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<本文から>
翌朝、竜家の家奴たちは、明けそめた空の下で、もろ肌をぬいだ吉之助が木刀をふるい、狂ったように庭木に打ちこみをつづけるのを見た。
「チェーイ、チェーイ。シモタ、シモタ、チョッシモウタ」
泣くような甲声をあげ、立木打ちをつづける吉之助の心中を察しているのは、愛加那だけであった。彼女は朝餉の支度をととのえ、行水の湯を沸かし、忙しく立ちはたらいた。
吉之助はその日、竜佐民の家をたずね、愛加那を妻に迎えたいと頼んだ。
「私は、愛加那さあと所帯を持とうと心をきめもした。事情はお察しくいやんせ。ついては日を選び祝言をあげたかとですが、お前さあと奥様さあが媒酌の労をとってくいやれば、このうえのしあわせはございもはん」
佐民と石千代夫婦は、顔を見あわせた。
流罪人が島妻を迎えるとき、祝言をおこなうことはない。島妻になるのは未亡人とさ れている。初婚の娘は島妻になるのを望まない。流罪人が帰藩するとき、島妻を同伴できないが、男子は鹿児島で学問をさせることが許されていた。
学習を終えた男子は、大島に戻ると代官所役人となり、労役を免ぜられ、開墾田畑を与えられる。
そのような特典があるので、大島の未亡人たちは島妻になるのを望んだが、愛加那のような良家の娘が吉之助の妻になるのは、異例であった。
吉之助は愛加那と夫婦になるとき、大島の名族である竜家の慣例に従い、親戚、代官以下の諸役人を招き、三献の祝儀をあげるつもりである。
彼は佐民夫婦のまえに手をついた。
「よろしゅうお頼みしもんで。どうか媒酌の労をとってく.いやんせ」
三献の祝儀をあげ、披露の婁を盛大に催した吉之助は、愛加那と蜜のように甘やかな日々を過ごした。
佐民、佐文らがたずねてゆくと、吉之助は愛加那を大きな膝のうえにのせ、子供をいつくしむような風情で、歓語している。彼はあわてる様子もなく客を迎えた。
「これはちいっと、たしなみのなか様子をお見せしもしたな。わが家では、ふたりともそばを離れたくなかので、ご覧のようなていたらくになってしももした」
吉之助は愛加那と暮らすようになると、世帯の諸費用がかさんできた。
彼は代官に経費の融通を頼み、鹿児島の大久保正助に仕送りを求め、竜家の援助を受けた。
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