津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          異形の将軍 田中角栄の生涯 下

■大蔵官僚への独特の人心収攫術

<本文から>
 角栄は、どのようにして大蔵官僚の支持を受け、彼らを思うように動かすか、独特の方法を考えだした。
 −次官や局長は、俺のいうことを受けつけないだろう。彼らに接近するよりも、実際に仕事をしている課長、課長補佐から実務の内容を聞きとろう−
 角栄は課長、課長補佐と話してみて、感覚のするどい相手を嗅ぎわけると、自宅へ呼んで大蔵省内部の事情を聴き、実務の内容をくわしくたずねる。
 彼らの入省年次、学歴、誕生日、家族構成まで調べあげ、自宅へ呼んだ者には高価なみやげものを与える。
 ケタはずれの祝儀や贈りもので官僚の気持ちをひきつけてゆく、独特の人心収攫術である。子供が大学へ入学したり、妻が入院すると、いつのまにか角栄が祝儀をとどけ、見舞いに出向く。
 そのようにされると、感激しない者はいない。省内の実務にたずさわっている課長たちが、角栄に何事もうちあけて話すようになるまで、さほどの月日はかからなかった。
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■人間味ある政治家

<本文から>
 元自民党幹事長室室長の奥島は角栄の性格を「中央公論」誌上で的確に把握する。
「勘がいい、人情味、浪花節的、せっかち、短気、わかったの角さん、政策に強い、行動力、コンピューター付きブルドーザー、汗っかき、そして金権。また天才的、勉強家、呑み込み、気さくな、どという言葉が出てきます。それらは一つひとつ卦たっていますが、全体を総合してみて、人間味という言葉が当たっています」
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■就職と結婚の世話で獲得した票は絶対にはなれない

<本文から>
 角栄は、代議士になると、三区の住民たちの就職の世話を熱心におこなった。
 三十三年には、角栄の尽力で就職できた人々が、「誠心会」という組織をつくった。県内の高校、大学の進学率は増えるいっぽうであったが、県内に就職先はすくない。
 角栄が、蔵相から自民党幹事長へと出世するにつれ、就職郎蹴のルートがひろがっていった。
 電電公社(現NTT)、国鉄(現JR)など公社関係から建設会社をはじめ民間企業に、就職のコネがある。北海道、東北、関東、関西など広い地域にその力が及んでいるので、だいたい希望通りのところに就職できた。
 三区からくる就職願いは、在京秘書遠藤昭司が担当し、越山会員でない者の世話も分けへだてなくしたので、会員はふえるいっぽうであった。
 越山会によって就職できた者は、のちに一万人をこえたといわれる。
 就職と結婚の世話で獲得した票は、絶対にはなれることがない。本人はもとより、親たちは十年、二十年と角栄を支持した。
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■関連する法律が全部具体的なケースでヨコにサッと出てくる経験主義

<本文から>
「われわれ役人の頭は、法律の体系のようにタテ割りの知識体系になっている。ところが彼の頭はそれがヨコにつながっている。
 法律の知識にしても土地に関することなら、それに関連する法律が全部具体的なケースでヨコにサッと出てくる。
 具体的な土地取引をやったことがないわれわれには、想像もつかないヨコの結びつきが、法律どうしのあいだにあるということが分かる」
 角栄は何事についても、具体的な発想、知識では、役人が及びもつかない蓄積にうらづけられた力量を示す。この高級官僚はさらに続けた。
「しかし逆に、マクロにものを見るとか、抽象的に考えるとか分析するといったことは、まるでできないし、興味を示さない。
 だから財政投融資政策とか、経済何カ年計画とかには全然興味がない。住宅建設計画なら、どこにいつどれだけ建てるというレベルになって、猛烈な興味を示す。経済企画庁の課長を呼びつけて、麹町の土地は坪何百万円するのにマンションが建っている。あんな地価が高いところで、どうしてマンション経営が成り立っているのか、きみ行って調べてきてくれ、といったりする。具体的に具体的にとしか頭が働かない人なんですね。それだけに、目の前の具体的現実問題の解決力は抜群だった」
 角栄はそれほど偏った経験主義者で、大局観にかけていたのであろうか。成功の経験がいつまでも成功を導きだすもではないという事実に気づかなかったのであろうか。
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■得意技は再建

<本文から>
 かつての角栄に近かった番記者の一人はこう語る。
 「田中政治とは、二言でいえば合理主義だね。そして得意技は再建だ。これからの政治家は、企業経営の経験者でなければ、適切な処置がむずかしいということもいっていたな」
 角栄は政治テクニックの天才であったという。
 「再建的な考えを、根っこにすえているんだ。問題の着地点を、どう見きわめるか、世の中の動き、つまり世論を重視するんだね。そして、いかなる小さな情報をも大切にする。よく、針の落ちる音も聞き逃すな、といっていた。全部情報を集めさせて、ここしかないという着地点を見つける。それで痛手をこうむる人を、いかにして救済してゆくかが、政治の処理のすべてだと、いっていたね」
 再建とは、癌をつきとめて切りとって、薬をやることだ。角栄はこのテクニックでは無類の手腕家であった。
 逆に世間が繁栄にむかったときの攻めには弱かったという。
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■新米の番記者のエピソード

