて倒れる。つづいていま一人も、受けた刀の棟をわが右肩にめりこませ、二度めの打ちこみで左肩をふかく斬られて血しぶきあげ、地に沈んだ。
暗殺の名人大石鍬次郎は、敵のすさまじいいきおいに胆をうばわれた。複数で一人の敵を倒すのに慣れた新選組の攻撃が、簡単にはねかえされたのである。
「渡辺、頼むぞ」
大石は悲鳴のような声をあげた。
渡辺の腕を見込んで連れてきたおかげで、彼は危うく死をまぬがれた。
薩摩浪士は、刀を人相よりも高いトンボに構え、摺り足で迫ってきた。
源四郎はそくい付けの構えになり、力をふるいおこすため、能面のべしみのように顔をひきゆがめ、尾をひく奇怪な唄声のような気合を発した。
薩摩浪士は一瞬ふしぎなものを見る目付きになったが、たちまち突進してきた。
「チエエエーイ」
源四郎のひきがえるのような構えにひき寄せられるかのように、敵は彼の頭上へ刀を打ちこみ、二度とはずすことのできないおとしあなに落ちたのである。 |
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