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<本文から>
私はこのような剣法が、現代の日本に伝えられ残っているのを眼の当たりにして驚くばかりであった。
私は伊藤師範にお願いした。
「このような物凄い稽古とは知りませんでした。ほかの稽古も、ぜひ拝見させて下さい」
稽古時問は過ぎていたが、つづいて横木掛かり打ちの稽古がはじまる。
ユスの長さ二メートルほどの細い棒を束にしたものが横たえられ、架台に置かれていた。横木の位置は、地上から一メートルほどである。
お弟子がたは四、五メートル離れたところに二列に並び、二カ所に置かれた横ポにむかって立つ。
「始め」の号令とともに、先頭のお弟子が飛ぶような内股の足取りで迫ってきて、蟷螂が鎌振りあげたようなトンボの構えから、横木を打ちはじめる。
両手を高くあげた姿勢から、打ちこむときに前に出した足の臑を地面につける。しかも驚いたことに横木を打つのは木刀の切先から三寸の物打ちどころではなく、鍔もとから一尺ほどの部分である。
私は、自顕流の打ちこみの威力をはじめて了解した。戊辰戦争の際、幕軍の剣士が薩軍兵士の打ちこみを外そうとして、わが刀の棟と敵の刃を十文字に額にめりこませ死んだという挿話は、つくりごとではなかったのである。
「チェイ、チェイ、チェイ、チェイ」
火の出るような打撃をつづけるお弟子がたは、打ちながらかるがると足を踏みかえ、右半身から左半身になり、また右半身になる。
およそ四、五十度の打撃をかさねると、ひきさがってゆく。私は伊藤師範にお聞きした。
「足の構えと、打ちかかるときの素早さはとても真似のできるものではありませんが、稽古によほど時間がかかるのでしょうね」
師範は答える。
「そうですね。あの高校生で、習いはじめてから九年めです。まともに進退できるようになるまでに、それくらいの年月がかかりますよ」
つぎは「抜き」である。
薙刀を持った伊藤師範が相手に立たれ、打ちこんでゆかれるのを、抜き打ちに木刀で斬りあげ、そのまま内懐へつけいる型稽古を見せて下さる。
「抜き」は両足をそろえ爪先立ち、右手で刀の柄を握るとき肘のつけねまで柄のうえにのせ、そのまままっすぐ頭上を切りあげる要領で抜き打つのである。
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