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<本文から>
家康は、かねて秀忠に教えていた。
「小身の侍どもには日頃より、わけて目をかけておくべきだで。国持ち大名どもは、わが家大事と思いて、時に従い勢いにつき、家名の長く保つべきように心を砕くのが、古今の常態でやあらあず。それにひきかえ、小身者はわがはたらきを褒められ、覚えられておるばかりにて、いつまでも恩に着るものだでなん」
あるとき、家康は駿府城をおとずれた秀忠の年寄衆を召し寄せていった。
「おのしは、将軍の心に叶いて使わるると見えて、このたびも使いに越されしよな。およそ主の心に叶うはむずかしきことなるに、おのしがようなるは、よほど賢き性にてあらず。おぬしがようなる者が心がけにより、大小名が将軍に懐きもし、怨みをふくむことにもなるだわ。主人の気にいり、威勢の身につくに従いて、驕奢の心いつとなくできるものだでなん。さようにならぬよう、いよいよ謹慎いたし、物事を粗略にしてはならぬ。人を推すにも私意なく、人品の正邪をたしかめ、奉行、頭人にふさわしき器あらば、われと仲悪くともこだわりを捨て、登用いたせ」
秀忠老臣は、おそれいって家康の訓諭を聞く。
「おのしどもは重役なれば、己れひとりにて万事を沙汰し、人には何もいわせぬようにしたく思う心のできるものだわ。この心あらば、どれほど賢く才あるとも、はなはだ害あるものだでなん。たとえば駕籠をかくに、同じ背丈の者二人があるうえに、添え肩の者二人がおりてこそ、長途険所をも過ぐることができるだわ。いかに剛力なる者にても、一人では駕寵をかくことはできぬ。二人おるとも、身の長短つりあわねば危うさことに
はあいなる。天下国家を治むるは、このうえもなき重荷だで。それを持ちこたえ落さぬためには、あまたの諸役人を養いおかねばならず。それをおのれひとりにて主人の相手ができようと存ずるのは、大なる心待ちがいだわ」 |
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