津本陽著書
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          日本剣客列伝

■卜伝が無敗であった馬のエピソード

<本文から>
 真剣をとっての勝負には、竹刀での試合のときほど迅速に動く必要はない。あまり早く動けば刃筋が狂って相手を斬れないのである。  また真剣は竹刀よりはるかに重く、竹刀のように軽やかには動かない。はじかれた刀身がもとの位置にもどるのに、竹刀よりもながく時間がかかる。  相手のうちこんできた刀身をはねるにも、こちらの刀身の棟を当てねばならない。鎬ではねようとすれば、刀身がふたつ折れになる危険がある。刃で受ければ大きく欠ける。  卜伝から伝、えられた新当流の型は、すべて真剣を用いるときに役立つものであった。面をうちこみ、相手にうけとめられるととっさにしゃがみ、刀身を垂直に立て相手の喉を突く技などは、真剣を手にしていなければ思いつかない。  手首、股、足首などの内側を狙い動脈をはねる太刀技も、あきらかに道場稽古のものではないといえよう。  八箇太刀、霞太刀、十箇太刀などの太刀稽古の技を拝見しても、竹刀稽古にくらべると舞踊のように感じるのみであるが、そのなかに隠された凄味は真剣を手にしなければわからないものにちがいない。  卜伝が敵を討ちとること二百十二人という、おそるべき経験をかさね、わが身に傷ひとつ負わなかったのは、五百年釆無双の英雄であると、卜伝百首奥書に称讃されているが、その通りであろう。  卜伝が兵法試合において、百戦ことごとく勝つことの困難さを、知りつくしていたと思える挿話がある。  彼の門弟が、路傍につながれている馬のうしろを通り抜けようとしたとき、馬が突然跳ねて彼を蹴った。  門弟はとっさに体をかわして馬の蹄を避けたので、その様を見た人々は彼の早業におどろきほめそやした。  その評判は卜伝の耳にも達したが、彼は聞き流したのみでいっこうに感心する様子をみせない。  門弟たちは、あのような場合に師匠であればいかなる応対をするであろうかと考え、卜伝の通る道に、わざと足癖のよくない馬をつないでおいた。  卜伝は通りかかり、路上にたたずむ馬みると、大まわりをして署避けて通りすぎた。  その様をみた門弟たちは、馬の蹴りをかわした者の早業をなぜ褒めてやらなかったかと、卜伝に聞く。彼はこともなげに答えた。 「馬に蹴られて身をかわす技は、なるほど巧者といえよう。しかし馬は蹴ねるものということを忘れ、後を通りすぎたのは粗忽というほかはない。飛びのくことができたのは、僚倖というものである。剣術試合為によっては下手が上手に勝つことがある。勝ったから旨いとはいえぬ。馬の足を避けたことも、おなじことで偶然にうまくいっただけじゃ。危難からは避けるのが一番じゃ」  
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■島津家中での自顕流の基盤は動かぬものとした重位の碁盤斬り

<本文から>  
 家久はその後も重位に敵意を抱く。彼はあるとき八寸厚みのカヤの碁盤を斬り割ってみよと重位に命じた。  碁盤はひろい平面で、刀の物打ちを当てるのはむずかしい。しかもカヤには粘りがあり、鉄よりも斬りにくい。  重位が失敗するのを待っていた家久は、重位の剣尖が碁盤をまっぷたつに斬り割り、畳を裏まで斬り通し、さらに一寸厚みの松の床板を貫いているのをみて驚愕した。  家久は感動してそれまでの能度を変え、重位に自らの脇差を与えた。まもなく重位は家久の剣術指南役に任ぜられた。  ついに島津家中での自顕流の基盤は動かぬものになったと、重位は感慨無量であった。ときに文禄四年(一五九五)、彼がはじめて自顕流をまなんだときから、七年の歳月が経っていた。  その後、家久のすすめで重位は自顕竺一字を示現と改称した。観音経のなかの示現神通力の言葉からとったものである。  島津家お留流となった示現流の師家として、家久をはじめ家中の士の指南をおこなう重位は、郷の地頭に任ぜられた。食禄は千石を与、えられたが、六百石を返上し、四百石を拝領した。  慶長六年(一六〇一)四十一歳の重位は家久のすすめで妻帯し、三年のうちに三人の子女をもうける。  十九度に達した上意討ちも、家中の情勢がおさまった後はあらたな沙汰がなかった。重位は礼儀ただしく恭謙な態度で弟子に接し、平穏な生活をつづけていた。
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■小次郎を激昂させて勝った武蔵

