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<本文から>
味噌樽を棒で打つような音とともに、若侍の右脇腹にながい紅色の傷口がひらいた。肋骨がしろくつきでている。
若侍は刀をとりおとし、二、三歩よろめく。傷口から血と腸が噴きだしてきた。彼は言葉にならない叫びをあげ、ふしぎそうに十内をみたまま、体を半回転させ、砂上に倒れ伏した。
「おのれ、小冠者め。やいおったな」
斬られた侍の朋輩は、さすがに逃げなかった。彼は薩摩兵児として、友の仇を討つ義務がある。
二人めの敵は刀を抜きはらい、鞘を捨てるなり、車(脇構え)に構えた。十内は中段にとる。
「ちぇぇーい」
相手は絶叫とともに車の太刀をふりかぶり、頭上からうちおろしてきた。
十内は視界が正常に見えるようになっていた。彼は刀の棟で敵の刀をはねあげるなり、踏みこんで右袈裟を斬る。
敵はうしろへ飛びさがり、かろうじて刃をのがれたが、よろめいて砂上に尻もちをつく。右肩から乳へかけ、浅く傷口がひらき、血が噴き出てきた。
残心をみせていた十内は、相手がかかってこないとみて、構えをくずした。彼も肩先をわずかに削がれていた。
気を抜いた剃那、砂上に腰をおとしていた敵が躍りかかってきた。十内は踏みちがえて右首をはねた。血の棒が宙に飛び、敵はそのまま重心を失い転げた。
二人の乱暴者を斬ってのち、十内の心の持ちようが変った。自分が腰にする刀に籠っている力を、意識するようになったのである。刀を持てば、いままではなかったまったくあたらしい能力が、わが身に与えられる。
体躯の大小は、斬りあいの勝負になんの関係もない。刀をとれば、相手よりもはやく動き打ちこみのはやい者が勝つ。ただそれだけの単純な法則しかない。
長谷場四郎次郎が、自顕流への入門をすすめたとき、十内はためらうことなく応じた。歴戦の長谷場が、不惑にちかい年頃になって流儀を変えるのは、よほどの理由があってのことだと察したからである。
体捨流は、島津家御流儀であった。東新九郎という遣い手が、藩主義弘の嫡男家久の師芹となっている。
十内の推測は的中した。
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