|
<本文から>
長い伝統をもつ大和の諸豪族が、乱世の渦に呑みこまれ、あいついで滅亡流離するなかで、石舟斎は柳生家をかろうじてもちこたえてきたのである。
いま己の過去四十余年を通じて、鍛錬工夫をし、自らをかりたてて得た剣の成果を、兵介長厳という天与の剣の英傑にゆずるのである。
(嫡流兵介は、僕の正統を相承する。新陰流はゆくすえ末代までも子孫につたわるのや)
石舟斎は感激に手先をふるわせた。
儀式は丘ハ介の父厳勝ただ一人が厳然と陪席をゆるされるなかで、とりおこなわれた。石舟斎の一冊二代の大道業は、ここに了りをつげたのである。
兵介長厳は、表の水を一器にうつし、一燈を分って百、千燈となす以心伝心の相伝の儀によって、次に記すものを、石舟斎よりうけついだ。 |
|