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<本文から> 彼は光秀と気があい、諸国放浪のあいだにたまたま明智家に逗留し、およそ一年ほど足をとどめ、抱え素破のような生活をしていた。太郎妨の仲間には、近江醒ヶ井の葦駄天という早駆けの達者がいた。
葦駄天は秀吉の抱え素破で、羽柴家の内情を知っている。章駄天と太郎坊は、たがいに情報を交換しあっているので、光秀には秀吉の内情があらまし分っていた。
秀吉は近習たちに、賄賂をしきりに贈っていた。そのため、近習たちは彼の失策を信長に届け出ず、手柄だけを言上する。
信長は近習たちのいうことを、すべて信用するわけではない。深海にひそむ魚のように、まったく人の噂にものぼらない、秘密の情報網をそなえているので、近習たちが隠す事柄を知って知らぬふりをしている。
ただ彼らがかばい、その長所を褒めあげる秀吉のような部下は、もともと信用しているだけに、寛容に扱い、その能力を十二分に活用するほうが、得策だという考えを持っているので、欠点、失敗をも、見逃せる性質のものは見逃してやる。
天正五年(一五七七)、京都下京四条坊門通室町姥柳町に建てられた、南蛮寺にいたイエズス会マカオ巡察使オルガンチーノは、当時の日本人について、教団への報告書に記している。
「日本人は全世界でもっとも賢明な国民であり、彼らはよろこんで理性に従うので、われら一同よりはるかに勝っている。(中略)
彼らと交際する方法を知っているものは、彼らを己れの欲するように動かすことができる。
これに反し、彼らを正しく把握する方法がわからぬ者は、おおいに困惑ずる。この国民は、怒りをおもてにあらわすことを極度に嫌う。
彼らはこのような人を気短い、すなわちわれらの言葉で小心者と呼んでいる。理性にもとづいて行動せぬ者を、彼らはばか者と見なし、日本語ではスマンヒト、すなわち『澄まぬ人』と呼ぶ.彼らほど賢明、無智、邪見を判断する能力をもつものはないように思われる。彼らは必要でないことを表にあらわさない。はなはだ忍耐づよく、交際においては非常にていねいである。(中略)
彼らはたがいに、おおいに褒めあう。
通常、誰も無愛想な言葉で他人を侮辱せず、筈で人を罰しない。
もし誰か召使いが主人の耐えられないほどの悪事をはたらくときは、主人はまえもって何らの憎悪や激昂の徽をあらわすことなく、彼らを殺してしまう。 |
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