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<本文から>
叔父は熊楠のこしらえる写本を弥兵衛とすみに見せ、彼の卓抜な能力を認めさせる努力を怠らない。
「こんど熊楠は、連れの家へ行てからに、こげな書物を読んでは覚えて帰って、写本をこしらえはじめたんよ。まだ九つやというのに、神業やのう、兄さん、姉はん、あんたらの子にひたら、ほんまに出来過ぎや。小学校の教師らより、熊楠のほうが学力があると、もっぱら世間の噂や。熊楠のような欲のない神童は、この家にとっての福虫じょ。その証拠に熊楠が生れてこのかた、兄さんの商売は上向き一方やろがのう。まあこれ見てみよし。こげなむつかし本を読める子供が、天下を探ひても熊楠のほかに、どこにあると思うかえ。兄さんも熊楠には出銭を惜しまんと、教育つけてやりよし。ええかえ、分ったのう」
弥兵衛とすみは、熊楠の絶倫な記憶力を立証する写本をみせられ、息子の才能を伸ばすために、上級の学校へ進ませようと考えはじめた。
熊楠はさほど大柄ではないが、体は頑健で、とくに足が丈夫であった。和歌山近郊への散策に、九歳の小児が五里、六里を歩いて疲労の色をみせなかった。
十歳の春、彼は雄小学校の八年間の教科を三年で修了し、湊紺屋町に新設された速成中学科鐘秀学校に進学した。
弥兵衛もようやく熊楠の教育に熱心になりはじめたのである。
熊楠は、通学のかたわら漢学塾に通い、どれほど難解な書物をも読みくだす能力を身につけた。 |
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