<本文から>
立ち上がりかけて、庭の記者を見ると声をかけた。
「こっちへこいよ。五分間やるから、なんでも聞いてみろ」
 記者は夢中で応接間に駆け上がり、国会、列島改造論について三つほどの質問をしつつ、
「お前、なんてばかみたいなことばかり聞くのか」と思われているような気がした。
 角栄は笑いながら答えたが、頭の回転はきわめて早い。
 「お前の狙いはこれか」
とすべて指摘して、いろいろと説明してくれる。
 記者はふと思いついて聞いてみた。
 「金儲けの方法はありませんか」
ばか、といなされると思ったが、角栄はまじめな顔つきでいった。
「金を買え。上がると思うよ。しかし、お前には資金がないから、どうにもならんか」
「もっと現実的な話をしてください」
「またな」
 角栄は立ち上がった。
 そのあとまもなく、金価格は三倍に暴騰した。金は作為的に上げられるものではない。角栄はさまぎまな情報を総合して、金は上がるといったのである。
 記者が夜回りを許されるようになってから、秘書に自分が近づけられるまでの事情を聞いた。
 角栄は、新米の番記者が来た日から、彼を見落としていなかった。秘書にまず聞いた。
 「あいつの家はどこだ」
 秘書は東京に隣接する県の名前を挙げた。
 「何時に起きる?」
 角栄は秘書から、新米の番記者が毎朝四時に起きると聞いた。
 「何時に家へ帰るんだ」
 「午前一時です」
 「そうか」
 角栄が新米記者に朝駆け夜回りを許すようになったのは、そのような努力を評価したためであった。
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■佐藤や福田にない機微を知る

<本文から>
 腰を深くかがめ、あいさつをしながら渡す。
 それはいつも人生の特別席におさまってきた、佐藤首相や福田外相のうかがい知る機微ではなかった。
 角栄はそうした配慮を、下働きの人々への感謝をこめてするのだが、内奥には彼らのあいだのうわさが世間にひろまる影響力を顧慮する気持ちがあった。
 角栄は親しくなった番記者に教えた。
「内証だけど、常にそういったことを頭におきながら行動しなきゃ、この世の中だめなんだよ」
 まったくその通りであろう。
 生きてゆくために、そこまで気を配る人の身辺には、利運がめぐってくるものかも知れない。
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■人に金を与えるとき、相手が予想しているより多い額を渡たす

<本文から>
 味方だけでなく、敵に塩を送るようなこともあえてして、潜在する応援者をふやした。
 福田派の代議士が入院しているとき、角栄が見舞いにいった話はよく知られている。角栄は見舞金として、百万円以上の札の入った封筒を持ってゆき、渡していった。
 「これは何も意味のある金ではない。あんたの才能を尊敬し、一日も早い回復を願うだけだ」
 角栄はその代議士が入院しているあいだに五度も見舞いにきて、そのたびに同額の札の入った袋を置いていった。
 福田剋夫よりも、角栄のほうがはるかに多い見舞金をおくったという。
 角栄は、人に金を与えるとき、このくらいだろうと相手が予想しているより多い額を渡さなければならない。すくなく渡せば死に金になるよりもマイナスの効果になるといっていた。
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■立花の記事が引き金で崩れた

<本文から>
 立花の調査内容とそれに対する田中の反応が新聞やテレビで初めて報じられた。それまでは『文聾春秋』だけが書いた金脈問題が、ここで初めて全国的規模で報じられたのである。主役は立花であり、外国人特派員たちであった。
 われわれには『反省』している余裕すらなかった。政局は明らかに田中退陣へと急流のように向かいはじめた」
 佐藤、福田などの官僚出身の政治家であれば、このような場合、外国人記者クラブなどへ出向くことはことわったであろうが、角栄の軽率な強気が、彼の足もとに思いがけない土砂崩れをひきおこした。
 立花リポートが発表されるまで、マスコミは金権政治を必要悪と見て、警察、検察が取りあげないスキャンダルは、見過ごしていた。
 それを、立花が金脈の舞台裏のカラクリのすべてをあばき、外国人記者がその間題に飛びついた。権力闘争の推移のみを追っていた政治部記者たちは、突然わきおこった金脈騒動の意味が、はじめは分からず、やがて出し抜かれたとさとり、怒涛のように角栄追及に向かっていった。
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