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<本文から>
家康は鷹をつかいつつ、過ぎてきた月日をふりかえった。彼は野戦の名人といわれているが、生涯のうちで快勝したのは、関ケ原合戦と大坂冬、夏の両役のみであった。
十九歳で桶狭間に出陣したときから、彼は合戦で勝ったことがなかった。天正十二年(一五八四)、四十三歳のとき、小牧長久手の戦いでは、一万六、七千の兵力で秀吉の十万の大軍を撃破した。野戦の名将といわれるようになったのは、そののちのことである。しかし家康はこのときも局地戦では勝ったが、結局秀吉の政治力に屈服した。
家康は戦国乱世を、合戦に負けながら生き抜いてきた。彼は屈服しつつも、勝者に自分を高く評価させ、重用させる。
敗北しても、損害を軽微にとどめているので衷亡することはない。自分を打ち負かした相手に従いつつ、わが力を温存して生きのびてきた。負けるが勝ちというふしぎな戦略で、難所を乗りこえてきたものである。
家康は関ケ原合戦で、それまでの五十八年の歳月のうちにたくわえてきた不屈の闘志を、一挙にあらわした。
−いま思うてみれば、農が傾がような鈍物がよくぞここまでやってきたものだで。やはり運気と申すべきかのん。運がなけりゃ、いままでのうちに死んでおりしがや−
家康は孫のような少年の頼宣、鶴千代の手をとり、鷹のつかいようを覚えさせ、終日楽しんだ。 |
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