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<本文から>
真剣をとっての勝負には、竹刀での試合のときほど迅速に動く必要はない。あまり早く動けば刃筋が狂って相手を斬れないのである。
また真剣は竹刀よりはるかに重く、竹刀のように軽やかには動かない。はじかれた刀身がもとの位置にもどるのに、竹刀よりもながく時間がかかる。
相手のうちこんできた刀身をはねるにも、こちらの刀身の棟を当てねばならない。鎬ではねようとすれば、刀身がふたつ折れになる危険がある。刃で受ければ大きく欠ける。
卜伝から伝、えられた新当流の型は、すべて真剣を用いるときに役立つものであった。面をうちこみ、相手にうけとめられるととっさにしゃがみ、刀身を垂直に立て相手の喉を突く技などは、真剣を手にしていなければ思いつかない。
手首、股、足首などの内側を狙い動脈をはねる太刀技も、あきらかに道場稽古のものではないといえよう。
八箇太刀、霞太刀、十箇太刀などの太刀稽古の技を拝見しても、竹刀稽古にくらべると舞踊のように感じるのみであるが、そのなかに隠された凄味は真剣を手にしなければわからないものにちがいない。
卜伝が敵を討ちとること二百十二人という、おそるべき経験をかさね、わが身に傷ひとつ負わなかったのは、五百年釆無双の英雄であると、卜伝百首奥書に称讃されているが、その通りであろう。
卜伝が兵法試合において、百戦ことごとく勝つことの困難さを、知りつくしていたと思える挿話がある。
彼の門弟が、路傍につながれている馬のうしろを通り抜けようとしたとき、馬が突然跳ねて彼を蹴った。
門弟はとっさに体をかわして馬の蹄を避けたので、その様を見た人々は彼の早業におどろきほめそやした。
その評判は卜伝の耳にも達したが、彼は聞き流したのみでいっこうに感心する様子をみせない。
門弟たちは、あのような場合に師匠であればいかなる応対をするであろうかと考え、卜伝の通る道に、わざと足癖のよくない馬をつないでおいた。
卜伝は通りかかり、路上にたたずむ馬みると、大まわりをして署避けて通りすぎた。
その様をみた門弟たちは、馬の蹴りをかわした者の早業をなぜ褒めてやらなかったかと、卜伝に聞く。彼はこともなげに答えた。
「馬に蹴られて身をかわす技は、なるほど巧者といえよう。しかし馬は蹴ねるものということを忘れ、後を通りすぎたのは粗忽というほかはない。飛びのくことができたのは、僚倖というものである。剣術試合為によっては下手が上手に勝つことがある。勝ったから旨いとはいえぬ。馬の足を避けたことも、おなじことで偶然にうまくいっただけじゃ。危難からは避けるのが一番じゃ」
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