<本文から>
 武蔵に嘲けられて小次郎は激昂した。  彼は長時間待たされたいらだちに重ね、はじめて会う武蔵の憎むべき言動に己れを抑えることを忘れ、真向から打ちかかった。  打とうとみせかけて動きを留め、相手が仕掛けてくるのを待って衡の兜の技をかける、「懸け釣り」が、勝利につながる道であることは、兵法者であれば誰でも心得ているところである。  だが、小次郎は武蔵にむかつかされて、自制心を失っていた。それまで立ちあう相手をことごとく一刀両断してきた自信が、彼を思いあがらせていたのかもしれない。  武蔵も同時に打つ。彼が体得した「五分の見切り」が威力をあらわしたのは、そのときであった。彼は敵の剣尖がわが身に当るか当らないかを、五分(一・五センチ)の間合いで見切ることができたのである。  武蔵の長尺の木刀は小次郎の額を打ち割り、小次郎の太刀先は武蔵の鉢巻の結びめに当り、手拭いはふたつに切れて落ちる。  武蔵は倒れた小次郎をしばらくうかがい、木刀を、ふりあげ、ふたたび打とうとしたとき、小次郎は倒れたまま刀を横に薙ぐ。  武蔵の袷は膝のうえに垂れたところを三寸ほど切り裂かれたが、彼の木刀は小次郎の脇腹をしたたかに打ち、小次郎は口鼻から血を流して絶息する。
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■武蔵は「構えあって構えなし」の理論をうちだす

<本文から>
 武蔵は勝つためには相手の拍子を読みとり、その拍子を外す拍子で打ちかけて、敵を混乱させることが大事であると説く。  彼は二天一流の構えは、上段、中段、下段、左右の脇構えの五万を基本としていた。 「いずれの構えなりとも、構ゆるとは思わずきることなりと思ゆべし」  という。  構えは敵を斬るためのものであるから、そのときどきに有利なように体勢をととのえればよいというのである。  他流派にいうように、数多い構えを彼は嫌うのである。構えとは敵につけいられないための守りの姿勢であるため、敵の先手を待つ後手の形である。  勝負は常に先手をとって攻めかけ、相手の構えを混乱させ、拍子を乱して足どりの狂った隙につけいるものでなければならない。  そのため、武蔵は「構えあって構えなし」の理論をうちだす。構えは敵を攻める姿勢でなくてはならず、従って敵の出方によって千変万化するものでなくてはならない。  また彼は観見の目付けということを重視した。剣術の目付けの基本は、もちろん相手の眼を見ることであるが、武蔵は説く。 「遠きところを近く見、近き所を遠く見ること兵法の専也」  遠きところは相手の心の動きであり、近きところとは相手の体の動き、剣の動きである。  むかいあう敵の体の動きについてゆくと、その拍子にまきこまれ敗北を喫することになる。あくまでも敵の心理を洞察しなければならない。  彼は風の巻にいう。 「目付けは流儀により敵の太刀、手、顔、足と、それぞれことなるところを見るが、そのようにどこをみると決めてしまうと、かえって迷いをひきだし、兵法の迷いとなるものである。正しい目付けとは敵の心を見るものである」  彼は他流が数多い太刀使いを門人に教えるのは、初心の者をたぶらかし兵法を売りものにする、もっとも忌むべき傾向であると主張する。  人を斬るのにはいくつもの種類があるはずはない。突くか薙ぐかの二種類しかない。早技もとくに必要はない。敵の拍子を逆にとれば、悠々と打ちこんでも敵は防げない。  真剣試合の場では、小手先の技はすべて通用しない。芸道の伝授にあたって、初伝、中伝、奥伝などと段階をつけるが、殺しあいの場で、奥伝の技と初伝の技の区別はないというのである。  当時、諸国流派のなかには、形の数が百五十から二百に達するものがあった。そのような形は、ほとんどが敵が死人か藁人形のように動かない対象でなければ通用しないものであると、武蔵はみていたのである。
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■周作の上達の域に達する二つの方途

<本文から>
 左右の足を大きくひらいて踏み、どちらの踵も床につけたベタ足では、技は自然に遅鈍となり、見るに堪えないと周作は説くのである。  彼我剣尖をまじえ、立ちあうときは、ただちに切先で相手を責め、相手がもし出てくれば撃つぞ突くぞという気合をみせることが肝要であるとする。切先は常に鰯仰の尾のようにふりうごかし、間断なく欄々と威勢を示して、相手の視線を乱すよう心掛けるのである。  稽古の場では、休息のときもなお気合をゆるめず、他人の打ちあいを注目して見取り稽古をせねばならない。他人の巧妙な技を見たときはそれを記憶に銘記し、習練して身につけるようにする。  地稽古で立ちあうときには、相手に打撃を与えることに心をかたむけず、受けとめかたにばかり意を傾けては、技術が向上せず、ついに実際に威力のない死に技ばかりが身につくようになる。  撃剣上達の域に達するには二つの方途がある。理より修行に入る者を甲とする。甲はまず思慮をめぐらし、剣理を考えてのちにその技を実際に練るものである。  技より入るものを乙とする。乙は実際の打ちあいにのみ専念し、剣理をまったく考えない。剣法は剣によって攻撃防守の技に熟達するのを主眼とするのだから、そのいずれによっても所期の目的を達すればよい。  しかし平素の意志が甲に属するものは、相手の機先を察することに鋭敏で、技の進歩がはなはだすみやかである。  これに反し、平素の意志が乙にあるものは、相手の機先を察することに鈍く、単に打ちあいのみに心身を労し、失敗によって身に痛手を重ね与えつつ、長年月をかけてようやく熟達の域に達することができる。  ゆえに剣法を修める者は、常に平素の意志を甲に置き、常に剣理を考究しなければならない。剣理を考えつつ実技の鍛練をおこなえば、その進展は剖目すべきものがあるだろう。
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