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<本文から> 信長は東美濃攻略に、七分通りの成功を納めたのち、しばらく静観の方針をとった。犬山城から織田信清を追いはらった成果は、まず尾張領内の治安にあらわれた。
以前は夜間はもとより白昼にも追い剥ぎ強盗が横行する有様であったが、信長の威令が尾張一国へゆきわたると、行商人が道端で荷を枕に昼寝する姿が見られるほどになった。
美濃から細作の潜入する道がふさがれ、領内で騒擾をおこす者は、容赦なく斬刑に処されたからである。
信長は当時から、一銭を盗んだ者を斬る、「一銭斬り」の刑罰を実行していた。盗む者は斬る、犯す者は斬るという、簡明な軍法を実施することにより、犯罪者はまったく影を消した。
ながらくの合戦つづきで、軍役についていた百姓衆も、野良仕事をもっぱらとする日送りができるようになった。
信長は領内の往還、在所道の改作普請を地侍たちに命じてすすめる。いっぼう新田を開起する者には、両三年のあいだ反銭(租税)の取りたてを免除すると、布令を発した。
つぎの飛躍にそなえ、領民にカをたくわえさせておかねばならないと、信長は考えていた。 |
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