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<本文から>
佐川先生はまったく自己宣伝をしない人であるため、門人もきわめてすくなく、近頃までは五、六人しかいないときもあったということである。もとは先生の父が惣角に資金援助をしていた北海道の資産家で、いま住んでいる小平市の邸宅も千坪ほどの広さで、敷地のなかに貸家を十数軒建てており、子息と二人の生活に不自由がないので、隠遁者のような暮らしかたをしている。
合気の研究に生涯をかけているのである。先生は大東流合気柔術によって大事業をおこし、都内の目抜きの場所に道場を建て、門人を大勢集めうる実力を持っている。なんといっても日本で合気を完全に遣える、ただ一人の名人であるのだ。
「そんな方が、いまの世のなかにおられるんですか」
私がおどろいていうと、T氏はうなずく。
「そうです。武道界の重鎮のあいだでは、そういわれています。佐川さんは自分の技を継がせようとした長男が十七歳のときに病死してしまい、次男は津本さんとおない年だけど、病身で寝たきりの状態です。
だから佐川さんが亡くなれば、武田惣角の合気の境地をざらにひろげた術技は、承継者がいないまま消滅してゆくんですよ」
「民族の神秘な伝承が消えてしまうんですね。もったいないなあ」
「その通りです。佐川さんが大道場を経営しようと思えば、成功したでしょう。しかし、そうなれば、銀行から金を借入れ、門人をふやして、事業家としての活動もおこなわなければならなくなります。
会いたくもない人と会わねばならなくなり、マスコミにも顔をひろげねばならないでしょう。佐川さんほどの大物がたとえばニューヨークやパリなどで術技を公開すれば、たいへんな発展をする。しかし、そんな生活になると、技の研究ができなくなると佐川さんは考えているんです。隠遁者として生涯を過ごし、前人未踏の合気の境地をさらに深めてゆき、際限もなくあらたな技を編みだしてゆく生活をつづけるほうが、自分にとって楽しいと思ったんでしょうね。世俗の名声とか地位などというものに、まったく魅力を感じない人なんですよ」
日本で武道家の最高峰に位置する実力をそなえていた佐川先生を、健康法の体操の先生だと思いこんでいた美大の学生も門人のうちにはいたという。数人しか門人のいなかった頃のことである。
八十五歳になって、一人で合気の道統を伝えている佐川氏の稽古を拝見にゆきたいと私は思った。
T氏は佐川道場を訪ねるまえに、いろいろと予備知識を教えてくれた。
佐川先生は戦後(昭和二十七年)に、警察大学校の柔道師範工藤一三九段(のち十段)と試合をしたことがある。そのとき師範は何の技もかけることができず、身動きさえできないまま完敗したという。
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